『真実』
是枝監督初の海外製作。フランス映画界の顔カトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュの初共演。イーサン・ホークを潤滑油に使う贅沢な配役。
公開:2019年 時間:108分
製作国:フランス
スタッフ 監督: 是枝裕和 キャスト ファビエンヌ: カトリーヌ・ドヌーヴ リュミール: ジュリエット・ビノシュ ハンク: イーサン・ホーク アンナ: リュディヴィーヌ・サニエ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 是枝監督作品っぽいかといわれると、どうかと思うが、大女優とその娘の確執をフランスを代表する両女優で描き出す様子はわりと面白い。
- 舞台も役者もフランスだが、世界のKORE-EDAは堂々采配。ケン・リュウの短編SFを劇中劇に使う手腕も憎い。
あらすじ
フランスの国民的大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が自伝本「真実」を出版する。
それを祝うため、脚本家の娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)が、テレビ俳優の夫ハンク(イーサン・ホーク)や幼い娘のシャルロット(クレモンティーヌ・グルニエ)を連れて、アメリカから母のもとを訪れる。
母の自伝にはありもしないエピソードが書かれており、リュミールは憤慨するが、ファビエンヌは意に介さない。
しかし、その自伝をきっかけに、母と娘の間の愛憎渦巻く真実が明らかになっていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
世界のKORE-EDAだ
是枝裕和監督初めての国際共同製作作品。
『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞し、本作も日本人監督の作品として初めてとなる、ベネチア国際映画祭のオープニング作品だとか。
共同製作というのが、海外の女優を招聘しながらも日本を舞台にするとか、或いは海外ロケでも日本人俳優がメインだとか、その手の代物と思っていたが、どっこい本作は、舞台も役者もすべてフランスではないか。
日本人監督の作品だというのは、KORE-EDAの名前をみてやっとわかる程度。その点、気負いなく、極めてナチュラルな国際映画を撮っているのだと感心した。
大胆なあて書き
世代こそ違うが、フランス映画界の顔ともいえるカトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュを初共演させ、さらには、イーサン・ホークを潤滑油に使ってしまうとは、なんとも大胆な配役構想。
しかも台本はあて書きしたというじゃないか。うーん、ちょっとやり過ぎではと危惧したけど、さすが皆さん、ピタリとはまった演技だった。
◇
大女優ファビエンヌは、観終わってしまうとドヌーヴ以外に考えられない配役だし、確執のある娘リュミールもジュリエット・ビノシュのきつい眼差しが合う。
そして、フランス語を解さないイーサン・ホークのいかにもアメリカ人的なふるまいとか、子供あしらいがうまいとことか、これも絶妙。『6才のボクが、大人になるまで。』の父親役を思い出す。
ファビエンヌの出演映画のイマイチ冴えない共演者役に、リュディビーヌ・サニエまで登用するとはちょっと意外。友情出演みたいなものか。
是枝裕和監督には、日本家屋特有のせまい空間を得意とする人という勝手なイメージを持っている。
『万引き家族』はもとより、出世作の『誰も知らない』のアパート、『海よりもまだ深く』の団地、『花よりもなほ』の長屋、『三度目の殺人』の留置場もそうか。
◇
だから、女優の住む城のような大邸宅とか大都会パリとかって不向きなのでは、といらぬ心配をしていたが、さすが世界のKORE-EDA、難なくこなしていた。
そもそも、映画の中での映画撮影シーンはみんなスタジオだし、大邸宅も、さほど広い家には見えなかったので、心配無用だったか。
レビュー(ここからネタバレ)
母の記憶に
本作は劇中劇として、映画の中でファビエンヌが共演女優マノン(マノン・クラベル)と撮影しているSF映画『母の記憶に』が同時進行し、これも重要な意味を持つ。マノンはサラの再来と呼ばれる女優だからだ。
サラは、ファビエンヌの友でありライバルだった女優で、リュミールは母のように慕っていた。
だが、ファビエンヌが色仕掛けで監督から大役を奪い取ったことから、自殺してしまったのだった。このことが母と娘に深い溝を作る。
◇
サラは冒頭から何度もいろいろな人から名前が挙がる重要な役だが、画面には登場しない。まるで、部活をやめる桐島クンのようだ。
おそらく、マノンがサラに似ている設定なので登場不要と判断したのだろう。無理に回想シーンを挟んでいないのは、監督の慧眼と思う。
『母の記憶に』という劇中のSF映画では、難病の治療のために宇宙船に乗ることを選んだ母はいつまでも若く、地上の時間の流れで暮らす娘は次第に成長し、やがては母の年齢を越えて年老いていく。
この老いた娘をファビエンヌ、いつまでも若い母をマノンが演じるので、実生活で娘と確執があるファビエンヌが、娘役としてどう母に接するかがひとつのポイントとなっている。
◇
ちなみに、映画『母の記憶に』は作家ケン・リュウの著作として実在するのだ。知らなかった。私はクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』を思い出していた。
いつまでも若いままでいられるのはいいが(地球時間比)、年取ってから宇宙船に乗ったら、ずっと老人のままじゃないか、と気になってしまった。
(2023.1.14追記)
本作を観てからだいぶ年月が経って、このケン・リュウの『母の記憶に』を読む機会があった。超短編で説明も少なく、おそらく一読では、ここに描かれているような母と娘の心情の深みまで到達できなかっただろう。超短編でもこういう形で映画化されることがあるのだというのは、興味深い発見だった。
サラの遺したもの
さて、映画のタイトルである<真実>は、ファビエンヌの自伝の題名でもある。ファビエンヌと、娘のリュミールにとって、<真実>とは、自殺してしまったサラと正面から向き合うことにほかならない。
その意味では、サラの再来と呼ばれる重圧の中、常にサラの亡霊と戦いながら女優を続けるマノンもまた、サラと向き合っている一人なのだ。
◇
根っからの女優であるファビエンヌは虚構の世界で暮らす住人であり、脚本家のリュミールもまた同じ世界に住む者なのだ。
そんな母娘には、書かれていることが事実かどうかよりも、亡くなったサラに対する思いや、母と娘に対する思いこそが、本当に知りたい<真実>なのだろう。
そして母になる
オズの魔法使いのライオン役をめぐっての、母娘のやりとりに、そんな思いが溢れていた。女優とは他人の芝居への評価は厳しいものなのだ。ファビエンヌが娘のセリフをそらんじているのはさすがだが。
そして感動的なシーンのあとに、ファビエンヌが、
「悔しい。この気持ち、さっきの芝居に活かせなかったわ」
と、さすが大女優。
ラストシーンになって、愛想をつかして出て行ったマネージャーのリュック (アラン・リボル)が戻ってきてよかった。Sirの称号とメダルももらえたし。
思えば、ファビエンヌはわがまま放題だが、リュックも含めた周囲の男性陣は、今のイタ飯上手な夫も、魔法でカメにさせられてしまった元夫も、みんな優しくて出来た人ばかりなのだ。
最後に庭から天空を仰ぎ見る家族の姿は、サラの姿を追っているようでもあった。天国に行ったら、ファビエンヌは神様になんて言われたいのだろうか。