『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』 考察とネタバレ:赤い風船とは全然違った

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『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』 
Le Voyage du ballon rouge

『赤い風船』のオマージュだが、忘れて観たほうが安らかに楽しめるホウ・シャオシェンのファンタジー。というよりジュリエット・ビノシュのリアルな母子ドラマか。オルセー美術館に行って、あの絵が見たくなる。

公開:2007 年  時間:115分  
製作国:フランス

スタッフ
監督:   ホウ・シャオシェン

キャスト
スザンヌ: ジュリエット・ビノシュ
シモン:  シモン・イテアニュ
ソン:   ソン・ファン

勝手に評点:2.0
(悪くはないけど)

あらすじ

7歳の少年シモン(シモン・イテアニュ)は駅前で赤い風船を見つけるが、手が届かない。諦めてメトロに乗り込んだが、風船は彼を追いかけてきた。

同じ頃、中国人留学生のソン(ソン・ファン)が忙しいシモンの母、人形劇師のスザンヌに変わってシモンの面倒をみるためにやってきた。

シモンの母、スザンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は夫との別居や居候の友人とのいざこざで情緒不安定になっていた。

レビュー(まずはネタバレなし)

とらえどころに悩む

台湾の名匠ホウ・シャオシェン監督が、パリのオルセー美術館開館20周年事業として立ち上げられた映画製作プロジェクトの第1弾として手掛けた人間ドラマ。

うーん、これはどうとらえたらいいのだろう。私には、この映画のねらいも、良さも、正直よく分からなかった。

ホウ・シャオシェンを作風も知らずに本作から入るのは邪道だったのかもしれない。

おまけに、本作がオマージュを捧げたラモリス監督の『赤い風船』は、小学生のときに学校の講堂で観たおぼろげな記憶しかない。

少年が風船に語りかけるが、物別れに終わる冒頭部分。

風船はふわふわとパリを舞い、たびたび少年を追いかけているような動きを見せるが、少年はそれにはほとんど構わずに、母やシッターの中国人の娘ソンとの生活を過ごす。

母は人形劇の仕事も忙しくこなすが、別居中の夫や離れて暮らす長女とのやりとり、更には家賃滞納で居座っている友人との諍いなどで、ストレスフルな毎日を過ごしている。

余談だが、こんなあつかましいうえに態度も横柄な男女が階下に居候していたら、私などすぐに激昂して追い出しているだろう。

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赤い風船について

少年と母、そしてシッターの日常。それはそれで映画的な部分はあり、ジュリエット・ビノシュの演技のおかげで、それなりのドラマとして観られる。

だが、たまに思い出したように現れては窓から覗き込む赤い風船との関係は、解明されない。

ただ、この赤い風船は真ん丸の球形で、チュッパチャップスのようで結構可愛い。日本でポピュラーな縦長のラグビーボール型ではない。

赤い風船がパリの空をふわりふわりと揺れ動く姿は、のどかで楽しくはあるが、そう長い間見続けられるものでもない。

しかも、監督の意図したものかは不明だが、空が曇っているせいか、あるいは気温のせいか、カラッとした青空に赤い風船というクリアな映像ではない。これも原作オマージュなのだろうか。

レビュー(ここからネタバレ)

ラモリス版『赤い風船』との比較

何も言葉を発しない生き物(本作では風船)が、主人公の生活に寄り添っているのだが、その意味がさっぱり分からない。

そういう映画に既視感があるぞ。思いだしたのは『A GHOST STORY』。これもモヤモヤ感の残る映画だった。


実は本作観賞後、モヤモヤを解消しようと思い、ラモリス監督の『赤い風船』を久しぶりに観てみたのだが、こちらはシンプルなストーリーながらも、年月を経ても色褪せないファンタジーの名作であり、童心に戻り感銘を受けた。

本作と『赤い風船』には、次のように表現が異なり、私にはそれが違和感だったようだ。

 ラモ風船:ラモリス版『赤い風船』の風船
 シャオ風船:本作『レッドバルーン』の風船

ラモ風船は不自然な動き、シャオ風船は自然な動き
 だから、ラモ風船はファンタジーとして入り込みやすい。シャオ風船の自然さは、かえって中途半端なので、風船に意思があるように見えにくいのだ。


ラモ風船はじゃれて遊んでくるが、シャオ風船はつかず離れず
 シャオ風船は気取って思わせぶりな態度。構ってちゃんのラモ風船の方が単純明快で好き。


・パリの風景との溶け込み
 技術に勝るはずなのに、パリの光景に彩りを添えるラモ風船の美しさに、シャオ風船はとても及ばない。両者を比較すると、シャオ風船は冴えない曇り空にぼんやりと浮かぶだけに思える。


・パリの市民とのふれあい
 通行人に邪魔者扱いされる点は共通だが、傘の中にいれてもらったり、他の人の手に渡ったりと、ラモ風船の方が社交的。シャオ風船は孤高である


まとめると、ファンタジーを持ち込んだのはよいが薄味すぎて、どう対処していいのか悩んでしまうのだ。その点、オリジナルは子供向けゆえ、単純明快で分かりやすい味付け。

なので、本作はタイトルのことは忘れて、母子とシッターのドラマと考えたほうが精神衛生上よいと思う。

だが風船の話を抜きにすると、母親がキレそうになる状況をめぐる物語だけなので、ちょっと物足りない。

オルセー美術館に行こう

風船の意味合いは各自で解釈してよいというスタンスは、企画元であるオルセー美術館に展示されたヴァロットン作『ボール』が、ラストで登場することで示される。

日向で遊ぶ子供と赤いボールは俯瞰した描写、それを日影で見ている大人は水平の描写。同じ絵のなかでも、いろいろな見方があってよいのだ。

『ボール』の絵画をとらえたカメラがピントを送ると、そこに映り込むこどもたちが現れる映像表現は、美しかった。このショットはとても好き。

だが、赤い風船に関しては、まったく消化不良だ。パリはどう撮っても美しくなるものだと思っていたが。