『旅と日々』
つげ義春の原作漫画を三宅唱監督が、シム・ウンギョンの主演で映画化するとは!
公開:2025年 時間:89分
製作国:日本
スタッフ
監督: 三宅唱
原作: つげ義春
『海辺の叙景』
『ほんやら洞のべんさん』
キャスト
李: シム・ウンギョン
渚: 河合優実
夏男: 髙田万作
べん造: 堤真一
魚沼: 佐野史郎
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
強い日差しが降り注ぐ夏の海。浜辺にひとりたたずんでいた夏男(髙田万作)は、影のある女・渚(河合優実)と出会い、ふたりは何を語るでもなく散策する。翌日、再び浜辺で会った夏男と渚は、台風が接近し大雨が降りしきるなか、海で泳ぐのだった……。
とある大学の授業で、つげ義春の漫画を原作に李(シム・ウンギョン)が脚本を書いた映画を上映している。上映後、質疑応答で学生から映画の感想を問われた李は、「自分には才能がないと思った」と答える。
冬になり、李はひょんなことから雪に覆われた山奥を訪れ、おんぼろ宿にたどり着く。宿の主人・べん造(堤真一)はやる気がなく、暖房もまともな食事もない。ある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出す。
レビュー(若干のネタバレあり)
三宅唱✕つげ義春
つげ義春原作で育ってきた世代ではないが、いくつかの代表作はコミックで読んでいる。この映画の原作である『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』も読んでいる。
あのコマ割りと写実的な風景、そして哀愁のある登場人物のつぶやく台詞で成り立っているつげワールドは、映像化が容易とは思えないが、これまでに何人もの監督が、惚れ抜いた原作を映画化している。
そんな中で、今回は『ケイコ 目を澄ませて』、『夜明けのすべて』と快調に端整な作品を撮り続ける三宅唱がメガホンをとるという。しかも主演はシム・ウンギョン。
正直言って、三宅監督の作風とつげ義春原作の相性がよさそうだとは思えない。これまでのつげ作品の映画化イメージからすれば、不条理でオフビートな笑いを目指すのだろうか。シム・ウンギョンはコメディだっていけるし。
◇
ところが、この単純な想像は大いに裏切られた。しかも良い方に。
この映画は観客を笑かそうとしないのだ。勿論、つげ作品はシュールな笑いだから、派手な大ボケをかます話ではないが、今回は小ネタさえもなく、日常の中にふと生じる不思議な世界に、観る者を引き込んでいく。
海辺の叙景
まずは『海辺の叙景』の話から。海岸に遊びに来て、一人退屈そうに砂浜で本を読んでいる青年・夏男(髙田万作)。仲間と海に遊びにきているが、ひとりでふらふらと単独行動している娘・渚(河合優実)。
この、寂しげな男女が誰もいない磯で出会い、翌日にまた会う約束をして別れ、次の日には大雨の中で再会して海の中で泳ぐ。それだけの話だ。男女には取り留めのない会話があるのみ。

映画の冒頭で、脚本家の李(シム・ウンギョン)は、この海辺の物語の脚本を苦労して書いている。ハングル文字を手書きしているのが新鮮に見える。夏男と渚は、李の生み出した脚本の中にいるキャラクターなのだ。
この海辺の男女の話はストーリーとしては他愛もないものかもしれないが、映像体験としては実に新鮮だった。
真四角に近いスタンダードサイズの画面が若干息苦しさを感じさせるかと思ったら、森の木々を激しく揺らす強い風、突如降ってくる大粒の雨、激しい雨をものともせずに大きくうねる海で寒さに耐えて泳ぐ二人。
そこにひらひらとスカートの裾を翻す小悪魔的な河合優実の佇まい。どのシーンも五感に強く訴えかけるものばかりで、これが映画体験なのだという実感がわく。

佐野史郎が繋ぐ二編
本編の中で、この『海辺の叙景』の上映が終わり、脚本家として舞台でトークショーに参加する李は、「自分は脚本家の才能がないと思った」と自虐する。
これは、五感を刺激するような名演出など、脚本に書けているわけではないからなのだろう。
つげ義春の原作映画を観に来たはずの我々が、李の書いたつげ原作の映画を見させられているという重箱構造。
◇
そして、かつてつげ原作映画『ゲンセンカン主人』で主演した佐野史郎が演じる魚沼教授が亡くなり、双子の弟から古いフィルムカメラを譲り受けた李。

生前に教授に「気晴らしに旅行にでも行くといいですよ」と言われたせいか、気まぐれで雪に覆われた山奥を訪れ、おんぼろ宿にたどり着く。
そこの主人がべん造(堤真一)であり、後半は李自身が主人公となる『ほんやら洞のべんさん』のパートが始まる。
ほんやら洞のべんさん
オンボロの民宿にたどりつくあたりは、山下敦弘監督の『リアリズムの宿』のような笑いが生まれるのかと思ったが、そのような演出もない。
ただひたすら、雪山の奥深くで不思議な主人べん造の住む家で囲炉裏を囲んで寝泊まりするのだ。

暖房もなく、まともな食事も出ず、布団すら自分で敷かなければならない。べん造が訛っているのと暗い画像が多いせいで、堤真一が演じていることになかなか気がつかなかった。
そしてある夜、べん造は「錦鯉のいる池を見に行くか」と李を夜の雪の原へと連れ出す。
◇
部屋の中にいるのに、李の吐息が白い。なんという寒さだ。そして押しつぶされそうな雪。しんしんと降る雪の静けさも見事だが、前半の『海辺の叙景』も含めて、本作にはおそろしく暗いシーンが多数登場する。内容ではなく、照明がなく画が暗いという意味だ。
夜や雨の日の自然界というのは、こんなにも暗いのだということを再認識させられる。視認性が尊重される昨今、ここまで凝視しないと分からない映像は珍しく、その臨場感が心地よい。
この暗さは映画館のスクリーンでないと味わえないかもしれない。我が家のモニター画面では黒が潰れてしまうな。
李は韓国人という設定なので、独白も韓国語のシム・ウンギョンは、『新聞記者』や『ブルーアワーにぶっとばす』などの邦画出演作より自然体に見えた。

彼女のキャスティングは絶妙だと思った。この役を日本人俳優がやると、何かボケたりツッコんだりしないと間が持たないが、シム・ウンギョンなら、素のまま受け止めても不自然ではない。
映画の中に何らかの起承転結のある物語を求めてしまいがちな世の中で、こういう五感をくすぐるだけで深掘りしない映画というのは、稀有な存在。
人には勧めづらいが、どこか気になってしまう作品なのだ。
