『ケイコ 目を澄ませて』考察とネタバレ|アタシのために打つべし!打つべし

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『ケイコ 目を澄ませて』

三宅唱監督が岸井ゆきのの主演で描く、耳の聴こえない女性プロボクサー。負けたくない。

公開:2022 年  時間:99分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督・脚本:      三宅唱
脚本:         酒井雅秋
原案:         小笠原恵子
            「負けないで!」
キャスト
小河ケイコ:      岸井ゆきの
会長:         三浦友和
林誠:         三浦誠己
松本進太郎:      松浦慎一郎
小河聖司:       佐藤緋美
小河喜代実:      中島ひろ子
会長の妻:       仙道敦子
ハナ:         中原ナナ
五島ジムオーナー:   渡辺真起子
医師:         中村優子
雑誌記者:       足立智充

勝手に評点:3.5
 (一見の価値はあり) 

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

ポイント

  • 聴こえない主人公の映画なのに、観る者は音に神経を研ぎ澄ませてしまう。ボクシング映画なのに、試合よりも伝えたい何かがある。
  • 笑顔と賑やかさを封印した岸井ゆきのの、渾身の演技に役者魂をみる。あしたはどっちだ。

あらすじ

生まれつきの聴覚障がいで両耳とも聞こえないケイコ(岸井ゆきの)は、再開発が進む下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ね、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。

嘘がつけず愛想笑いも苦手な彼女には悩みが尽きず、言葉にできない思いが心の中に溜まっていく。ジムの会長(三浦友和)宛てに休会を願う手紙を綴るも、出すことができない。

そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知る。

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レビュー(まずはネタバレなし)

耳が聴こえないボクサー

元プロボクサー・小笠原恵子の自伝『負けないで!』を原案に、三宅唱監督が岸井ゆきの主演で描く聴覚障がいで両耳が聞こえない女性ボクサーの物語。

主人公には聴こえないが、作品では音効のこだわりが冒頭から凄い。

主人公のケイコ(岸井ゆきの)が日誌を書くペンの紙擦れ音、氷を噛み砕く音、彼女が通うボクシングジムのシューズが床を鳴らす音、縄跳びの音、サンドバッグを叩く音。

そこに会話はない。既に観客の多くは知っているが、ケイコが聴覚障がい者であることがここで明かされる。

生まれつき耳が聴こえなければ、自ずと発話も学ぶことができない。だから彼女には聴くことも話すこともない。それでも、そんなことにはお構いなしとでも言うように、ボクシングの練習には、真剣に打ち込む。

トレーナーの松本(松浦慎一郎)と繰り返すコンビネーション・ミットは、ボクシングの練習としてはどれほど効果があるのか知らないが、あの息の合った動きには惚れ惚れする。ダンス競技のようだ。

ケイコはすでにプロボクサーとしての資格保持者だ。だからといって、聴覚障がい者が容易になれるものではない。

対戦相手の動きが見えれば戦えるようには思えるが、練習の内容を理解するのも難しいし、試合中にはセコンドの声が届かない。徹底的に不利で、危険で、そして孤独なのだ。

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

意思疎通の見せ方

岸井ゆきののキャスティングは意外だった。『愛がなんだ』(2019、今泉力哉監督)でも『神は見返りを求める』(2022、𠮷田恵輔)でも、彼女はうるさいくらいに賑やかなキャラが売りだったからだ。

だが本作は当然ながら、台詞は皆無だし、笑顔だって滅多に見せない。でも、だからこそ、たったひとつ小声でいう「はい」という言葉が引き立つ。

背中から見える筋肉には訓練の成果がみられ、険しい顔で練習している彼女に、いつもと違う岸井ゆきのの本気モードを感じる。

喋れない主人公のコミュニケーションを映画はどう見せるか。例えば昨年作品賞でオスカーを獲った『コーダ あいのうた』の主人公は健常者だが、家族との会話は手話(+字幕)だった。

本作でも、ケイコと弟の聖司(佐藤緋美)との会話は、手話と字幕。だが、字幕はスーパーではなく、黒味の画面に文字だけ入る。まるでサイレント(無声映画)時代の再来だ。

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

この間延びしたテンポで、ケイコの感じるもどかしさを伝えたいのかと思ったが、その後、ホテルの清掃業務では先輩女性と手話(字幕スーパー)で話すし、ジムの会長(三浦友和)やトレーナーとは、読唇術で会話が成立している(マスク普及の弊害も織り込みつつ)。

更には、聴覚障がい者仲間との女子会では、字幕も出さずに手話で大盛り上がりの場面まであり、面白いことに、会話もおよそ想像できる。

そんな訳で、三宅唱監督は、本作では台詞の扱いをさほど重要視していないのだ。ケイコが主演である以上、物語は動きや表情で伝わるべきと考えているのかもしれない。

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ボクシング映画らしからぬ

そしてもう一つ、監督が重要視していないものがある。多くのボクシング映画では極めて大事なものだが、本作では扱いが軽いもの。それは、ボクシングの試合過程とその結果だ。

ボクシング映画は数あれど、その多くは主人公が苦難を乗り越えて、最後に試合に臨む話だろう。『ロッキー』シリーズのように、リング上の死闘に数十分を割く映画だってある。

でも、本作はそこに重点を置かない。リングにカメラさえ持ち込まない。これはユニークだ。

ケイコの通う老舗のジムは経営が苦しく後継者もなく、ついに畳むこととなり、ケイコは愛着のあるジムでの最後の試合に臨む。

ドラマ的な要素をあれこれ背負わせて彼女をリングに上げる物語に仕上げることだってできるだろうが、そのようなドラマ運びはしない。ここに、多くのボクシング映画との差別化ができている。

映画『ケイコ 目を澄ませて』本予告

老舗の古く汚い人情のジム

ボクシングの物語では、主人公が通うのは古くて汚いジムで、会長は老いぼれオヤジだと相場が決まっている。

古くは矢吹丈丹下段平『あゝ、荒野』『ある男』でんでん『キッズ・リターン』山谷初男『ミリオンダラー・ベイビー』クリント・イーストウッドもあてはまるかもしれない。

本作でも、味のある古びたジムが舞台だ。場所も荒川に近い千住界隈とくれば、やはり『あしたのジョー』の泪橋にほど近い。

戦後すぐに始めたという老舗ジムの二代目会長三浦友和が演じる。

『線は、僕を描く』(2022)の水墨画の大御所の役でも思ったが、最近の三浦友和は枯れた男の風格と大きな背中の包容力がいい。本作でも何をするわけではないが、ケイコの器量を見込み、しっかり育て上げる。

ジムのトレーナーには(三浦誠己)松本(松浦慎一郎)。このジムや練習生たちを大事にしている様子が伝わってきて温かい。松浦慎一郎は役者の前にボクシングトレーナーであり、数多くのボクシング映画を監修した、邦画界では欠かせない人物だ。

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

本作は音についてのこだわりに加え、光のとらえかたがまた美しい。

16ミリフィルムにこだわったという画質の効能もあるだろうが、古びたジムのなかに差す陽光とそこに舞う塵、温かい色合の照明の具合。野外にでれば、荒川土手から見える京成線の灯り、朝方のランニング風景など、町の切り取り方もうまい。

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レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

戦う気持ちはあるか

試合には判定勝ちしたものの、相手が病院送りになったと聞き、ケイコはボクシングが少し怖くなる。

「しばらくジムを休みたい」と会長に手紙を書いたが、それを渡しそびれるうちに、会長はジムを畳む決意をみんなに告げ、彼女の気持ちは宙に浮く。

「戦う気持ちがなくなったら、試合はできない。それは危険だし、相手にも失礼だ」

会長の言葉がケイコの胸に刺さっている。

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

ジムの解散で、ケイコには会長の口利きで新しいジムを紹介される。女性オーナー(渡辺真起子)は、聴覚障がいを乗り越え試合に勝った彼女を買ってくれ、覚えたての手話やアプリで意思疎通を図ろうとしてくれる。

ありがたいことだが、ケイコはそれを拒絶する。ジムでは拳を合わせて意思疎通をしてきたし、古びた建物の薄明りに慣れ親しんだ彼女には、冷たく明るい大型ジムと偽善的な手話応対には、馴染めなかったのだろう。

ケイコは会長に休みたいと告げに行くが、ジム閉鎖を決めても彼女の試合ビデオを観て独り研究に耽る会長の背中を見て、もう一度試合に出ようと思う。二人が鏡の前に並んでシャドーをする姿が、父娘のようで泣ける。

(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

無観客試合を応援する仲間たち

ジムでは、手話などなくても拳で話せる会長やトレーナーの二人がいて、家には弟の聖司(佐藤緋美)やその彼女のハナ(中原ナナ)がいる。

そして実家の(中島ひろ子)もホテルの職場の先輩も、みんなケイコと話したくて、手話を覚えてくれる。なんと温かい環境なのだろう。娘が殴り合いの試合をするなんて、とケイコを心配する母も、試合となれば上京してくれる。

ケイコと松本トレーナーのコンビネーション・ミットの練習がダンスのようだったが、夜のアパート前でケイコが聖司とハナにシャドーを教え、ハナがブレイクダンスを教えるシーンが、それを受け継ぐように見える。

そしてクライマックスは、淡泊な扱いではあるが、ジムでは最後となるケイコの試合。これは無観客で行われ、応援者はみな自宅や職場でケータイを観ているというのが、何とも不思議な光景。

でもこれが、コロナ禍での現実なのだ。試合の流れやその後の展開は、どこか『BLUE/ブルー』(2021、𠮷田恵輔監督)を思わせる。

ボクシング一筋に生きてきたケイコにとって、聴覚障がい者を受け容れプロデビューさせてくれ、心の拠り所だった場所を失った喪失感は大きい。

でも、信頼感でつながっている会長が亡くなった訳ではない。ケイコはボクシングを辞めて実家に帰ったりはしないだろう。

ラストシーンでの彼女は、同じ町に暮らす対戦相手を見かけ、再び熱い闘志を燃やし始めている。私にはそう見えた。