野村芳太郎監督、渥美清主演の1977年松竹版、市川崑監督、トヨエツ主演の1996年東宝版の、新旧比較レビュー。
『八つ墓村』(松竹版)
公開:1977 年 時間:151分
製作国:日本
スタッフ
監督: 野村芳太郎
脚本: 橋本忍
原作: 横溝正史
『八つ墓村』
キャスト
金田一耕助: 渥美清
寺田辰弥: 萩原健一
森美也子: 小川真由美
多治見久弥・要蔵: 山﨑努
多治見春代: 山本陽子
多治見小竹: 市原悦子
多治見小梅: 山口仁奈子
工藤校長: 下條正巳
久野恒三郎医師: 藤岡琢也
濃茶の尼: 任田順好
諏訪弁護士: 大滝秀治
磯川警部: 花沢徳衛
新井巡査: 下條アトム
井川鶴子: 中野良子
井川丑松: 加藤嘉
井川勘治: 井川比佐志
尼子義孝: 夏八木勲
落武者: 田中邦衛
勝手に評点:
(悪くはないけど)
『八つ墓村』(東宝版)
公開:1996 年 時間:127分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 市川崑
脚本: 大藪郁子
原作: 横溝正史
『八つ墓村』
キャスト
金田一耕助: 豊川悦司
寺田辰弥: 高橋和也
森美也子: 浅野ゆう子
田治見久弥・要蔵: 岸部一徳
田治見春代: 萬田久子
田治見小竹・小梅: 岸田今日子
里村慎太郎: 宅麻伸
里村典子: 喜多嶋舞
等々力警部: 加藤武
千石巡査: うじきつよし
洪禅和尚: 石橋蓮司
九野要三郎医師: 神山繁
濃茶の尼: 白石加代子
諏訪弁護士: 井川比佐志
井川鶴子: 鈴木佳
井川丑松: 織本順吉
ひで: 吉田日出子
徳之助: 石倉三郎
落武者: 今井雅之ほか
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
昭和24年。母親を失い、天涯孤独の身となった青年・寺田辰弥は、尋ね人のラジオ番組がきっかけで、自分が実は岡山県の旧家・田治見家の当主の遺児であることを初めて知り、鳥取との県境に近い八つ墓村を訪れる。
その村には、かつてそこで非業の死を遂げた落ち武者たちによるたたりの言い伝えがあり、辰弥の来訪と同時に、血塗られた殺人事件が相次いで発生。折しも村へやって来た名探偵の金田一耕助が、その捜査に乗り出す。
新旧比較レビュー(ネタバレあり)
東映・松竹・東宝と各社が触手
横溝正史の『八つ墓村』は過去3回映画化されている。
1951年の東映版は松田定次監督で片岡千恵蔵が主演。今回は「祟りじゃ~!」の流行語を生んだ、1977年の松竹版(野村芳太郎監督、渥美清主演)と、最新の1996年の東宝版(市川崑監督、豊川悦司主演)の新旧比較レビューをしてみたい。
◇
物語は遡ること400年近く前、尼子の落武者たちを匿った村人たちが、財宝目当てに8人の落武者を斬殺。今から20数年前に、村人32人を田治見家の当主・要蔵が狂ったように無差別殺戮。
そして今、平凡な社会人生活を送っていた田治見家の血縁者・寺田辰弥が八つ墓村に呼び戻され、血塗られた災禍が、またもや村に巻き起こる。
連続殺人事件の中心にいる寺田辰弥を松竹版は萩原健一(以下紫色は松竹)、東宝版は高橋和也(以下茶色は東宝)が演じる。
村一番の資産家、田治見家の当主で病人の久弥(山崎努/ 岸部一徳)、その妹で辰弥の腹違いの姉にあたる春代(山本陽子/ 萬田久子)。
そして、田治見家には見劣りするが、もう一つの資産家の家に嫁いだが戦争未亡人となった、辰弥の協力者である森美也子(小川真由美/ 浅野ゆう子)。
最後に、金田一耕助を演じる渥美清と豊川悦司。このあたりがメインのキャストになる。
松竹版の方が顔ぶれが豪勢なように思うが、それが作品の優劣に直結するものではない。
野村芳太郎と市川崑という大御所監督同士の対決という点でも、甲乙つけがたい接戦になるかと思われたが、意外にも私の中では、簡単に軍配が上がった。映画としては、市川崑の東宝版の方が、格段に楽しめる作品だったと思う。
野村芳太郎監督、渥美清の松竹版
まずは野村芳太郎監督の松竹版について触れたい。映画化された横溝正史原作で、美しい女性ではなく若い男がメインになっているのは珍しいが、本作はその辰弥を萩原健一が演じている。
仕事は空港のグラハンだが、グラサンかけてツナギ姿で仕事するショーケンが、『傷だらけの天使』のようでサマになる。この役に二枚目を配置し、金田一に渥美清を持ってきてバランスをとる。
この時期、既に金田一役は石坂浩二がデフォルトになっていたが、ビジュアルも良く、笑いも取る石坂浩二に対し、味のある風貌で、車寅次郎との差別化なのか、笑いを封印した渥美清は実にいい。
また、落武者(夏八木勲、田中邦衛ら)を村人が謀殺する、呪われた歴史の発端部分は丁寧に描かれ、狂った多治見要蔵(山﨑努)が刀や猟銃で村中に殺戮を繰り広げる凄惨な場面にも迫力があった。この辺は本作の優れた点。
◇
一方で、151分の長尺ながら、鍾乳洞の探索に多くの時間を割き、クラシック音楽の中で竜弥(萩原健一)と美也子(小川真由美)の恋愛ムードを無理に高めようとした終盤はダレる。
原作からの改変も多いうえに、登場人物の説明が不親切なため、原作未読で映画を観たときに、はたしてきちんと内容が把握できるのか疑わしい。
#これを見たやつは座っている画像をあげろ
— しなふく📡「昭和」エンタメなニュース発信局 (@sinafukudoa) November 7, 2024
探偵と被害者のキャスティグで
二枚目は二人いらない・・
金田一役に渥美清が起用されたのは
横溝自身の希望だったとか・・
ー八つ墓村 1977年ー pic.twitter.com/XorNK0IRk7
せっかく渥美清がシリアスの線で芝居をしているのに、女性陣の白塗りメイクが雰囲気を台無しにしている。
双子の祖母、小竹と小梅(市原悦子・山口仁奈子)はバカ殿のような白塗りだし、終盤で正体を現す美也子(小川真由美)の顔が、白い化け猫に豹変するのは、ただのB級ホラーだ。
殺された老婆が鍾乳洞のバスクリン沼で片手を上に突き出して溺死している演出も、『犬神家の一族』のパロディとしても噴飯もの。
「祟りじゃ!」と騒ぐ濃茶の尼(任田順好)の演出も過剰なら、冒頭の弁護士事務所の井川丑松(加藤嘉)、病床の多治見久弥(山﨑努)、工藤校長(下條正巳)とみんな毒殺される死に方も唐突かつ滑稽。
全体としては、まともに原作と向き合って映画化するつもりがあったのか、甚だ疑問。ブームに乗りたかっただけではなかったか。
市川崑監督、豊川悦司の東宝版
そして市川崑監督の東宝版。石坂浩二を起用しない作品はどうかと思ったが、主役が豊川悦司に代わっても、等々力警部(加藤武)の登場で世界観は保たれる。
もはや市川崑の横溝ワールドは土台がしっかりできており、家屋の雰囲気から村の閉鎖的な空気まで、付け入る隙がない。
◇
松竹版と長所短所は逆になる。落武者惨殺の過去や、村人32人の殺戮のおどろおどろしさは松竹版に比べ淡泊。
トヨエツの金田一は二枚目路線で爽やかに活躍しすぎる。彼のおかげで辰弥(高橋和也)は頼りなく見え、存在感も弱まる。更に、東宝版では重要人物の一人に要蔵の甥の里村慎太郎(宅麻伸)も登場するので、更に男優陣は目移りする。
1996年の八つ墓村
— yukina@普段着着物なカメラマン📷 (@yukina1223) December 9, 2019
金田一耕助役にトヨエツ(豊川悦司さん)だ!
「こんどは、豊川 金田一。」のキャッチコピーが印象的 pic.twitter.com/cZan7zmc8c
金田一耕助はただの狂言回しだとする横溝正史の考えに立てば、トヨエツ金田一は目立ちすぎるし、あろうことか、石坂浩二ではなく古畑任三郎に寄せに行っているように見えた。
本作には古畑の部下、今泉役の西村まさ彦まで登場するから、この古畑化は確信犯かも。
トヨエツが大声で「しまったー!」を連発するのも軽い(真犯人を死なせてしまうのはお約束だとしても)。この手のフレーズは加藤武の「よし、分かった」だけで良くない?
◇
一方で、脚本はいい。原作に忠実に要蔵の甥の里村慎太郎(宅麻伸)と妹の典子(喜多嶋舞)を登場させながら、127分でコンパクトに物語をまとめている。
勿論削除した要素はあるが不足感はなく、登場人物の説明や、なぜ竜弥が呼び戻されたか等、大事な箇所はゆっくりと説明してくれて、原作未読者にも親切設計。
小竹・小梅(岸田今日子の二役)のゆっくりした語り口や動きも、松竹版よりリアル。
市川崑監督版「八つ墓村」は、この2大女優の怪演を見る為にある!(笑)#八つ墓村#市川崑 監督#岸田今日子 さん#白石加代子 さん pic.twitter.com/a5CVPCOtPk
— ミステリ好きのアラフィフ野郎 (@gp8DWATknvmd7I7) October 16, 2024
美也子役の浅野ゆう子は、『獄門島』(1977)以来の横溝原作映画出演だが、前回の頭の軽い娘役から、トレンディドラマで女優としてのブレイクを経て、本作では主役を食う堂々の演技。
濃茶の尼には、本シリーズの常連・白石加代子が今回も怪演。巡査役はうじきつよし。最後まで「こういうコメディ演技もやるんだ」とイノッチと勘違いして観ていたよ。
◇
鍾乳洞の中の探索は本作で大きな場面だが、洞内を明るくはっきりと見せ過ぎた松竹版よりも、手探り感のある東宝版の方がリアルに見えたように思う。もっとも、これは時代によるカメラ性能の差異があるので、単純に比較できないが。
東宝版のエンディングに、ドラマ『俺たちの朝』の主題歌を作った小室等がセルフカバーした曲を使用。理由はよく分からないが、あのドラマを愛したファンの一人としては複雑な心境。
金田一耕助シリーズは連続殺人の舞台から殺され方、真犯人の自害まで、すでにスタイルが確立されており、それを毎回キチッと仕上げる市川崑監督版には、さすがの野村芳太郎監督も太刀打ちできなかったように思う。