『青いパパイヤの香り』
Mùi đu đủ xanh
トラン・アン・ユン監督の鮮烈な長編デビュー作。その瑞々しい感性は30年経っても色褪せない。
公開:1993 年 時間:104分
製作国:ベトナム
スタッフ
監督・脚本: トラン・アン・ユン
キャスト
ムイ: トラン・ヌー・イエン=ケー
(少女時代) リュ・マン・サン
主人: トラン・ゴック・トゥルン
奥様: トルゥオン・チー・ロック
先輩女中: グエン・アン・ホア
ティン: ネス・ガーランド
クェン: ヴォン・ホイ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
1951年、ベトナム。10歳の少女ムイ(リュ・マン・サン)が、サイゴンで暮らす一家のもとへ奉公にやって来る。
その家には、琵琶ばかり弾いて何もしない父(トラン・ゴック・トゥルン)と、布地屋を営む働き者の母(トルゥオン・チー・ロック)、社会人の長男と二人の弟、そして祖母が暮らしていた。
一家にはかつて幼い娘がいたが、父が家出している間に病に侵され、そのまま死んでしまった。ムイは先輩の奉公人(グエン・アン・ホア)から仕事を教わり、朝から晩まで懸命に家事をこなしていく。
そんなムイに、一家の母は亡き娘の姿を重ね合わせるのだった。ある晩、長男の友人クェン(ヴォン・ホイ)が一家を訪れ、ムイは彼に密かな憧れを抱く。
今更レビュー(ネタバレあり)
トラン・アン・ユン監督の長編デビュー
カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した、1993年公開のトラン・アン・ユン監督の長編デビュー作。1951年のサイゴンを舞台に、少女ムイの成長を描いている。
新しい使用人として雇われた10歳の少女ムイ(リュ・マン・サン)が、奉公先の屋敷にやってくる。
そこに暮らしている大家族。主人である父(トラン・ゴック・トゥルン)は商売をしている様子もなく、ひねもす琵琶を弾いて優雅に過ごしている。実質、布地屋を営み家計を切り盛りしているのは女主人の母(トルゥオン・チー・ロック)。
そして社会人の長男チェン、中学生の次男ラム、小学生の三男坊ティンという子供たち。ムイと同い年の娘トーは何年も前に病死していた。
母子くらい年の離れた先輩の奉公人(グエン・アン・ホア)に教わりながら、ムイは仕事を覚えていく。野菜を強火で焼いて、肉を見栄えよく焼いてから合わせて、ジュージューと鍋が焦げる音がして。
近作『ポトフ 美食家と料理人』に登場するような、手の込んだフランス料理ではないが、デビュー作からトラン・アン・ユン監督は料理を五感で楽しませる術を心得ている。
ベトナム家屋に冴えるカメラワーク
本作はこの大家族が住むサイゴンの屋敷が舞台だが、セットはパリ郊外に作られたそうだ。ベトナム・フランスの共同製作であり、監督自身、ベトナム戦争を逃れるため幼少期にフランスに移住しているので両国とも関係が深いのだろう。
◇
ちなみに『ポトフ 美食家と料理人』は言語もキャストもオールフランスの映画である。ただ、本作は言われなければ、パリの匂いはしない。画面にあるのは、古い時代のベトナムを感じさせる、広くはないが開放的な家屋。
狭い家の中で家族の会話を切り取る手法は小津安二郎的ではあるが、カメラはフィックスではなく、縦横無尽に動いており、かつ、家の中をあちこち徘徊する家族を小さな隙間から的確に捕捉している。周到な準備がなされているのだ。
年端もいかぬ少女が大家族の奉公人として働かされる物語となれば、伝説の朝ドラ『おしん』のように、一家のみんなに手ひどい仕打ちを受けながら、耐え忍んで仕事をするのがアジアのドラマの定番かと思っていた。
だが、この一家はみな優しい。先輩女性も親切だし、女主人はすぐにムイに里帰りの話をしてくれたり、亡くなった娘のように可愛がってくれる。
小学生の息子だけは、彼女に気でもあるのか、子供じみた悪戯を繰り返しムイの仕事を増やして困らせるが、彼女は相手にしない。
ダメ父でも家長なのか
少女時代のムイがこのような恵まれた環境で奉公できているので、観ているほうも心安らぐ。全編を通じて流れているスズムシやカエルの鳴き声が、ベトナムらしさを醸成する。
地球温暖化が激しく熱波に襲われる昨今の気候ならいざ知らず、この時代のサイゴンでは家を抜ける自然の風と扇風機、そして蚊取り線香で夏を過ごせているようだ。
平和だったムイの少女時代にちょっとした事件が起きる。家の主人が失踪してしまうのだ。この男にはこれまでも全財産を持って蒸発した前科があったが、娘の病死の際に自分を責めて、以降途絶えていたという。
だが、この男は久々に失踪し、一家は米を買うにも苦労する財政状況となる。義母は嫁に対し、「お前が無愛想だから息子は愛人を作るんだよ。家族を不幸にする悪い嫁だ」と責める。
しっかり者の奥さんが気の毒だが、結局この放蕩息子である夫は、数日後に家の玄関先で倒れて発見され、そのまま帰らぬ人となる。夜間外出禁止のサイゴン、ドラ息子でも家長制で嫁が大変だった時代を、ムイはマイペースに生きている。
そして10年後を迎える
映画の後半は10年後のサイゴン。二十歳になったムイ(トラン・ヌー・イエン=ケー)は、相変わらず同じ家に奉公している。
嫁を迎えた長男は父譲りなのか琵琶の稽古に忙しく、家計は苦しい。古くからの友人クェン(ヴォン・ホイ)にムイを雇ってもらう算段をたてる。
可愛がってくれた義母からは、娘にあげようとしていた貴金属とアオザイを貰い、ムイはクェンのもとに。
ここから映画のトーンは一変する。ムイにとって、クェンは10年前から秘かに憧れていた人物だ。新進気鋭のピアニストで部屋には彼の弾くドビュッシーが流れ、いっきにロマンティックな雰囲気に。
だが、彼には派手めな婚約者がおり、使用人の小娘など相手にもされていない。
◇
自分の立場をわきまえているムイは、主人のいなくなった部屋でひとり装飾品を着け、口紅を塗り、軽やかに踊ってみる。昔の資生堂のCMみたいな芸術的センスのある画づくり。
そこにクェンが帰ってきて、隠れる様子など、まるでオードリー・ヘップバーンのロマコメだ。そういえば、『麗しのサブリナ』だって、使用人の娘との恋物語だしね。
◇
クェンの婚約者は、彼の落書きしたムイの寝顔に激昂して、彼女の横っ面を叩いて家中の陶器を粉々に叩き割って去っていく。おお、怖っ。
そのまま資産家で売れっ子のピアニストが使用人と恋に落ちるのか、顛末は描かれないが、クェンはムイに優しく文字を教え始める。
青いパパイヤを割って
シンデレラ・ストーリーに文句はないが、前半の瑞々しい少女期のムイと、トラン・ヌー・イエン=ケー(本作出演後、トラン・アン・ユン監督と結婚)はちょっと雰囲気が違う。
社交的でお喋りだった彼女が、大人になるとかなり無口になってしまう。何かあったのだろうか。映画的な魅力としては、断然前半に軍配。
庭にある植物の茎からとろりと滴り落ちる白い液体や、パパイヤの実を割ったあとに出てくる小さな種の映像が、前半に暗喩的に差し込まれる。少女のムイはそれを見て、楽しそうにニコッと笑うのだが、何ともチャーミングだ。
白濁の液体やら、何か肉感的な果実の中身は、性的なもののメタファ―だという意見も多いし、私自身そんな気もしている。
映画の終盤、無口になってすっかり大人びてしまったムイが、パパイヤサラダをこしらえて、昔のように実を割って種を触り、何も言わずにニコッとする。
「ああ、彼女は少女の昔のままだ」と思わせる微笑ましいシーンだ。トラン・アン・ユン監督は、エロスよりも、それを伝えたいだけだったのではないか、とも思う。