『658km、陽子の旅』
熊切和嘉監督と菊地凛子が22年ぶりにタッグを組む、青森まで658キロのロードムービー。
公開:2023 年 時間:113分
製作国:日本
スタッフ 監督: 熊切和嘉 脚本: 室井孝介 浪子想 キャスト 工藤陽子: 菊地凛子 工藤茂: 竹原ピストル 立花久美子: 黒沢あすか 小野田リサ: 見上愛 若宮修: 浜野謙太 八尾麻衣子: 仁村紗和 水野隆太: 篠原篤 木下登: 吉澤健 木下静江: 風吹ジュン 工藤昭政: オダギリジョー
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- コミュ障の陽子が並々ならぬ苦労でヒッチハイクしながら青森を目指す旅。一日の話とはいえ、結構つらいロード-ムービーだ。
- 寒空の下の各地の旅情や人々との出会い、そして旅に付き添うような亡くなった父の幻。厳かな映像とジム・オルークの音楽の調和がいい。旅に踏み出すためのご都合主義的なお膳立てと、コミュ障の設定はちょっと残念。
あらすじ
就職氷河期世代である42歳の独身女性・陽子(菊地凛子)は、人生を諦めてフリーターとしてなんとなく日々を過ごしてきた。
そんなある日、かつて夢への挑戦を反対され20年以上疎遠になっていた父(オダギリジョー)の訃報を受けた彼女は、従兄の茂(竹原ピストル)やその家族とともに、東京から故郷の青森県弘前市まで車で向かうことに。
しかし、茂の家族は途中のサービスエリアで子どもが起こしたトラブルに気を取られ、陽子を置き去りにして行ってしまう。
所持金もなくヒッチハイクで故郷を目指すことにした陽子は、道中で出会ったさまざまな人たちとの交流によって、止まっていた心を揺れ動かしてゆく。
冷たい初冬の東北の風が吹きすさぶ中、はたして陽子は出棺までに実家にたどり着くのか。
レビュー(まずはネタバレなし)
菊地凛子の代表作となるか
菊地凛子主演のロードムービー。イニャリトゥ監督の『バベル』の聾者女子高生で一躍世界的に知られる女優になり、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィックリム』でも重要な役を演じるなど、ハリウッドの活躍が目立つ菊地凛子。
だが、不思議なことに彼女にはまだ、邦画での代表作といえる作品がなかった。
熊切和嘉監督は劇場映画デビュー作となる『空の穴』(2001)で、まだ本名の菊地百合子時代の彼女を寺島進とともに主演に起用しているが、22年ぶりのタッグとなる本作では、堂々の単独主演となる。
◇
そうはいっても華やかな役ではない。菊地凛子の演じる主人公・陽子は、独り暮らしでひきこもり。狭いアパートでイカ墨パスタを頬張りながら、PCサポートデスクのチャット業務をこなしている。
顧客の評価は最低だわ、スマホは壊れるわで、冴えない生活。『バベル』の女子高生のように耳が聞こえないのかと思ったが、そうではなく単にコミュ障のようで、ほとんど言葉を発しない。
そこに突然、従兄の茂(竹原ピストル)がやってくる。ケータイが壊れたせいで連絡がつかないために、わざわざ来たのだ。長年断絶していた実家の父が昨夜亡くなったという。
「ちゃんとお別れしろ。わぁがついててやっから」
実家は青森、茂のクルマで帰省する長旅だ。自分を<わぁ>と呼ぶ方言が、津軽を舞台にした『いとみち』を思い出す。竹原ピストルはミュージシャンだが、俳優としても熊切監督作品の常連で、何を演じても味わい深い。
父の死を悲しんでいるのか、或いは長年の確執から悲しんでもいないのか、心の整理がつかない陽子と茂の家族を乗せたクルマが青森に向かう。
小さな子供たちの車内での喧騒が凄い。このロングドライブは陽子でなくてもつらそう。
だが、途中のサービスエリアで子どもがケガをして急遽病院に。離れていた陽子は置き去りにされてしまう。所持金は乏しく、ケータイもない陽子は、どうにかして父の葬儀に行かねばならない。
こうして、コミュ障の彼女のヒッチハイクの旅が始まる。
とにかく北へ
およそ明るい要素のない映画なのだが、途中何度か登場する陽子の父親の幻(オダギリジョー)の場面は少しファンタジックで面白い。何の気配もなく亡霊のようにスッと現れるカットはどれも秀逸だ。
18歳で家を出た陽子が覚えている、当時42歳の父の姿だから、父親の幻は今の陽子と同じような年齢なのである。この父親はけして優しくなく、むしろ乱暴で厳しい存在なのだが、彼女はこの帰省の旅で、この父親と対峙していくことになる。
熊切監督の『海炭市叙景』から次々と映画化された佐藤泰志原作の函館舞台もの。『海炭市叙景』には竹原ピストル、監督は異なるが『オーバー・フェンス』にはオダギリジョー、『きみの鳥はうたえる』には菊地凛子の旦那の染谷将太(ちょっと無理やりか)。
なので、本作の顔ぶれをみると、どこか寒い国を連想する。函館となると車旅は連想しにくいので、「とにかく北へ」の目的地を青森にしたのは正解かもしれない。
いずれにせよ、本作の設定で目指すべき地は、どうしたって寒い地域だろう。南国に行っても風情がでない。
雪がちらつく、凍てつくような空気と吐く息の白さが、ジム・オルークの心に沁みるシンプルでアコースティックな音楽に合うのであり、また陽子の心情とも調和するのだ。
本作では、サービスエリアから必死で交渉してヒッチハイクで乗せてくれるクルマをみつけた陽子が、それから車を乗り継ぐたびに、いろいろな人々と出会い、コミュ障だった自分も変わっていく様子が描かれる。
ただ、パターンが分かってしまうと、それまでの先の読めないワクワク感がなくなってしまい、終盤に向け凡庸になったのが残念だ。これはロードムービーの宿命か。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
ヒッチハイクの出会い
最初に乗せてもらうのが、仕事探しの面接を終えて帰省する女(黒沢あすか)のクルマ。ろくに会話もできず、最後に「おカネを貸してほしい(ここのATMでおろして)」と無茶な要求をする陽子がイタい。
そしてトイレのみの寂れたPAに取り残され、夜になって一人ぼっち。同じようなヒッチハイカー(見上愛)が現れ、徐々に親しくなるのだが、このシーンは寒そうだし暗くて怖そうで、観ているこっちも心細くなる。
公衆トイレも物寂しい感じで、菊地凛子とは『バベル』共演の役所広司『PERFECT DAYS』のデザイナーズトイレとは随分違う雰囲気。
不安を煽るこのシーンあたりまでは、陽子の言動も予想不可能で、とても楽しめた。だが、ここからは展開が弱い。
- 女ひとりのヒッチハイカーを親切心だけで乗せるはずがない浜野謙太(『ロマンスドール』の卑劣漢を思い出した)
- 親切で気立てのいい夫婦(吉澤健、風吹ジュン)
- その口利きで乗せてくれた何でも屋の女性(仁村紗和)
- 必死の訴えに応えてくれた少年の寡黙な父(篠原篤)
いい人もいれば悪い人もいるが、その出会いと別れの中で、陽子はついに、コミュ障を少しだけ克服する。乗せてくれたお礼が言えたり、帰省の目的を語れるようになるのだ。
設定に無理があった気も
老人(吉澤健)の農作業で汚れた手に自分の父の姿を重ねた陽子は、別れ際に握手を求める。自分の覚えている42歳の父も、死んだ時にはこういう老いた手になっているのだろうと、現実に向き合えたのかもしれない。
そこから、何かが吹っ切れた陽子。これまで、聞かれても何も答えられなかった彼女の口から、父への反発心や、親元を飛び出して上京しても結局何にもなれず、でも意地になって帰省しなかったことなどが、流れるように語られる。
ここは感動シーンなのかもしれないが、正直、語りすぎだと思った。全ての心情が台詞によって説明されようとしている。珍しく台詞のないオダギリジョーに新鮮な魅力を感じたように、菊地凛子にも台詞で成長を伝えて欲しかった。
◇
泳げない子を海に放り投げれば、必死で泳ぎを覚えるようになるとでも言わんばかりの荒療治で、コミュ障が改善するものなのかどうかは良く知らない。こういう手法が有効だとすれば、映画になっても良いのだと思うが。
ついでに言わせてもらえば、サービスエリアでケータイなしで置き去りになっただけで、コミュ障の女がヒッチハイクで青森まで行くという設定にはやはり無理がある。
茂は実家に連絡したり、子ども連れで病院からすぐにSAに戻りはするが、結構大きなSAだったし、電話すれば迷子のお呼び出しをしてくれたのではないか。まあ、それでは映画にならんけど。
最後に、ようやく陽子は実家にたどり着く。出棺には何とか間に合った。老いた父の死に顔を見せないのはよい。
それにしても、竹原ピストルって、ラストにちょっと出るだけでも、おいしいとこ持ってくなあ。『浜の朝日の嘘つきどもと』でも、主演の高畑充希の印象が、彼のラストのカメオ出演に喰われていたのを思い出した。