『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
喋れない志乃に南沙良、歌えない加代に蒔田彩珠。デュオを結成し学園祭を目指す。
公開:2018 年 時間:110分
製作国:日本
スタッフ 監督: 湯浅弘章 脚本: 足立紳 原作: 押見修造 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」 キャスト 大島志乃: 南沙良 岡崎加代: 蒔田彩珠 菊地強: 萩原利久
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 喋れない志乃と歌えない加代がデュオを結成し学園祭を目指す。苦悩だらけの高校生活だが、友情は尊い。「リンダリンダリンダ」とは全く違うテイストの女子高生バンドもの。沼津の海は美しく青春の苦悩は深いのだ。
あらすじ
高校一年生の志乃(南沙良)は上手く言葉を話せないことで周囲と馴染めずにいた。ひとりぼっちの学生生活を送るなか、校舎裏で出会ったことをきっかけに同級生の加代(蒔田彩珠)と友達になる。
音楽好きなのに音痴な加代は、思いがけず聴いた志乃の歌声に心を奪われバンドに誘う。コンプレックスから周囲と距離を置き卑屈になっていた志乃だが、加代にバンドを組もうと誘われて少しずつ変わっていく。
文化祭へ向けて猛練習が始まった。そこに、志乃をからかった同級生の男子・菊地(萩原利久)が強引にバンドに加入することになる。
レビュー(ネタバレなし)
コンプレックスを持つ二人の出会い
なんの予備知識もなく観たことで、すべてがとても新鮮に思えた。タイトル通り、うまく自分の名前も言えず、新しい高校生活にも馴染めない孤独な女の子・志乃。
冒頭の転校初日の朝、自己紹介が憂鬱で、目覚ましより早く目覚めてしまう志乃。アニメ『聲の形』と似た世界を想起させる。一方、群れないクールな同級生に見えた加代が、実は音楽好きなのに音痴で悩んでいると分かる。
◇
人前で喋れない志乃と、人前で歌えない加代。互いに相手が自分にはないものを持っていると気づく。
いつしか二人で女性デュオとして路上演奏を始めるあたりから、ついつい観る方も応援モードになる。一言も語らないのに、温かく二人の練習を見ている公園の清掃職員(渡辺哲)と同じ思いだ。
高校生の学園祭バンドものとしては、たまたま昨日観た大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』と被ったが、青春ど真ん中で苦悩している高校生たちの描き方はまるで違う。
女性デュオの邦画としては、小松菜奈と門脇麦の『さよならくちびる』を思い出した。あちらはユニット名が<ハルレオ>、こちらは<しのかよ>。
どっちも二人の名前を並べたものであり、また男が一人入ってきて和が乱れるところも共通するが、本作の方が先に世に出ている。
涙と洟水と逆光と
南沙良と蒔田彩珠のダブル主演。ちょっと触ると壊れてしまいそうな二人の繊細な友情を、丁寧に映画に表現している。湯浅弘章監督は長篇初監督ながら、映像の切り取り方にセンスを感じる。
志乃が加代の歌を笑って彼女を傷つけてしまい、後日にカラオケ店の前で心から詫びる、涙と洟水と逆光の入り混じるシーンは珠玉の名場面だ。
一生懸命に喋ろうとする南沙良と、話し出すまでに間を取る蒔田彩珠の対照的な演出で、いちいちどう転ぶか分からない二人の会話に、よい感じの緊張感が生まれている。
志乃を苦しめている吃音、特に母音からの発音が苦手という設定は、原作者・押見修造の実体験をもとに描かれたそうだ。重松清の『きよしこ』も作者の原体験に基づいていたと記憶するが、本作にも同様にリアリティがあるように思う。
なお、押見修造は敢えて「吃音」や「どもり」という言葉を原作で使っておらず、湯浅監督もそれを踏襲している。「吃音」の作品というレッテルを貼らずに、誰にでも当てはまる物語にしたいということらしい。
◇
舞台となった静岡県沼津市、路上ライブの最初に立った海のそばの橋の上。通行人から近すぎてちょっと歌うには度胸が要りそうだけど、映画的にはもってこいの場所だ。
それに、漁港に沿った海岸線の道の自転車通学、教室の窓外からみえる雄大な駿河湾、校舎の屋上に至っては観光名所になりそうな絶景。
実に羨ましいかぎりのロケーションの学校だが、それが楽しいスクールライフにつながる訳ではないことを、映画が如実に示してくれる。
レビュー(ネタバレあり)
異分子の投入による化学反応
加代が学園祭に向けてオリジナルの作詞作曲を始めたあたりから、これは当然ふたりの固い友情でステージを成功させて自信を回復する鉄板ストーリーだと、信じて疑わなかった。
だが、そこはさすが『惡の華』の押見修造の原作と、『百円の恋』の足立紳の脚本である。そんな簡単に見透かされる展開ではなかった。
異分子として投げ込まれるのはお調子者でうるさい級友の男子・菊地だ。
萩原利久は『アイネクライネナハトムジーク』同様、爽やかな好青年役だが、それは見た目であり、今回の役は、人が気に障るようなことを無意識に言い、騒ぎ立てる、空気の読めない男。
ああ、こういうヤツいたいた、と誰もが思い当たるキャラだが、当然にしてクラスからは浮きまくり、気づけば<しのかよ>にタンバリンで参加したいと二人に懇願している。
◇
菊地の参入で空気が変わる。二人だけの静かで親密な空間は、元気だがうるさくガサツなものになる。
もとの内向的な性格に戻ってしまう志乃は、大切な加代を菊地に奪われたと感じたのか、或いは、何も苦労なく楽しそうに話し合える二人をみて、つらくなったのか。ついに、<しのかよ>を辞めると言い出す。
魔法がほしい、魔法はいらない
海岸沿いのバス停で夜を明かす終始無言の二人。夜明けの空が美しく、そして悲しい。
「こんなにつらい思いをするなら、ひとりでいい!」
そんな志乃にどうしてよいか分からず、寂しそうに去っていく加代。
「自分の空気消して、どこにもいない風にして生きてるなんて、お前ダセえよ。ミジンコ以下だ」
自分の立場を分かっていながらも、志乃を責めてしまう菊地。
◇
そして、加代の自作の歌。
「みんなと同じに喋れる魔法 みんなと同じに歌える魔法」
魔法がほしいと言っておきながら、歌の終わりには魔法はいらないとなる心のゆらぎ。魔法で解決するのではなく、自分に打ち勝つのだ。加代が歌にこめたその思いを、志乃が受け止めた。そう私は理解した。
下手に歌いながら、聴くものを惹きつけなければいけない。結構ハードルの高いステージだったのではないか。
学園祭は終わっても、加代は屋上でギターを弾きながら、菊地は校舎の裏で隠れるように、そして志乃は教室でひとり孤独に、弁当を食べる。一度離れた関係が修復するには、相応に時間がかかるものらしい。
志乃には、新しい理解者らしき級友も現れ、けして寂しい結末ではないが、原作はともかく映画としてはもう少しハッピーな終わり方でもよいのに。そう思っていると、配給は<ビターズエンド>と出てくる。なるほど、苦い。