『チィファの手紙』
你好,之华
岩井俊二監督が『ラストレター』より前に、中国を舞台に撮っていた姉妹作。同じ内容でも、印象は大きく異なる。
公開:2018 年 時間:113分
製作国:中国
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
亡くなった姉のチィナン宛に同窓会の招待状が届き、妹のチィファ(ジョウ・シュン)は姉の死を知らせるために同窓会に参加するが、姉の同級生たちに姉本人と勘違いされてしまう。
さらに、そこで初恋相手の先輩チャン(チン・ハオ)と再会したチィファは、姉ではないことを言い出せないまま、チャンと文通することになる。姉のふりをして始めた文通が、やがて初恋の思い出を浮かび上がらせていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
配達された三通の手紙
岩井俊二監督は過去にペ・ドゥナの主演で韓国ロケしたショートフィルム『チャンオクの手紙』(2017)を配信している。そして、それを長編化した脚本で、日本と中国でも作品を撮る企画を考えた。
日本において、それは松たか子主演の『ラストレター』(2020)となったが、実はそれに先立ち、中国では本作『チィファの手紙』(2018)が公開されていた。
同作は、日本では『ラストレター』に8か月遅れて公開された。配役も舞台も全く異なるが、物語はほぼ同じである。
同じ題材を後年に違う監督が撮ったり、或いは自身でセルフリメイクする例はあっても、ひとりの監督が、同じ内容をほぼ同時期に違う作品として公開することは珍しい。
そのような経緯から、日本において本作は、『ラストレター』を観た岩井俊二ファンが、その後に観るというパターンが圧倒的に多いように思う。言い換えれば、中国の岩井ファンを別にして、『チィファの手紙』だけを観ている人は少ないと想像できる。
従って、本作の物語そのもののレビューは、同じ内容である『ラストレター』のレビュー記事をお読みいただければと思う。
それにしても、『Love Letter』に始まり、SNSにも話を広げた『リップヴァンウィンクルの花嫁』、そして<配達された三通の手紙>とでもいおうかこの三部作と、岩井俊二監督の手紙好きもここに極まった感がある。
『ラストレター』との比較
本レビューでお伝えしたいのは、二つの作品を見比べての感想だ。正直、内容は勿論、台詞まわしまで酷似している作品なのに、ここまで印象が異なるのには驚いた。
その違いを端的に表現すると、『ラストレター』はいかにも岩井俊二監督らしく、女優をこれでもかというほど輝かせて、繊細な映像のなかに華やかさをもたせる作品だ。
対して、『チィファの手紙』はとても落ち着き払った、静かな映画であり、物語自体をしみじみと味わうには、そのしっとりとしたトーンがとても適していたように思う。
華やかさの日本版と、落ち着きの中国版とでもいえばよいか。
例えば、どちらも冒頭は主人公の姉の葬式のシーンから始まるが、日本版では確かその前に、少女たちが美しい自然の中、水辺で戯れる場面が入る。一方、中国版はいきなりどんより暗く寂しい葬儀のシーンだ。それが、作品全体のトーンにもなっている。
『ラストレター』は自然の美しい地方都市を舞台に、主演の松たか子の醸し出す陽気で朗らかな雰囲気が、本来は寂しいはずの物語を軽やかにしてくれている。
一方の本作は、チィファを演じるジョウ・シュン(中国四大女優のひとりだそうだ)が終始、沈んだ雰囲気の芝居で通す。
更に、回想シーンの舞台である旅順などの地方都市が、時代背景からすると相当貧しく何もない町の設定になってしまい、作品全体はかなり重苦しく地味な印象だ。
キャストの比較
それは、どちらが良い悪いという問題ではなく、観る者がどちらを好むかということであり、配役についても、同じことがいえる。両作品のキャストを比較してみよう。
- 主人公(妹)
裕里:松たか子
チィファ:ジョウ・シュン - 妹の少女時代
裕里:森七菜
チィファ:チャン・ツィフォン - 妹の娘
颯香:森七菜
サーラン:チャン・ツィフォン - 姉の少女時代
未咲:広瀬すず
チィナン:ダン・アンシー - 姉の娘
鮎美:広瀬すず
ムームー:ダン・アンシー - 憧れた先輩
鏡史郎:福山雅治
イン・チャン:チン・ハオ - 先輩の少年時代
鏡史郎:神木隆之介
イン・チャン:ビィン・テンヤン - 妹の夫
宗二郎:庵野秀明
ウェンタオ:ドゥー・ジアン - 姉の元夫
阿藤:豊川悦司
ジャン・チャオ:フー・ゴー - 元夫の恋人
坂江:中山美穂
ジーホン:タン・ジュオ - 姉の息子
チェンチェン:フー・チャンリン - 妹の息子
瑛斗:降谷凪
主役である妹役の松たか子とジョウ・シュンのキャラの差異と同様、姉の少女時代とその娘役を演じた広瀬すずとダン・アンシーも、ちょっと違う。ダン・アンシーは、真面目そうな美形生徒会長としてリアリティがあるが、広瀬すずは美人すぎて嘘くさい。
一方で、面白いことに、妹の少女時代とその娘役を演じた森七菜とチャン・ツィフォンは、野暮ったさとダイヤの原石のような輝きを感じさせ、雰囲気はよく似ている。
女優の配役に関しては日本版も中国版もそれぞれに魅力があると感じたが、男性陣は中国版の配役の方がこの物語には合っていたと思う。
死んだ姉に未練たっぷりの煮え切らない小説家の男に、福山雅治はちょっと違うかな。(先輩が正しいと思わせるような)何か深い意味があるように見えてしまうのだ。ここはチン・ハオの方が似合っていた(彼と神木クンの組み合わせがいいな)。
同様に、うつ病で自殺するまでに姉を追い込んでしまった男と、その新しい恋人の配役も、豊川悦司と中山美穂では、意味ありげすぎて、ワンシーンだけの出演では座りが悪い。ここの配役も、『チィファの手紙』の方が、映画的にはバランスが良かったのではないか。
ほぼ同じ物語のなかで、家族構成が唯一違ったのが、男の子の存在。日本版では松たか子と庵野秀明の夫婦の息子(すなわち森七菜の弟)の設定であった少年が、本作では姉の息子という設定に変わっている。
これは、中国には一人っ子政策の時代に姉弟がいるのは不自然だから、妹夫婦ではなく、姉のほうで届けも出さずにひっそりと育てた設定にしたようだ。
中国らしい設定にきちんと向き合っていることは、画面から発せられる空気感からもよく分かる。
ただ、その設定変更のために、自殺したチィナンが遺書を残す相手は、娘のムームーだけでなくチェンチェンも加わることとなった。これは微妙に印象が変わってしまったかもしれない。
母が書き残した手紙は、生徒会長時代にイン・チャンの助けを借りて作った卒業のことばであり、自分に生き写しの娘のみに宛てたものの方が、映画的には効果的だった気もする。
この物語の三大<感極まるシーン>
この物語における、三大「感極まるシーン」は、以下だと私は勝手に思っている。
- 生徒会長時代の姉が彼の前で初めて自転車を降りてマスクを取る場面
- 彼に、俺の手紙を姉ちゃんに渡してないだろと責められて、妹が自分の恋文を渡してフラれる場面
- 犬の散歩をしている少女ふたりと校舎で出会い、二人とも母親にそっくりで彼が言葉を失う場面
そのいずれにおいても、『ラストレター』の方が、印象深く、これぞ岩井作品だと思わせる。ただ、中国映画で同じような絵を撮ってしまったら、それはローカライズした映画にならない。
◇
そもそも、日本と中国で同じ物語を映画化するのは、同じ絵を撮るのが狙いではなく、国別の持ち味を出すということなのだろう。だとすれば、本作の方向性は間違っていない。
でも、岩井ファンとしては、ちょっと、物足りないんだよなあ。さて、同じ物語、列島から見るか?大陸から見るか?