『ポトフ 美食家と料理人』
La Passion de Dodin Bouffant
美食家と料理人が、愛と人生をかけて挑む究極の料理。トラン・アン・ユン監督が贈る極上のひととき。
公開:2023 年 時間:134分
製作国:フランス
スタッフ
監督・脚本: トラン・アン・ユン
原作: マルセル・ルーフ
キャスト
ウージェニー: ジュリエット・ビノシュ
ドダン・ブーファン: ブノワ・マジメル
ポーリーヌ:
ボニー・シャニョー=ラヴォワール
ヴァイオレット: ガラテア・ベルージ
ラバス: エマニュエル・サランジェ
グリモー: パトリック・ダスンサオ
マーゴット: ヤン・ハムネカー
ボーボワ: フレデリック・フィスバック
オーギュスタン: ジャン=マルク・ルロ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
19世紀末、フランスの片田舎。「食」を追求し芸術にまで高めた美食家ドダン(ブノワ・マジメル)と、彼が閃いたメニューを完璧に再現する天才料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)の評判はヨーロッパ各国に広まっていた。
ある日、ユーラシア皇太子から晩餐会に招かれたドダンは、ただ豪華なだけの退屈な料理にうんざりする。
食の真髄を示すべく、最もシンプルな料理・ポトフで皇太子をもてなすことを決めるドダンだったが、そんな矢先、ウージェニーが倒れてしまう。
ドダンはすべて自分の手でつくる渾身の料理で、愛するウージェニーを元気づけようとする。
レビュー(まずはネタバレなし)
パパイヤからポトフだね
『青いパパイヤの香り』のトラン・アン・ユン監督が19世紀末のフランスを舞台に描いた、美食家と料理人の物語。
先日、村上春樹原作の『ハナレイ・ベイ』(松永大司監督)を観たばかりだが、トラン・アン・ユン監督も以前に『ノルウェイの森』を撮っていたっけ。
◇
ポトフといわれると、世代的に思いだすのは「♬さよならニンジン、ポテト」のフレーズが懐かしい斉藤由貴の名曲「土曜日のタマネギ」。
あの歌にも出てくるように、ポトフは何の変哲もないフランスの家庭料理で、美食家とは縁遠い代物だろう。だが、それをあえて持ち出すところに、本作の面白味がある。
映画は冒頭から、自然光溢れる美しいキッチンで、使い込んだ料理道具で忙しく何種類もの料理を仕上げていく家族の様子が延々と描かれる。
いや、家族と書いてしまったが、娘二人に手伝わせている料理人夫婦のシーンだと思い込んで観ていたところ、やがて早合点であることに気づく。
◇
父親と思っていた男性は美しいシャトーに暮らす有名な美食家ドダン・ブーファン(ブノワ・マジメル)。そして彼のひらめきを美味しい料理に具現化するのは天才料理人のウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)。
娘たちも二人の子供たちではなく、使用人のヴァイオレット(ガラテア・ベルージ)と、その姪っ子のポーリーヌ(ボニー・シャニョー=ラヴォワール)なのだ。
その日に参加したばかりのまだ年若いポーリーヌは、絶対音感ならぬ絶対味覚の持ち主で、料理人としての才能を予感させる。
五感を刺激する料理シーン
ウージェニーが次々と調理を進めていく手の込んだフランス料理の数々。娘たちに的確な指示を与えながら、手際よく料理を創り出していくのだが、これが見ていて飽きない。
肉の焼ける音、野菜を炒める音、鍋や食器をこする音。視覚と聴覚を刺激し、誤作動した嗅覚がおいしそうな匂いを嗅ぎ取る。空腹時に観るのは酷かもしれない。
彼女の料理を何人かの美食家男性たちが、実に美味しそうに堪能していく。この展開が実に長い時間繰り返され、最後にはデザートにたどり着く。(メレンゲの中に自家製アイスとは!)
◇
この工程をただ観ているだけで、なぜか気持ちがほっこりしてくる。『土を喰らう十二ヵ月』で沢田研二が厨房で精進料理を作る姿を眺めているときにも、こんな多幸感があったっけ。
料理人が愛情をこめて料理をしているシーンは、何か心を打つものがあるのだろう。高級レストランの舞台裏を描いた『ボイリング・ポイント 沸騰』は、その愛情が欠落していたので凡庸だった。
美食家と料理人の不思議な関係
長い長い食事シーンがようやく終わり、日が落ちた水辺で寛ぐドダンとウージェニー。二人は夫婦ではなく、ドダンが何度もプロポーズしているが、ウージェニーがそれをはぐらかし、ただ恋愛関係にはあるという仲らしい。
実生活でも、ジュリエット・ビノシュとブノワ・マジメルは子供もいる元パートナーの間柄だ。破局を迎えてもこういう役柄で共演するところが、実にフランス映画っぽい。
ドダンが「君が食べているところを見ていていいかい?」とウージェニーに尋ねるのもどこかエロいし、中盤でドダンがウージェニーに出した洋梨のコンポートが、次のカットでは彼女の裸体に重なる演出も心憎い。
伊丹十三監督の『タンポポ』を例に出すまでもなく、食べることはエロスに繋がるのだ。
ドダンとウージェニーの料理に舌鼓を打つ美食家の男性陣は、一般的には金満家でいけすかない連中として描かれることが多いと言えるだろう。
だが本作ではみな純粋に美食が好きな人たちであり、ドダンやウージェニーとも気心の知れた友人たちというのが興味深い。
そして、この仲間たちとともに、ドダンはユーラシア皇太子の招待を受けて晩餐会に行き、3コースで8時間もかかる耐久レースのような食事をふるまわれる。
なんの哲学も主義主張もなく、ただ贅を尽くしただけの料理にうんざりしたドダンは、食の真髄をお見せしようと、家庭料理の代表選手ポトフを選んで、皇太子を逆に招待する。
なるほど、だからポトフなのだ。ようやくタイトルに繋がった。さあ、テーマは決まったぞ。あとは鉄人シェフがキッチンスタジアムに入るだけ。
だが、そう単純に物事は進まなかった。結局、我々は最後までポトフの完成を見届けることはない。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
さて、冒頭の長時間にわたる調理シーンでも匂わされていたことだが、ウージェニーは正体不明の病に冒されており、彼女がついにドダンと結婚したあとにも病魔は進行し、ある日、ついに帰らぬ人となる。
彼女の死に顔も遺影も見せず、葬列に参加する人々も号泣することなく、実に節度ある死の描き方である。これはフランス映画的な表現なのだろうか。邦画ではこうはいかない。
晩年に結婚した自分たちをなぞらえて、人生の秋だと自嘲するドダンに対して、「私はいつでも、死ぬときまで夏の盛りよ」と、生前ウージェニーは笑って語っていた。
悲嘆に暮れるドダンだったがようやく少しずつ回復し、弟子入りしたポーリーヌとともに、ウージェニーに代わる料理人を探そうと、応募者の実技試験を繰り返す。
だが、<夏の盛り>のように料理人として最盛期だった彼女の代役など、簡単に見つかるはずがない。
◇
ところで、ドダンが預かって料理人として育てることになったポーリーヌ。ウージェニーが亡くなったので教育できないと一度は謝絶したものの、結局引き取っている。才能の芽を摘んではいけないと、ウージェニーの遺志を継いだのだろう。
美しく聡明そうなポーリーヌを演じたボニー・シャニョー=ラヴォワールは、食べる姿が上品でとても絵になる。この役に相応しい女優だ。
映画は最後に、回想なのか幻なのか、亡くなったウージェニーとドダンのキッチンでの会話シーンとなる。
「私はあなたの料理人?それとも妻?」
彼女はそれを聞いておきたかったという。日本映画であれば、ここで彼女が満足する回答は「君は僕の妻だよ」一択なのではないかと思うが(え、違う?)、ドダンは「料理人だ」と答える。
でも、彼女にはこれが正解だったようだ。20年も料理人として彼と歩んできた自負があるのだろう。最後に二人は仲睦まじく手を握り合う。
美しい映画だが、これに感化されて、「君はオレの料理人だよ」などと我が家で言おうものなら、そこから先はスリラーになる。