『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』
The Killing of Kenneth Chamberlain
早朝、通報を受けて安否確認にやってきた警官たちは、元海兵隊の黒人の老人がドアを開けないことで次第にヒートアップしていく。実話とは驚き。
公開:2023 年 時間:83分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督・脚本: デヴィッド・ミデル
製作総指揮: モーガン・フリーマン
ロリー・マクレアリー
キャスト
ケネス・チェンバレン:
フランキー・フェイソン
ロッシ巡査: エンリコ・ナターレ
パークス巡査部長:スティーブ・オコンネル
ジャクソン巡査: ベン・マーテン
トニア・グリーンヒル:アンジェラ・ピール
フラニガン巡査: トム・マッケロイ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
2011年11月19日、早朝のニューヨーク。双極性障害を患うケネス・チェンバレン(フランキー・フェイソン)は、就寝中に医療用通報装置を誤作動させてしまう。
安否確認にやって来た三人の警官に、ケネスはドア越しに通報は間違いだと伝えるが信じてもらえない。
最初は穏便に対応していた警官たちは、ドアを開けるのを拒むケネスに不信感を募らせ、次第に高圧的な態度をとるようになっていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
警察官見て安心する人、しない人
なんてストレートな作品なのだろう。本作の上映時間は、実際の事件とほぼ同じで、事件をリアルタイムで追体験するドキュメンタリーのようだ。早朝5時半頃におきたちょっとした不運から始まる、負のスパイラル。
「警察官を見て安心する人もいれば、恐怖のどん底に陥る人もいる」
冒頭に登場する引用句。そう、これは紛れもなく後者に属する、ケネス・チェンバレン(フランキー・フェイソン)という70歳の元海兵隊の老人の身に起きた出来事。
◇
ニューヨーク州ホワイトプレインズ、黒人の多く住むアパートの独居老人であるケネスは、夜中に医療用通報装置を誤作動させてしまう。
問いかけにも返答がなかったため、オペレーターは安否確認を手配する。しばらくして現れたのは三人の制服警官。ノックの音に目覚めたケネスは、「帰ってくれ、緊急事態ではない。私は大丈夫だ」と答える。
だが、けしてドアは開けない。躁うつ病を患っているケネスは、過去に誰かが部屋に無断侵入して靴を盗んだと思い込んでおり、警察にドアを開くことを頑なに拒む。
はじめは安否さえ分かれば用事は片付いたと思っていた警官たちだが、あまりに頑なにドアを開けないことで、ケネスに不信感を強めていく。
「きっと大麻か何か、見られては困るものがあるに違いない」
当初のマイルドな雰囲気から、少しずつ依怙地になっていく警官。早朝だというのに、ノックの音も、まるで闇金融の取り立てのような激しいものに変わっていく。
警官も三者三様
この警官の態度の豹変が怖い。三人の警官は<良い警官・悪い警官>の尋問戦術ではないが、善人キャラとキレやすいキャラに分かれる。
元中学教師のロッシ巡査(エンリコ・ナターレ)は良識のある穏健派。
上司にあたるパークス巡査部長(スティーブ・オコンネル)は職務に忠実のようにみえたが、しまいにはヒートアップしてくるタイプ。
そして更にタチが悪い、狂犬のようにすぐ熱くなるジャクソン巡査(ベン・マーテン)。
彼らがいろいろ意見を言い合いながら、なかなかドアを開けないケネスに対して、IDを見せろ、ドアを開けろ、中に入れてくれ、と言う風に、しだいに要求水準をあげていき、言葉遣いもアクションも、しだいに乱暴になっていく。
ドアを挟んでのケネスと警官とのやりとり、そして医療用通報装置から聞こえる女性オペレーターの声、殆どこれだけで映画が進んでいく。
◇
よく考えたら、カメラもケネスのアパートの部屋の中とドア前の廊下から一歩も離れていない。
だからこそ、この息が詰まるような緊迫感が持続するのだ。ここでアパートの遠景でも登場しようものなら、一気に気が緩んでしまうところ。
黒人ゆえの悲哀
オペレーターはケネスの無事が分かったために、安否確認の調査依頼の取りやめを通告するが、すでに頭に血が上った警官たちは、聞く耳を持たない。
こうして、ケネスの無事を確かめることはもはやどうでも良くなり、ドアを開けて部屋の中に入らないことには、引っ込みがつかなくなってくる。
実力行使でドアをこじ開けてやる。もはや、ケネスの姪っ子がいようが、アパートの住民の厳しい目があろうが、お構いなしに斧やテーザー銃を準備する悪徳警官たち。『スリー・ビルボード』の不正警官を思い出す。
◇
主人公ケネス役のフランキー・フェイソンは、『羊たちの沈黙』の『ハンニバル』三部作で、レクター博士を監視する看護師バーニーを演じていた人物だ。『レッド・ドラゴン』リメイク前の『刑事グラハム/凍りついた欲望』にも出演している(異なる役だが)。
本作は実際の時間の流れに沿うように撮られた作品なので、何の寄り道もせずに、愚直に事件の経過を追い続ける。
警官たちが安否確認し、ドアを開けるように要求すること自体は、ケネスが黒人であることとは無縁である。
だが、その後に強行策に出ることや、テーザー銃やら斧やらを用意するなどエスカレートすることには、警官が三人とも白人でありケネスが黒人であることと、因果関係がないとは言わせない。
これ見て思い出すのは『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督のデビュー作『フルートベール駅で』。あれも実際の事件に則した、白人警官が巻き起こす黒人青年の悲劇の映画だった。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
◇
「彼はなぜ警官に殺されたのか?」
これが映画のキャッチコピーであり実在の事件がベースなのだから、最後にケネスがどうなるのかということ自体はネタバレではないのかもしれない。
だが、それを知らずに最後までハラハラしながら観た身としては、これは知らずに観た方が楽しめる。善人警官のロッシが何とか打開策を見出してくれると期待したのだが…。
業を煮やして、アパートのドアを斧で壊して突入しようとする警官たち。まるで『シャイニング』ではないか。緊急対応犯(SRT)まで招集される。もはやケネスには勝ち目はない。
「令状もなしに、どうしてそんなことができるのか。違法行為だ!」
正論で戦うケネスだが、聞く耳を持たぬ<あぶない警官>たち。あまりに目に余る過剰行為に、しまいには「こいつら全員、ジョン・ウィックにでも射殺されてしまえばいいのに」と、こちらもヤバい感情が迸る。
狂犬のジャクソン巡査が「ファッキン・ニガーめ!」と口走って、身内の黒人警官にブチギレされるシーンで、もっと激しく仲間割れして撃たれちまっても良かった。
◇
だが結局、最後に暴走して、ケネスに銃口を向けてトリガーを引いてしまうのはジャクソンだった。朝7時。悲劇の始まりからものの1時間半で、何の罪もない善良な老人が殺されてしまう。
それでも逮捕者はゼロ。最後に本物の録音テープや本物のケネスの写真が登場する。それは効果的ではあるが、80分程度の映画にしてはちょいと時間が長い。もっとスパっと終わらせた方が、映画的には切れ味が出たように思う。
こういう事件をきちんとドキュメンタリー風に採り上げる姿勢は立派だけどね。