映画『セブン』考察とネタバレ !あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『セブン』今更レビュー|定年退職間際の刑事には死亡フラッグが

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『セブン』 
 Seven(Se7en)

デヴィッド・フィンチャー監督が世間の度肝を抜いた、衝撃的な出世作。

公開:1995 年  時間:127分  
製作国:アメリカ
 

スタッフ 
監督:     デヴィッド・フィンチャー

キャスト
デヴィッド・ミルズ:  ブラッド・ピット
ウィリアム・サマセット: 
          モーガン・フリーマン
トレイシー・ミルズ:   
         グウィネス・パルトロー
警部:        R・リー・アーメイ
ジョン・ドゥ:   ケヴィン・スペイシー

勝手に評点:4.0 
         (オススメ!)

あらすじ

退職を間近に控えたベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)と若手刑事ミルズ(ブラッド・ピット)は猟奇連続殺人事件の捜査にあたる。

犯人はキリスト教における七つの大罪に基づいて殺人を繰り返していることが明らかに。

やがてサマセットとミルズは容疑者を割り出すが、その人物に逃げられ、さらにミルズの素性が知られていたことも発覚する。そしてさらなる殺人事件が続いた後、驚愕の事態がおきる。

レビュー(まずはネタバレなし)

名刺代わりとなった異色作

災難続きで悪評も多い『エイリアン3』(1992)を黒歴史として抹殺したいデヴィッド・フィンチャー監督が、三年後に復帰してメガホンを取った本作で彼らしさを前面に出し、興行的にも大きく成功を収める。

無造作に落書きのように書かれたタイトルと出演者のクレジット。ナイン・インチ・ネイルズによるクールなロックのナンバー。しかも、タイトルは「Se7en」とひねりを利かせた表記。このハイセンスに、日本でもヤラれてしまった者は多かった。

冴えない田舎町に発生した猟奇殺人。スパゲティに顔を埋めて死んでいる、想像を絶する肥満の男。そこから事件は始まる。現場で捜査するのは、モーガン・フリーマン演じる、退職まであと一週間程度のベテラン刑事サマセット

そして、何の前振りもなく、現場に他所から転任してきたという若手刑事ミルズブラッド・ピット。現場で初顔合わせする刑事のバディムービーとは、映画の中では無駄な説明は徹底的に排除する主義か、デヴィッド・フィンチャー

ブラッド・ピットはただのルックスだけの人気俳優ではないことを、本作の演技で示してくれる。1995年の出演作は本作のほかに『12モンキーズ』(テリー・ギリアム監督)と、作品にも恵まれている。

定年間際の老刑事のモーガン・フリーマンは、滋味深い。1997年に始まった織田裕二の人気ドラマ『踊る大捜査線』の和久さんは、絶対この老刑事を意識していたな、と在りし日のいかりや長介を振り返る。

七つの大罪

最初の肥満死体は、月曜に発見され、そこから七日間の戦いが始まる。この被害者は、強迫され12時間も食い続けた末に胃が破裂。そして毎日のように事件の被害者が発見される。

被害者ではなく犯人が残しているので、ダイイングメッセージとは言わないのかもしれないが、残された単語から、博学のサマセットはその意味に気づく。これは、<七つの大罪>だと。

あまり日本人には馴染みがないのかもしれないが、七つの大罪とはキリスト教における、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情を指す。具体的には以下のとおり。聞き慣れない英単語も散見される。

  1. Gluttony(大食)
  2. Greed(強欲)
  3. Sloth(怠惰)
  4. Lust(肉欲)
  5. Pride(高慢)
  6. Envy(嫉妬)
  7. Wrath(憤怒)

これを知ったところで、映画のネタバレには全くならないので、心配には及ばない。

何らかのルールに則って連続殺人が行われていくプロットは、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』のよう。いや、惨たらしい殺人方法は、むしろ横溝正史の『悪魔の手毬唄』に近いか。

大罪が七つあるとなれば、月曜から始まり一週間で完成するということかと想像できる。私のごとき凡人の想像は、せいぜいその程度だ。だが、映画は大罪が残り少なくなった終盤で、驚くべき展開を見せる。

フィンチャーらしさならこの一本

折り合いの悪い二人の刑事の間を取り持つかのように登場するミルズの妻トレイシー(グウィネス・パルトロー)も、本作においては極めて重要な役割を担っている。

彼女の夕食の誘いでミルズ夫妻のアパートに訪れたサマセットが、電車が通るたびに大揺れする彼らの部屋に驚く(ドリフのコントみたい。またしても長さん繋がり)。ここは本作で唯一といっていい、出演者が笑うシーンだ。

それ以外は、基本ダウナー系の映画である。デヴィッド・フィンチャー作品で私のイチオシは本作の次に撮られた『ゲーム』(1997)なのだが、映画の放つダークな雰囲気と厭世観みたいなものは、本作が上回っている。

それをフィンチャーらしさというのなら、こちらの方が、彼の代名詞的な作品といえるのだろう。観終わった時に幸福感は微塵もないが、観ておくべき映画であることに間違いはない。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

神曲、失楽園、カンタベリー物語

最初の犯行現場を見て、サマセットは担当をはずしてくれと上司(R・リー・アーメイ)に申し入れる。サマセットには、事件がまだ続くことが読めていたし、とてもあと数日で退職する自分には解決できないと思ったのだ。

対照的に、手柄ほしさに躍起になるミルズ。二人とも、何か重たい過去を抱えていそうだったが、映画は必要以上に彼らの日常を掘り下げない。あくまで事件捜査がメインなのだ。

ダンテ「神曲」(川村元気じゃないよ)、ミルトン「失楽園」(渡辺淳一じゃないよ)或いはチョーサー「カンタベリー物語」。サマセットが次々に繰り出す作品に馴染みがなかったのが悔やまれる。私が知っていたのは「ベニスの商人」くらいだ。

猟奇殺人を繰り返す犯人を、ミルズはまぬけな精神異常者だというが、サマセットは、極めて知的で忍耐強い犯人だと主張する。そうでなければ、一年もの間、被害者の家賃を払い監禁し続けてミイラのように衰弱させられない。

キャスティングの勝利

図書館の貸出記録をFBIから不正に入手し、二人はジョン・ドゥという容疑者をあぶり出す。字幕では分からないが、ジョン・ドゥとは日本なら名無しの権兵衛的な名前であり、怪しさ満点だ。

こいつのアパートを訪ねていくと、丁度帰ってきたこの人物が、いきなり発砲して逃げるところは迫力がある。

ここから更にネタバレになるが、こいつは追ってきたミルズから見事に反撃の機会をつかみ、彼のこめかみに銃口をあてる。殺そうと思えばできたのに、なぜかそこで彼を救ってやるのだ。ここで殺してしまっては、ジョン・ドゥの美しい犯罪計画を汚してしまうから。

なんという、冷静で残虐な殺人鬼なのか。ジョン・ドゥはこの二人の刑事の存在を知り、ついには、警察署の中にまで現れて、大声でミルズを呼び止める。

大胆不敵なこの男、演じているのはケヴィン・スペイシー。映画ではエンドクレジットまで彼の名前を出しておらず、ここで唐突にケヴィンの登場は嬉しいし、似合い過ぎる。あの知性、あの狂気、あの不気味さ。

映画史に残る最悪最凶のラスト

逮捕された時点で、残る大罪は二つ。犯人は、サマセットとミルズだけの付き添いを条件に、残る二つの死体の場所に案内するという。断れば、ジョン・ドゥの精神病を主張すると弁護士。

罠と知りながら、その条件をのみ、一緒に現場に向かう二人。荒野にそびえる膨大な数の高圧線の鉄塔。それは絵的なインパクトだけでなく、彼らを監視する警察との通信を妨害する意味もある。

そして、見守る警察から遠く離れた場所で、ジョン・ドゥの行動を待つ二人。そこに、デリバリートラックが、箱を届けにやってくる。

ここからエンディングまでの映画史に残るといってもいい展開には度肝を抜かれる。その内容は、誰もが鮮明に記憶しているのではないか(だから敢えて書かない)。

衝撃的な内容だが、改めて観て感心したのは、この荒野のシーンには、どこにもグロテスクな描写も血が飛び交うような演出もないことだ。それでもなお、あれだけ残酷な物語を伝えることができる。

あまりに救いのないラストには、賛否両論あるのかもしれないが、本作には最後だけ甘ったるい希望を与えるよりも、思いっきり突き放す、この終わり方で正解だと思う。

きっと、このラストの反動で、フィンチャー『ゲーム』には希望を持ち込みたくなったのに違いない、と勝手に納得する。

「殺せば、お前の負けだ、ミルズ!」