『夏の終り』
瀬戸内寂聴が自らの恋愛経験を綴った原作を熊切和嘉監督が映画化。満島ひかりならではの世界観。
公開:2013 年 時間:114分
製作国:日本
スタッフ 監督: 熊切和嘉 脚本: 宇治田隆史 原作: 瀬戸内寂聴 『夏の終り』 キャスト 相澤知子: 満島ひかり 木下涼太: 綾野剛 小杉慎吾: 小林薫 鞠子: 赤沼夢羅 小杉ゆき: 安部聡子 知子の前夫: 小市慢太郎
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
昭和30年代、妻子ある年上の作家・慎吾(小林薫)と8年も一緒に暮らしている知子(満島ひかり)。慎吾は妻と知子との間を行き来していたが、知子自身はその生活に満足していた。
だがある日、かつて知子が夫や子どもを捨てて駆け落ちし、すぐに破局を迎えた青年・涼太(綾野剛)が姿を現したことから、知子の生活は微妙に狂い始める。
知子は慎吾との生活を続けながらも、再び涼太と関係をもってしまう。
今更レビュー(ネタバレあり)
瀬戸内寂聴がまだ晴美だった頃
この作品を公開時に観た時は、二人の男相手にどっちつかずで揺れ動く主人公の女ごころにさっぱり共感できず、途方に暮れてしまったのを思い出す。
今回は、瀬戸内寂聴が出家前の瀬戸内晴美時代に発表した同名原作を読み、著者の実体験に基づく作品背景を理解したうえで、再観賞に臨んだ。
なるほど。二度目は味わい深かった。監督は『海炭市叙景』や『私の男』など、冬の北海道のイメージが強い熊切和嘉。
染色家として自立しながら、不倫生活に浸る主人公・相澤知子を演じる満島ひかりがいい。時代を先取りした自由奔放な生き様が似合っている。
公開当時の満島ひかりはまだ、「あっ」とか「えっ」とかを文頭に入れた台詞をイマドキの雰囲気で自然に喋る印象の強い女優だったのだけれど、本作では別人のように時代の空気を伝えてくる。
◇
そんな彼女をとりまく二人の男。彼女を愛人として半同棲生活を続けるも、何もしない売れない作家・小杉慎吾に小林薫。そして一度は別れながらも、再び彼女に愛を求める青年・木下涼太に綾野剛。
正直言って、この人間関係を映画だけできちんと把握するのは大変だ。瀬戸内寂聴の私生活や原作などの予備知識なしでは相当手強い。
◇
冒頭、一軒家にコロッケを買って帰ってきた知子に、慎吾が「今日、来たよ。木下君が」と意味ありげに言う。
傍目には、知子と真悟の夫婦のもとに、若い涼太が乗り込んできたようにも見えるが、この慎吾もまた、正妻の待つ家がありながら半同棲している不埒な男なのだ。
◇
不倫相手を二人抱え、染色の仕事でこの屋敷を持ち、自立した女。話が進むうちに、知子にもかつて夫(小市慢太郎)や幼い娘がいたこと、それを捨てて今の生活に至ったことなどが分かってくる。
だが、回想シーンが唐突なうえにさりげなく差し込まれるために、時系列を正しく理解するのに骨が折れる。
版画絵のような陰影の深み
ネタバレという訳ではないが、彼女の波乱に満ちた半生を簡潔に語ってみる。
知子は選挙事務所の仕事で出会った涼太といつしか恋仲になる。当時すでに彼女には家庭があったが、東京に引っ越すという夫と娘を捨て、涼太との愛に走る。
だが、若い二人の略奪愛はすぐに破局を迎え、知子は染色の仕事に生きる。生活のために酒場の女給をしていた彼女は、店で作家の慎吾と出会う。
やがて知子は慎吾と同棲するようになるが、たまに本宅に戻る慎吾に嫉妬を覚え、自分も一度は別れた涼太と再び関係を持ってしまう。
◇
この展開を理解せずに漫然と見ていると、次々と男漁りをしている女のように見えてしまい、まさにそれが10年前の私の抱いた感想だった。今回はだいぶ理解が深まったように思う。
熊切和嘉監督がこだわったのであろう、色調と陰影がいい。屋敷の中に差し込む陽光と影の様子が、タイトルバックの版画のように美しい。
意識しないとそれと気づかないほどの、シンプルで繊細なジム・オルークの音楽もいつものように調和している。
ところどころ斬新な演出も多い。
- 寝室で眠る知子の手を握る慎吾が、円卓の上から下へとカメラが移動すると夜明けになり姿を消している場面
- 正妻(安部聡子)が電話の途中で、相手が知子だと察知する緊張感あふれる通話
- 知子が意を決して本宅に乗り込むと、縁側に座る慎吾の顔が竹垣の角度で目鼻だけ見えない不気味さ
- 横浜港の税関前。背景の往来が静止画になり、その前で知子と真悟の二人だけが仲睦まじく寄り添う場面
こだわりの映像美とミニマルな音楽の融合。衝撃的な野心作『鬼畜大宴会』の監督からこんな作品が生まれるとは。
知子が何を言おうが動じず、穏やかな笑顔を絶やさない慎吾に円熟の小林薫。突如家を訪れた知子を力強く抱擁し、彼女を独占したい純愛の涼太に綾野剛。その間を苦しみながら揺れ動く恋多き知子の満島ひかり。
三者三様の名演ではあるが、やはり作品を左右するのは満島ひかりの妖しい魅力と不思議な存在感。話題作りに大胆で濃厚なベッドシーンなどを無理やり突っ込もうとしなかったところも好印象。
女ごころは分からない
本作は、原作を読んだことでようやくその良さが分かったつもりだが、かといって、主人公の女ごころの機微が把握できたわけでは決してない。それは知識を備えたところで、相変わらず謎のままだ。
「じゃあ、どうして僕と会ってくれるんだ」
涼太の問いかけに知子が答える。
「言わせないで。憐憫よ」
だが、再び付き合い始めた涼太の力を借りて、知子は楽だけれど先行きの見通せない慎吾との不倫から訣別しようとする。これが<夏の終り>か。夏とは季節ではなく、心の状態なのだなあ。
だが、結局彼女は関係を整理できない。分かり易い結末でなない。この辺の心理がつかめないからこそ、男はそこに魅力を感じてしまうのかもしれない。それが満島ひかりならばなおさらだ。
「だって、愛してるの」
無敵なキャッチコピーではないか、これ。
瀬戸内寂聴自身の不倫をベースにした作品としては『あちらにいる鬼』が記憶に新しいが、寺島しのぶが不倫相手と別れるために頭を丸めて出家する同作よりも、本作の満島ひかりの方がまだ共感できる。
本作は初見の人にはとっつきにくいし、万人に理解される作品でもないだろう。だが、あの不倫小説を映画化したのだから、それは仕方がない。
むしろ、ここまで美しい作品に仕上げた熊切監督や脚本の宇治田隆史の仕事ぶり、そして満島ひかりの演技を称賛したい。