『52ヘルツのクジラたち』
町田そのこの本屋大賞受賞原作を成島出監督が杉咲花、志尊淳の主演で映画化
公開:2024 年 時間:135分
製作国:日本
スタッフ 監督: 成島出 脚本: 龍居由佳里 原作: 町田そのこ 『52ヘルツのクジラたち』 キャスト 三島貴瑚: 杉咲花 岡田安吾: 志尊淳 新名主税: 宮沢氷魚 少年: 桑名桃李 牧岡美晴: 小野花梨 村中真帆: 金子大地 品城琴美: 西野七瀬 三島由紀: 真飛聖 藤江: 池谷のぶえ 岡田典子: 余貴美子 村中サチエ: 倍賞美津子
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 原作読んでても、杉咲花にもらい泣き。隣の席の若い娘は、ひたすら鼻をすすっていた。泣ける映画が名作というわけではないが、原作にきちんと向き合おうとしている作品だと思った。クジラの声と姿は映画ならではの特典。
あらすじ
自分の人生を家族に搾取されて生きてきた女性・三島貴瑚(杉咲花)。
ある痛みを抱えて東京から海辺の街の一軒家へ引っ越してきた彼女は、そこで母親から「ムシ」と呼ばれて虐待される、声を発することのできない少年(桑名桃李)と出会う。
貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分の声なきSOSに気づいて救い出してくれたアンさん(志尊淳)との日々を思い起こしていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
安易な映画化はしてほしくないが
原作は本屋大賞を受賞した町田そのこの同名小説。受賞当時に読んだときは、当初想定からの意外な展開に驚き、結構泣かされもした。
これは安易に映画化してほしくはないと自分の読書記録に綴っていたが、今回メガホンを取るのは成島出監督。
直木賞受賞作を映画化した前作『銀河鉄道の父』(2023)は私には相性がイマイチだっただけに不安だったが、『八日目の蝉』(2011)の感動再来を期待し、鑑賞に臨む。
一言で感想を言ってしまえば、結構よい出来だったと思う。ちゃんと原作に向き合っていて、不安は解消された。
原作改変は勿論随所にあるが、頭を抱えるようなものにはなっていないし、映画ならではの手法や役者の熱演によって、原作を補う部分もある。シラケることなく、適度に泣かされる映画に仕上がっていた。
キナコとアンさん
ネタバレなしで語ってみたい。大分の港町の民家に移住してきた主人公のキナコこと三島貴瑚(杉咲花)は、言葉を話せない長髪の少年と出会う。
シングルマザーからの虐待を受け<ムシ>扱いされていた少年に、キナコは何とか心を通わせ、救い出してあげようとする。
キナコもまた幼少から毒母の虐待を受けていたが、大人になっても義父の介護で疲弊していた自分を救い出し、新たな人生を歩ませてくれた、アンさんこと岡田安吾(志尊淳)との出会いがあった。
そして、彼女も少年に対し、同じように手を差し伸べた。
◇
<52ヘルツのクジラ>とは、他の仲間たちには聴こえない高い周波数で鳴く、世界でたた一頭の孤独なクジラのことだ。
アンさんにその声を聴かせてもらい、キナコは信じようと思う。この世界のどこかに、その声なき声に耳をすませてくれる<魂の番>がきっといると。
児童虐待、ネグレクト、ヤングケアラー、さらにはDVやLGBTQなど、深刻な社会問題をひとつの映画に詰め込み過ぎて、どれも掘り下げ切れていないといわれそうだが、これは原作由来の物語の根幹部分なので、避けようがない。
題材のわりに主人公の無茶な行動も多く、ツッコミには事欠かないが、気にすると没入できなくなるのでここは割り切る。
結局、杉咲花の名演が泣かせる
原作も読んでいるのに、なんで泣けるのかというと、これはひとえに主人公・キナコ役の杉咲花の演技力の賜物である。素の状態から、いきなり声を震わせて自然に落涙できるのはさすが子役時代からのキャリアゆえか。
彼女の演技には、なぜかもらい泣きさせられる。思えば、『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016、中野量太監督)でもそうだった。
キナコを縛り付ける家から解放してくれる救世主アンさん役に志尊淳。あごのちょび髭と静かな語り口のキャラは原作イメージとは少々違ったが、悪くない。
人生を達観したような若者。運命的な出会いから、当然杉咲花と志尊淳のラブ・ストーリーになるのかと思いきや、アンさんは受け身で見守るばかりで、なかなか進展しない。
キナコとアンさんのキャスティングは良かったが、出会いの場面はいただけない。『101回目のプロポーズ』じゃあるまいし、あんなに劇的にすることはない。
順番としても、原作のように先に旧友の美晴(小野花梨)が声をかける方が自然だ。ここに運命感の強調はいらない。
◇
その美晴にしても、少々原作とはキャラが違う印象。『ハケンアニメ!』でも好演の小野花梨だが、こんなに喧しくて頼りないキャラだったか。勝手な印象だが、もう少し大人で自立した女性を演じてほしかった。
少年役の桑名桃李は映画初出演。終盤の断髪までずっと長髪で女の子みたいだが、なかなかハンサムで眼力がある。終始喋れない役だけに、この眼力は重要。
意外性のキャスティング
本作では意外性のあるキャスティングが目立った。
まず、キナコの交際相手となる、派遣先の社長御曹司で会社専務の新名主税役の宮沢氷魚。
『his』 (2020、今泉力哉監督)の女性的なイメージが強すぎて、彼がこういう前時代的な役をやるとは驚きだが、ヒール役としては実に魅力的。この路線もありだな。人物造形が分かりやす過ぎるけど。
そして、少年の母親、品城琴役の西野七瀬。町一番の美少女が派手に男漁りするようになり、前の男に逃げられて少年は邪魔者扱い。パート先のとり天の店にキナコにが訪ねていくと、ビールぶっかけて逆ギレするシーンは圧巻。
原作より怖いこの毒親を、まさか西野七瀬が演じるとは。『シン・仮面ライダー』のハチ女より驚いたかも。
もうひとりの毒親、キナコの母、三島由紀を真飛聖が演じていたのも意外。元タカラジェンヌでしょう?
『ミッドナイトスワン』のバレエ講師とかはぴったりだったけど、まさかキナコの鬼母役をやるとは。なかなかの怪演ではあったが、この母親は原作の方が怖かったかな。
キャスティングに加えて、本作は映像もよかった。広大な海とそこにせりだすような物干し台。風や波の音や激しい雨の臨場感。
登場人物の顔アップで切り返すカットがあまりに多いのは興ざめだったが、被写界深度を浅めにして、話している人物にのみ焦点を合わせ、対話相手も風景もボケた映像の多用は緊張感があった。
52ヘルツのクジラの声の再生、それに幻想的な迷いクジラのショットは映画ならではのお楽しみ特典。窪美澄の『晴天の迷いクジラ』も、誰か映画化してくれないかなあ。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見未読の方はご留意ください。
原作比、引っ掛かった点
総じて原作に忠実と感じたが、個人的に引っ掛かった点が多少はある。まずはアンさんの隠された素性。
公式サイトでも人物紹介欄に書かれているので、映画ではネタバレ扱いにしていないのだろうが、だからこそ映画でもあまりにあっけなく開陳する。アンさんがトランスジェンダーで、かつては身体が女だったことを。
だからこそ、彼はキナコに積極的に告白できず、幸せを祈ることに留まっていたのだ。原作では、この事実を明かすのに、相応に段取りを整えていたが、映画ではすぐにホルモン注射の場面が登場。もう少し丁寧に扱うべきだ。
そして映画では、煮え切らないアンさんに対しキナコは告白まがいに、自分たちはどういう関係なのかを問いかけてしまうが、ここも原作では美晴をうまく使い、もっと自然かつ効果的に話を進めていた。
キナコと交際を始めた新名は美晴やアンさんらを食事に招き、そこでオラオラ感をバチバチに発揮。新名がヤバい男だと観客が分かってしまうのが早すぎて勿体ない。
「このままではキナコが不幸になる」とアンさんはいろいろと手を廻すが、それが悲劇を生む結果となる。
互いに相手の一番痛い所を突く攻撃をしかけるが、そのダメージを受けたリアクションが、どちらも床を叩いて慟哭という演出は、どうにも芝居がかっている。
◇
アンさんの自分への思いを知り、彼こそが魂の番だとようやく気づいたキナコは、新名の前でキッチンの包丁を手にする。だが、彼女は新名ではなく、自分を刺そうとする。
原作では「殺してやる!」だったはずとこの改変に落胆したが、これは私の読み落としだった。原作でも、彼女は自分に嫌気がさし、自分を殺そうとするのだ。
52ヘルツのクジラたちの声
キナコや少年だけでなく、アンさんもまた、52ヘルツで誰かに向かって歌い続けるクジラだった。その声に気づいた時、もう、アンさんは帰らぬ人となっていた。
キナコは、少年の家族になろうと決意する。
赤の他人、それも定職のない独身女性が少年の身元引受人になるのは、おそらく非現実的なのだろう。原作ではもっともらしい説明が多少加えられたが、映画では「行政はハードルが高いです」で片付けられている。これも安易ではある。
アンさんが今は男だと知ってショックを受ける母を余貴美子が演じている。杏を娘として育ててきた保守的な考えの母親で、彼女を傷つけたことを苦にアンさんは自殺する。
映画では原作と異なり母子の対面シーンがあり、母が今の自分を受け容れてくれるので、死を選ぶ根拠が弱まった感はある。
ただ、「娘でも息子でもどっちでもいいんだよ、そう言ってあげればよかった」と涙ながらにいう母の台詞は胸に刺さった。本作で唯一の温かい母親像だ。
ずっと喋れなかった少年がラストで発話するが、原作と違い、ほとんど言葉にならない声をだす。これは映画の方にリアリティがあると思った。
迷いクジラに再び出会えるかは分からないが、ここから新しい生活が始まろうとしている。ラストシーン、海に差し込む陽光が美しい。