『ロミオ+ジュリエット』
Romeo + Juliet
レオナルド・ディカプリオのロミオは似合いすぎだけど、映画はかなり現代風、というかパンクロック調。
公開:1997年 時間:120分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督・脚本: バズ・ラーマン
キャスト
<モンタギュー家陣営>
ロミオ: レオナルド・ディカプリオ
マキューシオ: ハロルド・ペリノー
テッド: ブライアン・デネヒー
キャロライン: クリスティナ・ピックルズ
<キャピュレット家陣営>
ジュリエット: クレア・デインズ
ティボルト: ジョン・レグイザモ
フルヘンシオ: ポール・ソルヴィノ
グロリア: ダイアン・ヴェノーラ
デイヴ・パリス: ポール・ラッド
<その他>
神父: ピート・ポスルスウェイト
署長: ヴォンディ・カーティス=ホール
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
ベローナ・ビーチで勢力を二分するモンタギュー家とキャピレット家は、長年にわたって抗争を繰り返していた。
ある日、キャピレット家の仮装パーティに潜りこんだモンタギュー家のひとり息子ロミオ(レオナルド・ディカプリオ)は、そこで出会ったキャピレット家の娘ジュリエット(クレア・デインズ)と瞬く間に恋に落ちる。
今更レビュー(ネタバレあり)
ただの再映画化などではなかった
バズ・ラーマン監督のレッドカーテン・トリロジー、『ダンシング・ヒーロー』(1992)に続くのは、ご存知シェイクスピア悲劇の代表作を現代版に焼き直した『ロミオ+ジュリエット』。
実は本作は公開時の記憶があまりない。ディカプリオ人気にあやかって、安易に『ロミオとジュリエット』を再映画化したのだろうと高をくくっていたのだ。
◇
だが、意外なことに、結構チャレンジ精神旺盛なとんがった作品だった。ストーリーこそ原典に忠実だが、舞台は古き良き時代のイタリア・べローナではなく、現代のメキシコにある架空の町ベローナ・ビーチ。
そこで豪族のモンタギュー家とキャピュレット家が代々対立しあっている。目抜き通りを挟んで両家の高層ビルが競うように建っているというバカバカしさ。
おまけに、どっちの家の若者たちも、パンクな格好で武器をちらつかせ戦う、あまりにベタな演出は、まるで東映アクションに出てくる不良校同士の抗争だ。
「と」じゃなくて「+」
家の名前がなければ、およそシェイクスピアものだとは思わない展開に、冒頭から驚かされる。そうだよ、タイトルは『ロミオとジュリエット』ではなく『ロミオ+ジュリエット』なのだから、ただの再映画化ではないのだ。
日本において、一部『ロミオ&ジュリエット』の表記があるのは、甚だ紛らわしい。おまけに、近年では『ロミオ×ジュリエット』なるアニメも登場し、混乱に拍車をかける。
◇
どうにも、不思議なノリで始まった、およそシェイクスピア悲劇とは思えない本作は、途中で愛に苦悩する孤高の男・ロミオ(レオナルド・ディカプリオ)が現れることで、ようやく正しい方向に話が進みだす。
そして、ロミオがモンタギュー家は出禁のキャピュレット家のパーティに忍び込み、美しい娘ジュリエット(クレア・デインズ)に一目惚れすることで、ようやく我々は安心する。やはり、この映画は『ロミオとジュリエット』で間違いなかったのだと。
オリヴィアを待ちながら
バズ・ラーマン監督は、この物語を現代に移植することで、何を描きたかったのだろう。古びたシェイクスピアの古典を、若者にも刺さる映画にしたかったのか。
でも、現代風にして、更にミュージカルに仕立ててしまった『ウェスト・サイド・ストーリー』という金字塔が既にある以上、踊りも歌もなしで現代に持ってきて、しかも貧しい移民同士の争いではなく、金満な豪族のいがみ合いにしてしまったことで、相当セールスポイントは限られる。
◇
個人的には、やはりこの物語は、正しく古典として味わいたい。幾度となく映画化はされているが、私にとっての原典はフランコ・ゼフィレッリ監督版の『ロミオとジュリエット』(1968)だ。
ニーノ・ロータの音楽に、オリヴィア・ハッセーのジュリエットの息をのむ美しさ。申し訳ないが、ロミオの方は名前も顔も覚えていない。
キャスティングについて
本作では、不思議なことに逆のことが起きている。ロミオ役のレオナルド・ディカプリオの若さと美しさは、やはり目を惹くものがある。
『タイタニック』(1997、ジェームズ・キャメロン監督)人気に便乗しての企画かと思ったら、こちらの方が公開年は早いのだ。お見それしました。
愛する女性のために命を捧げてしまうラストだって、『タイタニック』よりこっちが先行だもんね(まあ、元ネタはシェイクスピアだから当然だが)。
◇
一方ジュリエット役のクレア・デインズは、現代風な顔立ちの清純派イメージの女優だとは思うのだが、クラシック・ビューティーのオリヴィア・ハッセーを知る世代としては、あれこそがジュリエットだと刷り込まれてしまっており、どうにも馴染めない(クレア・デインズは好演しているのだが)。
時代と舞台は違うが、ストーリーは原典を踏襲。ジュリエットの従兄で、モンタギュー家相手に鼻息の荒いティボルト役にはジョン・レグイザモ。彼はバズ・ラーマン監督のレッドカーテン三部作の次作『ムーラン・ルージュ』にも出演。
一方、モンタギュー陣営はロミオの親友マキューシオ。演じるのは『マトリックス・リローデッド』のハロルド・ペリノー。この二人は、ともに両家の抗争の中で命を落とす。
また、ロミオとジュリエットの良き理解者で、二人の結婚式を執り行い、挙句の果てには良かれと思って仮死状態にする<毒薬>まで与えてしまう神父役に『ナイロビの蜂』のピート・ポスルスウェイト。
両家の抗争を激しく非難し、町の平和のために毅然とした態度で職務を執行する警察署長には、『ブルー・バイユー』が記憶に新しいヴォンディ・カーティス=ホール。
面白いところでは、ジュリエットの政略結婚相手パリス役に『アントマン』のポール・ラッド。このひと、『サイダーハウス・ルール』でも、妻を寝取られる男だったなあ、イケメンなのに今回も不遇な役。
引っ掛かった点
本作は、『ロミオとジュリエット』の元ネタに対して思い入れがないひとには、新解釈として感動的に受け容れられる作品かもしれない。それならばよい。
だが、元ネタ世代の私には、いくつか引っ掛かる点があった。
まずは、ジュリエットの従兄ティボルトに親友のマキューシオを刺殺され、ヒートアップしたロミオが、その後に相手を追い詰めて射殺するところ。
この場面は本来、逆上してつい殺してしまうのではなかったか。少なくとも、『ウェスト・サイド・ストーリー』では、そうだった。
だが、本作でのロミオは、時間も場所も異なるなかで、明白な殺意をもって何度もティボルトを撃つ。これで、町を追放されるだけの罰では甘すぎる。
次に、毒薬で仮死状態になったジュリエットが目覚めるのが早すぎるのも興ざめだ。
ここは、彼女が死んだと早とちりしたロミオが後追い自殺し、目を覚ましたジュリエットがそれに気づくというすれ違いが悲しく美しい場面ではなかったか(記憶違いか)。
ところが本作では、彼が後追い自殺しようと毒を飲んだ時、もう彼女は目覚めており、会話まで交わすのだ。うーん、それってどうなのか。
◇
極めつけは、死んだロミオを追って、今度はジュリエットが本当に自殺するところ。
オリヴィア・ハッセーが短剣を我が胸に刺す名場面が思い浮かぶが、本作ではクレア・デインズが拳銃の銃口を頭に向ける。現代風だが、味気ない。銃のブランド名を“Sword”にしたくらいでは、埋められないギャップだ。
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服はアロハシャツ、城は高層ビル、剣による決闘ではなく街を巻き込む銃撃戦。なるほど現代版といえるアレンジは斬新だが、表紙カバーを変えることに気を取られ、肝心の中身は疎かになっていやしないか。
本作は映画の冒頭と末尾にテレビのニュースキャスターが登場し、ゴシップネタで両家の抗争を番組内で紹介するスタイルをとっており、本作の中身の軽さを際立たせる。レオ様ファンだけは必見。