『グラン・トリノ』
Gran Torino
クリント・イーストウッドが監督・主演。愛車グラントリノをこよなく愛する、従軍経験のある元自動車工の偏屈老人が牙を剥く。
公開:2008 年 時間:117分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: クリント・イーストウッド 脚本: ニック・シェンク キャスト ウォルト・コワルスキー: クリント・イーストウッド タオ・ロー: ビー・ヴァン スー・ロー: アーニー・ハー 神父: クリストファー・カーリー スパイダー: ドゥア・モーア ミッチ・コワルスキー: ブライアン・ヘイリー スティーブ・コワルスキー: ブライアン・ホウ カレン・コワルスキー: ジェラルディン・ヒューズ アシュリー・コワルスキー: ドリーマ・ウォーカー マーティン: ジョン・キャロル・リンチ トレイ: スコット・リーヴス
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト(クリント・イーストウッド)。人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。
そんな彼に、息子たちも寄り付こうとしない。学校にも行かず、仕事もなく、自分の進むべき道が分からない少年タオ(ビー・ヴァン)。彼には手本となる父親がいない。
二人は隣同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。ある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>を、タオが盗もうとするまでは。
ウォルトがタオの謝罪を受け入れたときから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。
しかし、タオは愚かな争いから、家族と共に命の危険にさらされる。彼の未来を守るため、最後にウォルトがつけた決着とは?
今更レビュー(まずはネタバレなし)
結局、引退なんて話にはならず
本作公開時、クリント・イーストウッドは、「もう積極的に役は探さない。いまの映画の役は、みんな若い役者向けに書かれているから」と俳優業引退を匂わせた。だが、積極的に探さないだけで、ご存知の通り適役があれば主演もこなし、自身の監督作品では10年経過後も『運び屋』や『クライ・マッチョ』で元気な姿を見せてくれている。
◇
本作で彼が演じる主人公ウォルト・コワルスキーは、朝鮮戦争の従軍経験を持つ、フォードの元自動車組立工。愛する妻には先立たれ、二人の息子ともソリが合わず、孤独に暮らす頑固親父。
今でも第一線で活躍するクリント・イーストウッド監督が、15年近く前に、すでにこんな老人を演じていたのだ。ただ、公開当時は老人役に見えていたが、『クライ・マッチョ』の後に観返すと、本作の彼はまだまだ壮齢に見える。
ウォルトのキャラクター設定は、いかにも彼の映画らしく、とても分かりやすい。従軍経験から年をとっても気力・体力には自信があり、老人らしく自分の子供や孫世代のライフスタイルの変化は許容せず、ひたすら頑固で偏屈者。男たるもの、かくあるべしのマチズモは『クライ・マッチョ』に通ずる。
口の悪さも男らしさだと思っているこの男に、愛犬のデイジー以外寄りつくものはない。妻の死後、彼を心配し懺悔に来るよう勧める若い神父(クリストファー・カーリー)にも、「老女に甘言を囁く若造の童貞神父など御免だ」と相手にしない。
フォード・グラン・トリノ
そんなウォルトが大切に扱っているのが、72年製のフォード・グラン・トリノ。深緑のボディが美しい。彼がダッシュボードパネルを取り付けたものだ。息子がトヨタのランクルに乗っているのが気に食わない。
クルマといえば国産のマッスルカーだろうに。そう思っているウォルト。グラン・トリノといえば、世代によっては『刑事スタスキー&ハッチ』を思い出す方もいるかもしれない。いかにもアメ車的なこのクルマに、イタリアの地名が付されているのが面白い。
◇
さて、ウォルトの家の隣に住んでいるアジア系の一家。中国系なのか韓国系なのか、なかなか手がかりがないと思っているうちに、従兄だというスパイダー(ドゥア・モーア)はじめガラの悪い連中にそそのかされて、おとなしそうな若者タオ(ビー・ヴァン)が、グラン・トリノを盗み出そうとし、失敗。ウォルトにライフルを向けられる。
ここから、タオやその姉のスー(アーニー・ハー)はじめ、隣家一族とウォルトとの交流が始まる。
彼らは中国やラオス・タイに住むモン族だという。彼らの家に集まる人びとの人数から、この一帯には相当数のモン族が暮しているようだ。ちなみにモン族は、現代中国映画の傑作『凱里ブルース』(ビー・ガン監督)にも登場するミャオ族に属する民族集団だそうだ。
モン族の隣人家族との交流
ウォルトは得体の知れず言葉も分からないモン族の連中を不気味に感じ、毛嫌いしている。だが、チンピラ連中が隣家の前にやってきて騒ぐのを、「黄色いゴロツキども、芝生に入ったら撃つぞ」と銃で追い払ったことで、ウォルトはスーたちに感謝されることに。
さらに後日、白人の彼氏(監督の息子スコット・リーヴス)と歩いているところを黒人連中にからまれていたスーを、ウォルトが助ける。「おい、クロがそこで何やってる!」
こうして、ウォルトはいつの間にか勝気で社交的なスーに引き込まれ、モン族との交流が始まる。そして、疎遠でどうにもならない息子夫婦たちより、この連中の方が余程身近に思えることに気づくのだ。
意識せずに人種差別発言を繰り返す老人の過激行動と言う点では、『運び屋』の主人公と重なる部分が多いのだが、妻をほったらかしで周囲に調子よく見栄ばかり張って悪事に手を染めた『運び屋』よりも、本作のウォルトはだいぶ気骨があり、偏屈でも好感が持てる。
◇
「からんじゃいけない相手に、出くわすときがある。俺がそういう相手だよ」
黒人の悪ガキ相手にはじめは指の鉄砲を向け、次に本物の銃を出して脅かしてスーを救い出す。待ってました!
かつて、『ザ・ロック』でショーン・コネリーが年老いたジェームズ・ボンドを思わせる役を演じたように、本作は『ダーティハリー』のキャラハン刑事の老後の話なのだと思った。拍手喝采したくなる。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
タオとウォルトとの友情
モン族の家の誇りにかけて、タオに盗みを働こうとした罪を償わせてほしいと強く主張するスーと母。結局、タオは一週間ウォルトの家の手伝いをすることになる。
周辺の家のリフォームをやり遂げたタオの働きぶりで、ウォルトは彼に好意を持ち始める。男に磨きをかけるレッスンと称し、行きつけの散髪屋に連れていき、いつも人種差別的な悪口を言い合う仲の主人(『ファーゴ』の善人亭主ジョン・キャロル・リンチ!)と指導するシーンがまぬけで笑える。
さて、映画は終盤、ウォルトの口利きで建築現場の仕事をもらい人生を切り開こうとするタオに、再びスパイダーたちチンピラ連中の魔の手が伸びる。怒ったウォルトは連中のひとりを捕まえ、タオに手を出すなと脅かす。
だが、これが裏目に出てしまう。タオの家にマシンガンが撃ちこまれ(どうなってんだ、米国の治安は)、タオは軽傷を負い、またスーは彼らにレイプされ傷だらけになり帰ってくる。
復讐しようとヒートアップするタオを地下室に閉じこめ、ウォルトはひとりで敵陣に臨む。
◇
ここからはネタバレになるが、まさに、ダーティハリーが最後に”Come on. Make my day!”といって引き金をひく展開ではないか、そう思っていた。だが、安易な想像は裏切られ、そこが本作の深さにも繋がっている。
俺流の落とし前のつけかた
ウォルトは朝鮮戦争で、すでに降伏しかけた若い連中を射殺し、重荷でしかない勲章を授与された。モン族の祈祷師に見抜かれたように、過去の過ちで自分が許せなかった。
「俺の手は血で汚れている。俺に任せろ」
タオにそう言って敵の家に向かったウォルト。血を吐く彼が医師から受け取った検査結果。そして、最後にようやく打ち解けた神父に懺悔した内容(過去に行った微罪のみなのは、復讐は実施前だからではなかった)。これらが、最後の彼の行動に繋がる。
敵の家の前で、堂々と彼らを批判し、手の指で作った銃を向けるウォルト。あちこちの窓から彼を銃口が狙う。
「煙草に火をつけるぞ」
そう言って彼は内ポケットからジッポのライターを取り出す。だが、それを銃と見間違えたチンピラ連中は、ウォルトの迫力に怖気づき、あわてて引き金を引き、彼をハチの巣にする。
ウォルトは丸腰だった。通報により、連中は全員逮捕される。長期の服役刑となるだろう。それが、自分なりの作戦だったことは、タオにクルマを譲ると書いた遺言状からも窺える。死期を悟ったウォルトは、彼らしい死に場所をみつけたのだ。
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葬式で始まり、葬式に終わる作品だが、神父の洒落の効いたスピーチのおかげか、ラストに重苦しさはない。
早速、愛車にワックスをかけ、眺めながら一杯ひっかけたくなる映画だった。フォード従業員は皆、本作を見て自社製品に誇りを持つべし。