『リチャード・ジュエル』
Richard Jewell
主人公が、爆弾発見の英雄から一夜にして自己顕示欲の強い容疑者に祭り上げられる展開は、観ていて恐ろしい。
公開:2020年 時間:131分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: クリント・イーストウッド キャスト リチャード・ジュエル: ポール・ウォルター・ハウザー ワトソン・ブライアント: サム・ロックウェル バーバラ・ジュエル: キャシー・ベイツ トム・ショウ: ジョン・ハム キャシー・スクラッグス: オリヴィア・ワイルド
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 過熱報道が犠牲者を生むのは日米とも今なお社会問題。題材は面白いし、サム・ロックウェルは好演しているが、イーストウッドが手軽に仕上げた実話映画の一つに見えてならない。
あらすじ
1996年7月27日、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)はアトランタ五輪の会場近くの公園で爆発物を発見した。
リチャードの通報のお陰で、多くの人たちが爆発前に避難できたが、それでも2人の死者と100人以上の負傷者を出す大惨事となった。
◇
マスメディアは爆発物の第一発見者であるリチャードを英雄として持ち上げたが、数日後、地元紙が「FBIはリチャードが爆弾を仕掛けた可能性を疑っている」と報じた。
それをきっかけに、マスメディアはリチャードを糾弾。また、FBIは常軌を逸した捜査を進めた。
ジュエルはかつて職場で知り合った弁護士ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)に救いを求め、彼と共にこの状況と対峙していく。
レビュー(まずはネタバレなし)
過熱報道の恐ろしさ
『ハドソン川の奇跡』・『15時17分、パリ行き』と、近年は実際の事件・事故から市民を救った身近なヒーローを題材にすることが多いクリント・イーストウッド監督が、本作で取り上げたのは、警備員リチャード・ジュエル。
アトランタ五輪を目前に盛り上がるコンサート会場の公園で、爆発物を発見し多くの観客を避難させ英雄扱いされるが、FBIに自作自演の爆弾魔の容疑者とされ、マスコミから総攻撃を受けた実在の人物。
◇
報道の過熱が無実の犠牲者を生む。日本でもアメリカでも、今なお根深く残る社会問題だ。
日本の報道被害事件として思い出すのは、同じ五輪開催地でもある、松本サリン事件。河野義行氏は被害者でありながら、犯人として扱われ、マスコミの過熱報道にさらされた。
今回の映画の舞台は、その2年後のアトランタだが、問題の本質は似ている。
スニッカーズが切れたぞ、レイダー
リチャード・ジュエルを演じたポール・ウォルター・ハウザーは、まさにこの役柄にうってつけの人材だ。リチャードのぽっちゃりとした体形、ルール順守の融通の利かない性格、独身で母親と二人暮らし、法務執行官への憧れ。
これらが混ざり合ったキャラは、市民を救った英雄よりも、目立ちたがりで自作自演した下級白人(と字幕にはあったが)の方が、世間的にはウケるからこそ、今回の過熱報道につながった。万国共通の問題といえそうだ。
◇
弁護士ワトソン・ブライアントを演じたサム・ロックウェルがとてもよかった。演技の幅の広い彼は性格破綻した役も多いが、今回はまさに苦境にたつリチャードに手を差し伸べる唯一の人材(勿論、母親も味方だが)。
ワトソンの軽妙な語り口とスカッとする物言いのおかげで、物語の心理的な重圧感はずいぶんと軽減された。
冒頭の中小企業庁勤め時代の二人の出会いから、厳しい状況でもスニッカーズ絡みの懐かしいネタでリチャードをからかうのが温かい。
レビュー(ここからネタバレ)
素材を活かしてチャチャっと完成
この映画は、面白いのは確かだが、どうにも素直に高評価するのをためらってしまう。クリント・イーストウッド監督の手腕は誰しもが認めるところだが、その量産ぶりが引っかかるのだ。
以前ウディ・アレンにも感じたことだが、その才能ゆえに、チャチャっと手軽に、相応にレベルの高い作品が作れてしまうのではないか。素材の鮮度を活かして、あまり手間をかけないスタイルとかで。
だから、本当にこの作品に全力投球して作ったのか、つい疑いの目で見てしまう。
◇
報道の自由が何よりも重視されるアメリカでは、「FBIはリチャードが爆弾を仕掛けた可能性を疑っている」となれば、逮捕されるまで報道をしないという訳には、事実上いかないのだろう。
となれば、最初にこの記事をすっぱ抜いたアトランタ・ジャーナル紙の女性記者キャシー・スクラッグス(オリビア・ワイルド)と、彼女にネタをリークしたFBI捜査官のトム・ショウ(ジョン・ハム)の罪が重いはずということになる。
どの位、実話に基づく話なのか
実際、映画ではキャシーとトムはかなりの性悪として描かれているが、どこまで事実に即しているのだろう。
映画同様に、キャシーがカラダを武器にこのネタをトムから得たのかは、重要なポイントでありながら、キャシー本人が既に他界、また新聞社からも訴訟沙汰になっており、少々切れ味が悪い。
キャシーの女性を過度にアピールした描き方や、特ダネ至上主義の過激で傍若無人なふるまいも、単なる脚色のひとつなのか。だから、「事実に基づくストーリー」だとあえて宣言していないのか。
『15時17分、パリ行き』では市民を救った本人を主演として起用するミラクルをやってのけたイーストウッド。事件当時の古い映像が主演本人なのだから、これにはたまげた。
今回、リチャード・ジュエル本人にあんなに似せた俳優を起用したのに、最後に本物の映像や写真を出さなかったのはなぜだろう。フィクションの度合いが強かったからか。
◇
報道被害を主題とするのなら、極力事実に近づけた作品にしてほしいように思うが、あくまでフィクションだというのなら、真犯人の逮捕を名前だけの扱いにとどめるのはあまりに淡泊すぎる。
さんざん暴走した挙句に、リチャードが真犯人ではありえないと気づいたキャシーが、母バーバラ・ジュエル(キャシー・ベイツ)の記者会見で涙をみせて観客の笑いを誘うのも真意がわからない。
Cop to Cop の仲じゃないか
リチャードは法務執行官のはしくれだという自負が強いため、FBIの無茶な捜査にも協力を惜しまない。「Cop to Cop(警察官同士)で協力してくれよ」と言われると、ホイホイ乗ってしまう。
家財道具一切合切を押収されて嘆く母親に、
「タッパーウェアは釘を入れていないか、ディズニービデオは政治番組を上書き録画していないかをチェックするんだ」
と説明し、「リチャード、あんた誰の味方よ」と突っ込まれる始末。
ワトソンがFBIの違法捜査に目を光らせても、気が付けばリチャードは口車に乗せられて、ベラベラ喋ったり脅迫電話の録音に協力している。弁護士VS(FBI+容疑者)という構図になり、やきもきしてしまう。
最後になって「あんたの依頼人はクロだ」と捨てゼリフを吐いて、尻尾をまいて退散するFBI捜査官トム。本物の捜査官は、この映画をどういう思いで鑑賞したのだろう。
演じたジョン・ハムは、『ザ・レポート』の鼻持ちならない大統領補佐官同様、この手の食えない役柄はハマっている。
「(こんな不当逮捕がまかり通るようでは)もし次に同様の事件がおきたとき、私の二の舞になりたくないと思い、発見者は市民を救おうとしなくなるのではないか」
静かにFBIに説くリチャードが胸を打つ。
◇
彼は残念ながらすでに他界してしまったが、彼の潔白が証明され、晴れて警察官の職につけたことはせめてもの救いだったと思いたい。