映画『お葬式』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

映画『お葬式』今更レビュー|伊丹十三監督、低迷する邦画界に降臨す

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『お葬式』 

日本映画界の復活にこの人あり。伊丹十三監督のデビュー作は、喪主を務めた実体験に基づくもの。

公開:1984 年  時間:124分  
製作国:日本
  

スタッフ 
監督・脚本:    伊丹十三
キャスト
井上侘助:    山﨑努
雨宮千鶴子:   宮本信子
雨宮きく江:   菅井きん
雨宮真吉:    奥村公延
<千鶴子の親族>
雨宮正吉:    大滝秀治
綾子:      友里千賀子
喜市:      長江英和
茂:       尾藤イサオ
明:       岸部一徳
<侘助の関係者>
里見:      財津一郎
青木:      津村隆
斉藤良子:    高瀬春奈
<その他>
葬儀屋:     江戸家猫八
住職:      笠智衆
火葬場職員:   小林薫
木村先生:    津川雅彦
木村夫人:    横山道代

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

あらすじ

CM撮影中の俳優夫婦・井上佗助(山崎努)と雨宮千鶴子(宮本信子)のもとに、千鶴子の父・真吉(奥村公延)の訃報が届いた。

夫婦は真吉が暮らしていた別荘へ向かい、亡き父と対面する。

初めて喪主を務めることになった佗助は、戸惑いながらも周囲の助けを借りて葬儀の段取りを進めていく。

今更レビュー(ネタバレあり)

伊丹十三監督ついにデビュー

伊丹十三監督は、伊丹一三名義で1962年に『ゴムデッポウ』という作品を撮っているが(東京国際映画祭で特別上映されている)、それから22年を経た本作が、商業長篇デビュー作ということになる。

本作以降全ての伊丹監督作品に出演している妻の宮本信子の父親の葬式で、自身が喪主を務めた実体験から、「これは映画そのものだ」とわずか一週間でシナリオを書き上げたという。

結果的に、伊丹十三監督の独創的な視点や演出に満ちた本作は、停滞ムードだった邦画界において高い評価を受け、日本アカデミー賞はじめ数多くの映画賞を受賞している。

ただ、面白いことに、公開当時は俳優としては有名でも監督としての実績のない伊丹十三の監督デビュー作、しかもタイトルがタイトルだけに、大手はどこも当初配給に難色を示した。草の根的に観客に受け入れられ、勝利を勝ち取った作品なのである。

突然にして葬儀を仕切ることに

映画は冒頭、伊豆の家で暮らす老夫婦のシーンから。菅井きんが演じる雨宮きく江が、テラスで眠るように亡くなっているのかと思えば、ただの昼寝だ。

亡くなるのは夫の真吉(奥村公延)、それも定期健診の結果が良好で、鰻とロースハムとアボカド(当時はまだ珍しく、映画でもアボカードと呼んでいた)を買って帰り、妻と機嫌よく晩餐。だが、その晩、腹痛で入院し、あっけなく息を引き取る。食べ合わせが悪かったか。

真吉の娘である千鶴子(宮本信子)に訃報が届く。彼女は夫の井上侘助(山﨑努)とともに俳優で、連絡を受けたときは、まさに夫婦共演のCM撮影の最中だった。この撮影シーンの助監督役は黒沢清、電報配達員は井上陽水だそうだ。これは気づかなかった。

きく江の希望により、葬式は伊豆の家で出し、侘助が親族代表として場を仕切ることとなる。ここから急遽、何もよく分からないなかで侘助と千鶴子は、通夜から葬式と三日間で段取りを進めていく。

テーマの選定がユニークだが、目の付け所がいい。葬式というものは、誰にでも参列した経験があるもので、みな自分の記憶と置き換えて映画を観ることができる。

やたらと口うるさい親族のおじさんや(本作では真吉の兄役の大滝秀治)、いつまでも近親者の迷惑をよそに通夜の席で飲んで騒いでいる人たち(本作では三羽がらすと呼ばれた佐野浅夫、関山耕司、左右田一平)など、ああウチの田舎でもいたいた、と共感できる場面が多い。

突然に<家>に引き戻される

似たような親族というのもそうだが、侘助たちをみていると、都会で暮らす自分自身にもあてはまる部分が多いように思う。普段は全く無縁な世界で忙しく生活しているのに、身内の突然の訃報で葬儀の輪の中に引きずり込まれてしまう。

さっきまで普通に冗談を言い合って接していた周囲の仕事関係の人々まで、突如神妙な面持ちで、「この度は突然なことで、悲しみもいかばかりかと」などと言い始める。客観的にみると、不思議なものである。

普段は宗教などろくに意識したこともないのに、こと葬儀となると、やれ宗派がなんだ、戒名がどうしたと、自分の家系を意識するようになる。これは結婚式では見られない現象だろう。

亡くなった人物があまりに近しい存在だと、悲しみが大きすぎてドラマが重たくなってしまうが、本作の主人公は喪主である故人の妻・きく江ではなく、義理の息子の侘助である。この設定も丁度いい。

世間体もあり、しっかりと葬儀を進行させようという気持ちはあるが、さして悲しくもない。葬儀の手伝いに東京からやってきた不倫相手(高瀬春奈)に迫られて、侘助が山の中で行為に及んでしまうマヌケな場面も、故人の義理の息子だから、さほど不謹慎だと腹を立てずに見ていられる。

どこにでもありそうな悩み事

棺のランクはどれにする。通夜では棺に入れるのか、布団に寝かすのか。枕の位置は北を向いているか。通夜の寿司は何人前注文するか。

坊さんはどこから呼んで、お布施はいくらが相場だ。戒名はどうしたらいい。挨拶は喪主がやるのか。悩みは尽きない。

何も分からないから、葬儀屋の江戸屋猫八、マネージャの財津一郎が、実に頼もしく見えてしまうのも面白い。

本作は、以降の伊丹十三監督作品のようなエンタメ路線に走った内容ではなく、大筋では段取りに沿って通夜、葬式、火葬と進行していくだけだ。だが、ちょっとしたエピソードの積み重ねのおかげで、ほんのり面白く、じんわり温かい話になっている。

俳優陣も豪華だ。山崎努宮本信子の夫婦は、のちの『タンポポ』『マルサの女』でもメインの役を張る二人で、本作でも文句なしの存在感。菅井きん『あげまん』)と奥村公延『スーパーの女』)、伊丹作品の常連となる大滝秀治津川雅彦

そして住職を演じるのは笠智衆。まるで『男はつらいよ』ではないか。笠智衆『マルサの女2』でも住職役だったな。

宮本信子は後年のインタビューで、「公開初日でお葬式の話なのに終映後、お客様がニコニコされてるのがうれしかった」と語っている。ゲラゲラでもなく、ニンヤリでもない。ニコニコというのがいいではないか。どこかほっこりするところがある作品なのだ。

自分も参列しているような心持に

通夜の席でも大騒ぎがあったあと、急にみんな帰ってしまい、座が鎮まる。通夜の線香を絶やさぬよう、棺のそばにいる喪主のきく江。娘の千鶴子。そして近親者の中では、故人の一番の理解者といえそうな、千鶴子のいとこの茂(尾藤イサオ)。この三人が棺の前で、「あの人はしんみりするのは嫌いだったから」と歌って騒ぐ光景は、どこか胸に沁みるものがある。

本作は時間をかけて葬儀の段取りを踏んでいるせいか、本当に自分も近親者を亡くして葬列に参加しているような気持ちになってくる。

きく江には喪主の挨拶はできないだろうと、侘助がスピーチの練習をしていたが、土壇場で急遽「みんなに話したい」ときく江が語り出す。この内容もいい。飾らない、妻にしか言えない心からの言葉だ。

思えば、きく江は夫が生前「若い妾を持つのが夢だ」と妻に語っていたときから、それを優しく聞き流す余裕のある、慈愛に満ちた女性だった。

奥村公延はずっと棺の中で(実際は違うか)最後には焼かれてしまうのが忍びない役回りだが、虫が知らせたか丁度遺影にお誂え向きの勲章を付けた写真を撮ったばかり。しかも担ぎ込まれた病院は死亡診断書込みで三万円台の費用で済んでいる。まさにピンピンコロリの見本のようではないか財津一郎がいうように、こういう風にありたいものだと思う。