『パリ、テキサス』
Paris, Texas
ヴィム・ヴェンダース監督の代表作といえるロードムービーの傑作。全編に流れるライ・クーダ―の旋律が、旅愁をかき立てる。これを観て聖地巡礼する気にはならないが、切り取る夜空は最高密度の美しさだ。
公開:1984 年 時間:147分
製作国:西ドイツ・フランス
スタッフ 監督: ヴィム・ヴェンダース 脚本: L・M・キット・カーソン サム・シェパード 音楽: ライ・クーダー 撮影: ロビー・ミューラー キャスト トラヴィス: ハリー・ディーン・スタントン ジェーン: ナスターシャ・キンスキー ハンター: ハンター・カーソン ウォルト: ディーン・ストックウェル アン: オーロール・クレマン ウルマー医師:ベルンハルト・ヴィッキ
勝手に評点:
(オススメ!)

コンテンツ
あらすじ
テキサス州の町パリを求めて砂漠をさまよう男・トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)。
倒れて口もきかない彼を弟・ウォルト(ディーン・ストックウェル)がロサンゼルスの自宅に連れ帰ると、そこには四年前に置き去りにした息子ハンター(ハンター・カーソン)がいた。
今度は息子と一緒に妻・ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)を捜しに、ふたたびテキサスへと旅立つトラヴィスだったが、そこには思いがけない苦い再会が待っていた。
今更レビュー(ネタバレあり)
一言も喋らない男のロードムービー
テキサスを一人放浪していた男の妻子との再会と別れを描いた、ヴィム・ヴェンダース監督を語るには欠かせないロードムービーの傑作。
全編を通じて流れる、さすらいのミュージシャン、ライ・クーダーの旋律が旅愁をかき立てる。
◇
冒頭からの人を食った展開が、どんな映画なのかという安易な想像を寄せ付けない。炎天下のテキサスの砂漠の上を、薄汚れたスーツに赤い野球帽の主人公・トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)が徘徊している。
たどり着いたパブで氷を口に含んで失神し入院。持っていた名刺から弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)をウルマー医師(ベルンハルト・ヴィッキ)がLAから呼び寄せる。
だが、遠路はるばる訪れたウォルターを待たずに、トラヴィスは失踪。テキサスの平原をただ歩く兄を見つけ出し、クルマに乗せたウォルターは、ようやく自宅に向かい始める。
映画がここまでくる間、なんと主人公は完全に無言。記憶の有無さえ分からない。
◇
主役が無口でも、映画は退屈させない。砂漠に照り付ける灼熱の太陽、給油所越しの夜空と赤く染まる地平線のグラデーション、広大な平原をどこまでも伸びていく高圧線の鉄塔。
一日に数本しか通らない貨物列車の通過をしっかりとフレームに収め、照明の足らないダイナーの撮影には駐車するクルマのライトを窓から直射させ、ロードムービーならではの工夫と味わいに満ちている。
パリスに行こう
ウォルターは、トラヴィスが4年間失踪している間、兄夫婦が残して行ってしまった息子・ハンター(ハンター・カーソン)を妻・アン(オーロール・クレマン)と引き取り、我が子同然に大切に育てていた。
そして、兄弟でモーテルを渡り歩く味気ない移動生活の果てに、ウォルターからハンターの話を聞いたせいか、ついにトラヴィスは口を開く。「パリスに行こう」
◇
トラヴィスは、テキサス州パリスへ行こうとしていたことを明かす。そこは彼らの両親が初めて愛し合った土地で、自分の出発点なのだ。トラヴィスはパリスに通販で土地を購入していた。
フランスのパリではなく、テキサス州のパリス。最近ではアルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』がメキシコシティの地名に因んでいるのと同じパターンだ。原題は納得だが、アメリカの地名なら、邦題は正確には「パリス・テキサス」だと思うけど。
二人の父親、二人の母親
さて、トラヴィスはウォルターのLA郊外の家に招かれ、4年ぶりに息子と再会を果たす。だが、まだ小学生のハンターには、実の両親の記憶はおぼろげだ。彼にとっては、ウォルターとアンが親なのだ。
はじめは風変りな同居人として接していたが、兄弟の二組の夫婦と幼い自分が楽しそうに過ごす8ミリフィルムをみんなで観賞し、次第に認識を改めるようになる。
◇
ハンター少年の子供っぽさと、トラヴィスとの距離感が徐々に縮まっていく感じがとてもよい。この心情の変化にリアリティを与えるために、作品の前半部分が必要だったのかもしれない。
学校前の車道をはさんで両サイドに離れて同じ歩調で歩いて下校する父子の姿が微笑ましい。
◇
トラヴィスは、捜索をあきらめていた妻・ジェーンについて大きな手掛かりをアンから授かる。ジェーンは毎月5日にヒューストンの銀行から、ハンター名義の口座に振込をしてくるのだと。
トラヴィスは銀行に待ち伏せして妻をみつけようと決意し、校門前でハンターをクルマで拾い、別れを告げようとする。ハイウェイが複雑に交錯する道路下のロケーションが面白い。
そして、ハンターは、尋ねる。「一緒に行ける?僕もママをみつけたい」
◇
アンは薄々気づいていた、トラヴィスが来て、ハンターを失ってしまうのではないかと。アンは良き母親だったし、ハンターも慕っていた。だが、母親失格で自分を捨てたとしても、ジェーンは少年には忘れられない存在なのだ。
二人はジェーンを探す旅に。ここまでで1時間半、新たなロードムービーの始まりだ。
母を訪ねて何千里?
少年は冒険に出る。ハンターがハイウェイのサービスエリアのような場所から、アンに電話をかけるシーンに巨大な恐竜の姿が見えた。あれって『ノマドランド』で見かけたヤツかな。
大都市ヒューストンの町でジェーンを探し出すという無謀に思えた計画は、しかし思いのほかスムーズに事が運ぶ。ここは時間や予算の都合もあったのかもしれない。
◇
ここから先は、この時代ならではの展開といえる。現代に置き換えると、こんな映画的な設定は考えにくい。
まず、毎月の決まった日にわざわざクルマで銀行の支店(ドライブスルー店舗!)し、送金をする行為は、今世紀であれば当然ネット振込で済ませてしまう話だろう。いくら店舗前で張り込みしたって、来店してくれなければ、見つけられない。
赤いクルマを追跡し、どうにか一回でビンゴだったのは予想外だった。それは良いとして、本作の白眉ともいえる、覗き部屋のマジックミラーを介して電話でやりとりする風俗店の設定。こういうスタイルの店が現代でもあるのか知らないが、ここは企画の勝利と言える。
鏡の向こう側にある世界
怪しい店の中に忍び込むトラヴィスは妻を探すが、カウンターで長身の男にやんわりと追い払われる。なんと、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のジョン・ルーリーではないか。ワンシーンの存在感がありすぎる。
そして、トラヴィスの存在に気づかず、振り向くジェーンの顔のアップ。ここにきて、やっと登場のナスターシャ・キンスキー。なんとも、華がある。
◇
マジックミラー越しに向き合う二人。ジェーンには相手の顔は見えない、ただの話好きな男性客だ。
トラヴィスはまだ数年ぶりの再会に心が落ち着かないのか、彼女に、何をどう伝えていいのか分からない。その日はそっと受話器を置いて立ち去る。第一回面会が終わる。
◇
だが、彼はようやく悟った。彼はジェーンを心から愛していた。二人は幸せだった。仕事の時間に離れてしまうのが苦痛になるほど、彼女を想った。
そして妄想が膨らみ、彼女の浮気を疑い、自分への愛情を試すようになった。その頃にジェーンは妊娠し、トラヴィスは再び仕事に精を出すようになった。
だが、ハンターの誕生は、彼女から自由を奪った。若かった彼女は、それが耐えられなかったのだ。
◇
こうして家庭は崩壊していく。トラヴィスが子供の頃、母親を淑女に仕立てたかった父は、妻はパリ(テキサスの)の女だと言って周囲を誤解させるジョークを続けるうちに、本当にそう妄想するようになり、母を困らせていた。
だが、血は争えないのか、自分も妻に妄想を抱き、家庭を捨てた。
トラヴィス、引き際の美学
トラヴィスは、ホテルの部屋のハンターに「俺は過去の傷を拭えない、君はママと生きろ」と録音テープを残し、再びジェーンの待つブースへと足を運ぶ。
マジックミラー越しに暗い部屋で背を向けてジェーンに語り出すトラヴィス。そして彼の懺悔のような告白をきいているうちに、「トレーラー」という一言が、彼女に気づきを与える。
「トラヴィスなの?」 部屋の照明を消す彼女の前に、デスクライトに浮かぶ彼の顔がついに浮かび上がる。
◇
ガラス越しに立場の違う者同士が向かい合い、顔が重なってみえる手法は、留置所の面会所シーンでよく見かける。だが、マジックミラーは普通、取調室のような状況下で使われるものだ。本作のように、見つめ合いたい二人を隔てる道具になっているのは珍しい。
二人は互いを認識し言葉を交わすことはできたが、結局マジックミラーがあるために、双方が見つめ合うことも、触れ合うことなく別れるのである。
◇
トラヴィスに聞いたホテルの部屋を訪ねて、ジェーンはついに息子と再会する。一人で部屋で遊んでいたハンターが、彼女に気づき手を止め、ゆっくりと歩み寄り、しがみつく姿は何度観ても涙を誘う。そう、ここに台詞はいらない。無言がいいのだ。
一方、その様子を窓の下のパーキングで見上げるトラヴィス。青空駐車場のグリーンの照明に、夜空を彩る赤と紫の調和が息をのむほど美しい。ロビー・ミューラーのカメラによるものだろうか。
そして、抱き合う母子を確認すると、トラヴィスはクルマで去っていく。ハッピーエンドであるべきだったか?いや、ライ・クーダーの旋律が心に響くヴェンダースのロードムービーには、ふさわしい幕切れだったと私は思う。