『儀式』今更レビュー|大島渚版<華麗なる一族>の繰り返す冠婚葬祭

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『儀式』

戦後25年、なおも続く家長制度に縛られて、もがきながら生きる若者たち。大島渚による戦争の総括が、ひとつの一族が繰り返す冠婚葬祭の儀式の形を借りて描き出される。

公開:1971 年  時間:123分  
製作国:日本
  

スタッフ 
監督:       大島渚
脚本:       田村孟
        佐々木守
音楽:      武満徹

キャスト
桜田満洲男: 河原崎建三
桜田律子:   賀来敦子
立花輝道:   中村敦夫
桜田忠:     土屋清
桜田一臣:    佐藤慶
桜田しづ:   乙羽信子
桜田節子:   小山明子
桜田勇:    小松方正
桜田守:    戸浦六宏
桜田進:    渡辺文雄

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(c) 大島渚プロダクション

あらすじ

桜田満洲男(河原崎建三)は、親戚の中でも特別な存在であった輝道(中村敦夫)の死を知らせる電報を受け取り、親戚の律子(賀来敦子)を伴い、子供の頃過ごした島に帰る。

その帰途、満洲男は桜田家の一族の数奇な歴史を思い出していく。桜田家は、満洲男の祖父にあたる、元内務官僚で、戦犯とされながらも復権した当主・一臣(佐藤慶)の独裁下にあった。

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今更レビュー(ネタバレあり)

家長制度に縛られた人生

大島渚監督が戦後を総括する意味を込めた意欲作。戦争が終わってもなお、日本に残っていた家長制度に縛られて生きていくことを強いられた若者たち。

監督の『少年』で見られた、当たり屋の家族を淡々と映し出す社会派タッチに比べると、こちらはタイトル通りの格式ばった冠婚葬祭を中心に、どろどろとした一族の醜態が描かれたドラマの匂いが濃厚。

1971年の公開当時は、戦後も脈々と続く家系の呪縛のなかで、それが当たり前のことと思って生きている市民が多かっただろう。

戦後世代に本作で大島渚が放ったこの一撃は、今の時代に我々が想像する以上に一石を投じたに違いない。

かと言って、古いテーマということではない。令和の時代にもなお、個人か家か、という問題は普遍的なものとして存在している。

最近の作品でも、例えば門脇麦主演の『あのこは貴族』における旧華族の息苦しそうな暮らしであったり、宮藤官九郎の『俺の家の話』で長瀬智也の住む「能」の宗家の血を重んじる生き方であったり。

だから、今の時代に観ても、本作に共感できる部分は多く存在する。

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満州帰りの少年・満州男

主人公は満州で生まれたその名も桜田満洲男(河原崎建三)、幼いころから好意を寄せる従妹の桜田律子(賀来敦子)、そしてなぜか桜田家に暮らしている立花輝道(中村敦夫)

幼少の頃から三人は仲が良かったが、疎遠になって久しく、突然に輝道の訃報のような電報を受け取った満洲男が、律子とともに東京から故郷に向かう。

満州生まれの満洲男が母とともに日本に引き上げると、先に帰国しながら戦況に悲観し自殺した父の一周忌が営まれている。まさに数々の<儀式>の始まりだ。桜田家の人々の視線が、母子に冷たい。

家長である公職追放された祖父の桜田一臣(佐藤慶)は厳しく冷淡で、妻のしづ(乙羽信子)もまた怖い。この二人の名優の何とも周囲を委縮させるような悪人キャラは、当時既に確立されている。

満洲男の叔父にあたる、(戸浦六宏)(小松方正)などはまだ人間味がある設定だが、みな一臣には逆らえない

満洲男少年が地べたに耳を当て、律子らのいとこたちが真似をする。幻想的ではあるが、満州で死に、土に埋めた弟の鳴き声が聞こえるのだと、満洲男が言う。もの悲しい場面なのである。

祖父・一臣と叔母・節子の関係

時は立ち、子役が演じていた少年少女は、みな大人に代わる。甲子園で活躍する満洲男は大事な試合が母の危篤と重なる。

母は亡くなり、当時公職に復帰した一臣は盛大な葬儀を執り行う。もう野球はやらないと、焚火にバットを投げ込むシーンが印象的だ。

さて、満洲男は慕っていた叔母の節子(小山明子)から亡父の遺書を手渡され、父と節子が恋仲だったこと、政治的な理由で結婚を妨げた祖父が、その後も節子を支配していることを知る。

祖父に体を弄ばれそうになる節子、機転を利かせて彼女を救う輝道、ただ盗み見するだけの満洲男。『愛のコリーダ』と違いまったく際どいカットはないが、十分にエロチシズムを感じさせる、大島渚の手腕。

佐藤慶が見せつける、地方の村社会の豪族の政治力や女の扱い方は、山崎豊子の『華麗なる一族』や横溝正史の『犬神家の一族』にも通底するものがある。

(c) 大島渚プロダクション

叔父の披露宴と、節子の死

数年後、中国で戦犯の刑期を終えた叔父の(渡辺文雄)も出席し、共産党員の勇の結婚式が営まれる。披露宴でみんなが交代で一曲ずつ軍歌や流行歌を唄うスタイルが時代を感じさせる。

進の息子・(土屋清)は、戦争について何も語らない父を殺すと息巻き、輝道は日本刀を渡す。

だが、その日本刀により翌朝裏山で死んでいたのは、数年前から死にたいと嘆いていた節子だった。それは自殺なのか、祖父・一臣の仕業なのか、真実は闇の中だ。

満州男にとっては、憧れの叔母・節子は死んでしまい、好意を寄せていたその娘・律子も輝道に奪われる格好となる。

それにしても、桜田家の男たちの名前は、進・勇・守・忠、女は節子・律子と、<まんしゅうおとこ >に負けず劣らず、古風なものである。

狂気に満ちた披露宴の果てに

さて、更に数年後、いよいよ儀式は狂気に満ちた茶番と化していく。

祖父が政府要人を集めた満州男の結婚式直前で、花嫁は急性盲腸炎と偽り姿を消す。だが、形式を重んじ、政治的な意味合いから祖父は新郎だけの披露宴を強行させる。

政治家の気の利いたスピーチに始まり、おひとり様ケーキ入刀、新婦不在のお色直し。まさに茶番だと、警察官になった忠は怒るが、その直後に忠は会場前の道路で交通事故死

初夜と通夜が重なる、一族にとっては数奇な夜となったが、これまで、祖父の言いなりに生きてきた満州男はついに鬱憤を爆発させる。

まさにマスオさん的な<いい人>を演じてきた主人公が、ここでやっと自我に目覚める。だが、遅きに失した。

そして、輝道は姿を消す。輝道に足蹴にされる祖父、包帯でミイラのような忠の亡骸を放り出し、棺の中に裸で横たわる満州男、そこに重なる律子。なんともシュールな世界が、ここに映像化されている。

だが、誰も異を唱えずに、新郎だけの披露宴が進行している絵面のほうが、よほど不気味で、大きな問題を誰も口に出せない、現代社会の写し絵のように見えた。

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「テルミチシス」

やがて、祖父は死に、満州男は喪主を務める。だが、失踪したままの輝道は現れない。満州男が結婚したら、輝道は桜田家を出ると祖父に約束していたのだ。

満州男は、口の中に土がいっぱいになった気持ちになる。死んだ弟のように、図上から誰かが自分を呼んでいるようだ。

「テルミチシス」テルミチ

この電報は偽りではなく、輝道は故郷の海辺の小屋で自殺していた。桜田家を滅ぼすために私は死ぬ。中村敦夫の風貌も相まって、輝道の理想を貫く潔い生き様は、公開の前年に自決した三島由紀夫にオーバーラップする。

輝道の後を追い、服毒自殺する律子を制することもできず、結局満州男だけが、ふらふらと抜け殻となって生きていこうとしている。

何年も繰り返される葬儀と披露宴の冠婚葬祭。この儀式的な習わしから訣別するだけの気力を、満州男は、そして日本は、持ち得ているだろうか。

全編を彩る武満轍の音楽が、ひたすら不安感を煽ってくる。