『すばらしき世界』
西川美和監督✖役所広司、遂に初タッグ。刑期を終えた男が目指すカタギの生活を、不寛容な社会は赦してくれるか。この世界は生きづらく、だが、あたたかい。
公開:2021 年 時間:126分
製作国:日本
スタッフ 監督: 西川美和 原作: 佐木隆三 『身分帳』 キャスト 三上正夫: 役所広司 津乃田龍太郎: 仲野太賀 吉澤遥: 長澤まさみ 松本良介: 六角精児 井口久俊: 北村有起哉 庄司勉: 橋爪功 庄司敦子: 梶芽衣子 下稲葉明雅: 白竜 下稲葉マス子: キムラ緑子 西尾久美子: 安田成美
勝手に評点: (オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
旭川刑務所で刑期を終えた三上正夫(役所広司)は上京し、身元引受人の庄司(橋爪功)と妻、敦子(梶芽衣子)に迎えられる。
一方、小説家を志す津乃田(仲野太賀)のもとに、TVプロデューサー吉澤(長澤まさみ)から、三上を取材対象に仕事の依頼が届いていた。
三上の望み通り、人捜しの番組で消息不明の母親を見つけてあげることで、前科者の三上が心を入れ替えて社会に復帰し、生き別れた母親と涙ながらに再会する感動ドキュメンタリー番組を仕立てるのだ。
しかし、三上はまぎれもない元殺人犯。刑務所の受刑者の経歴を事細かに記した身分帳を自ら書き写したノートには、彼の生い立ちや犯罪歴などが几帳面な文字でびっしりと綴られていた。
下町のおんぼろアパートで、今度こそカタギになると胸に誓った三上の新生活がスタートする。
レビュー(まずはネタバレなし)
ここはすばらしい世界だったか
この世界は生きづらく、あたたかい。13年ぶりに出所し、この世界に戻ってきた、人生の過半を刑務所で過ごしてきた元殺人犯。男が待ち焦がれていたように、ここはすばらしい世界だったか。
『ゆれる』、『ディア・ドクター』の西川美和監督が、佐木隆三のノンフィクション小説に惚れ込み、初の原作ものを手掛ける。
◇
しかも、主演には初タッグの役所広司。監督自身がいうように、まさにジョーカーを使うような、勝ちに行く起用だ。
そして、見事にその期待に応える役所広司の演技力。人懐こい優しい笑顔と、時折みせる暴力的な凄みとの劇的なギャップ。時代に取り残された極道の生き様と悲哀。
シカゴ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門での最優秀演技賞も納得の演技である。
今度ばかりはカタギぞ
冒頭、雪深い旭川刑務所からの出所シーンからも、主人公・三上の受刑者生活の長さが窺える。
刑務官には大きな声で返事をし、腕を高らかに上げて廊下を行進(この歩き方は昔風で今は採用しないらしいが)。黒塗りの迎えのクルマもなく、刑務官に見送られ、バスで雪道を揺られ去っていく。
◇
ここから始まる社会復帰が険しいことは容易に想像できる。『ショーシャンクの空に』の老いた囚人が、出所後に生活を悲観して首を吊ったのを思い出す。
そして三上は、今時夜汽車で上京する訳でもないが、やはり北国からは上野駅に降り立つものなのか、そこで身元引受人の庄司弁護士(橋爪功)と再会する。
◇
「俺はもう極道じゃなか。今度ばかりはカタギぞ」と、真っ当な生活を送ろうとする三上だが、持病でしばらくは職にもつけず、当面は生活保護をあてにするしかない。
彼にとっては屈辱的なことだが、その補助すらも、反社に属していた身には、なかなか対応が難しい。自分の居場所があった、塀の中の方が余程マシだった、と思うようになる。
あたたかい他人たちのいる世界
世間の風当たりは強いが、幸運にも、三上の周囲には、彼のことを親身になって考えてくれる人たちがいた。
身元引受人の庄司(橋爪功)と妻、敦子(梶芽衣子)。役所に勤めるケースワーカーの井口(北村有起哉)、近所のスーパーの店長・松本(六角精児)。
井口や松本は、はじめは前科者の三上にはぞんざいな対応をみせるが、次第に彼の人柄を理解し、それぞれの立場で精一杯の協力をしてくれるようになる。この展開は、とてもあたたかい。
◇
同時期に公開中の『ヤクザと家族 The Family』は、本作と同様に暴対法施行後の極道の生きづらさを描いた作品。北村有起哉はどちらにも出演し、しかもあちらでは組を仕切る立場だ(ちなみに、康すおんも両作品に出演)。まったく異なる役を堂々演じきっているのは、さすがだ。
六角精児の店長も良かった。すぐにヒートアップする三上から、距離を置きたくなる場面でも、決して見捨てない。六角精児が結構泣かせる。
この、三上を支えてくれる人々のおかげもあり、彼はギリギリこの世界に踏みとどまっている。
彼を食い物にしようというのか
そして、小説家を志す津乃田(仲野太賀)とTVプロデューサー吉澤(長澤まさみ)の二人。手元には身分帳。
原作のタイトルでもある身分帳とは、服役者の犯罪歴や刑務所内での生活等全てが細かく記録された帳面。
三上は裁判の証拠として提出されたその身分帳を自ら書き写し、母親探しの協力依頼の際に、履歴書替わりにTV局に送ってきたという。
◇
二人は感動ドキュメンタリー製作を企むが、三上には出所してもまだ、物事の解決には暴力しかないと思っている節があり、かつ暴力に魅力さえ感じていると、気付かされる。
長澤まさみと仲野太賀は、『MOTHER』でも共演していたが、今回は三上の敵か味方か分からない重要な役割を担う。
特に、途中から番組の企画を離れ、三上という一個人に惹かれていく津乃田がいい。役所広司という大きな存在に刺激され、太賀もいつもに増して、グッとくる芝居を見せてくれる。
令和の時代のヤクザ映画
『ヤクザと家族 The Family』と『すばらしき世界』。この令和の時代に、立て続けに二本もヤクザ映画の新作を観ることになるとは思わなかった。
現代に生きる極道の生活の難しさと守るべきものを描いている点で、新世代のヤクザ映画といえる、いずれ劣らぬ力作である。
◇
長い刑務所暮らしの間に、暴対法が幅を利かせ、昔の仲間たちも変わってしまった。
そんな中で、筋を通そうとしたのが『ヤクザと家族』の綾野剛であり、新しい世界で生きようとしたのが、本作の役所広司といえるのかもしれない。
レビュー(ここからネタバレ)
ここから、ネタバレになる部分がありますので、未見の方はご留意願います。
カタギとして暮らすということ
カタギの生活をしよう。中古の家具を揃えたボロアパートだが、お米を研いで、ご飯を炊き、卵をかけては食べ、ゴミを分別して捨てたらスーパーで買い物をする。
日常の生活は普通で平凡だが、そのなんとハードルの高いことよ。刑務所で覚えたミシンの腕も、なかなか仕事に役立たない。
世知辛い世の中。なにか気に入らないことがあれば、すぐに熱くなってしまう。気づけば暴力沙汰もある。
◇
行き場を失った三上が、兄貴分の下稲葉(白竜)に連絡を取れば、久々に歓待を受ける。ああ、自分はやはり極道の世界に戻ろうか、そう思っただろう。
下稲葉が片脚を失っている。抗争かと思えば、糖尿のせいらしい。収入もない組員が、組織のカネを盗む。もう、自分が必要とされる時代ではない。
結局三上は、下稲葉の妻(キムラ緑子)の気遣いによって、どうにか極道の世界に戻らずにすむ。「普通の生活は大変だけど、空は広いのよ」と。
◇
思えば、アパートで騒いだチンピラを脅かした時の、相手の逃げザマもひどかった。組の看板など、口にしてはいけない時代なのだ。
不寛容な世の中だから
三上は、自分を捨てた母親のことを、今も想い続けている。もしも会えたら、自分を産んでくれたときのことを聞いてみたい。
自分は母親が迎えに来る前に、施設を飛び出してしまったのだ。そう信じたい三上が痛ましい。
◇
だが、彼は家族には恵まれた。妻(安田成美)とは別れてしまったが、まだ自分への愛情は残っている。
13年前の裁判でも、未必の故意で殺意がなかったことを、彼女は必死に証言している。彼を追い詰める検事役のマキタスポーツが、なかなか切れ者にみえた。
◇
不寛容な世の中だから、カッとならずに受け流せ。逃げるのは敗北ではない。喧嘩しても、壁の外では刑務官が仲裁してくれはしないぞ。
支えてくれるみんなの言葉を真摯に噛みしめる三上。
津乃田は、三上の生きてきた道のりを、そしてその思いを、自分の手で小説にするという。だから、もう、昔の世界には帰らずに、この世界で生きてほしい。
風呂で三上の背中を流しながら、そう語る津乃田の姿に、こちらも涙腺がゆるむ。
◇
ラストシーンの秋桜。三上は何を思っていたか。
無自覚に障碍者をからかう施設の同僚への怒りをギリギリで自制して、この世界に踏みとどまることができたことを、神に感謝したか。何も知らず、三上に秋桜をくれた障碍者の青年に、心で詫びたか。
普通の生活は大変だけど、空は広い。たとえ風雨の激しい夜の中でも、きっと倒れた三上には、最期に大きく広がった空が見えていたことだろう。そう思いたい。
(追記)原作を読んで
佐木隆三の原作は長らく絶版だったが、映画化により復刊された。読んで見ると、これはなかなか面白い。ヤクザの出所など小説でも映画でも見慣れたものだが、ここまで現実の悲哀を伝えることに専念した作品は珍しい。
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本作はそれをうまい具合に切り取って映画化しているが、長澤まさみの演じる吉澤というキャラは映画オリジナルだ。失礼ながら、この少し自分勝手な女のキャラは、作品のイメージにそぐわないように思った。
原作には、仲野太賀の演じた津乃田しか出てこず、しかも途中で逃げてしまうが、そのくらいの関係の浅さの方が、本来の物語を邪魔しない。
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エンディングも原作と映画ではだいぶ異なる。原作では新しい職が見つかったと、あっさり福岡に去ってしまう、からっとした終わり方だ。ここは西川美和監督こだわりのアレンジにしたのだと思われる。