『異人たちとの夏』 今更レビュー:地下鉄やワゴンに乗らなくても、亡くなった両親に再会できる町

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『異人たちとの夏』 

死んだはずの両親と楽しく過ごす四畳半。泣ける大林宣彦監督作品、山田太一の浅草愛が詰まっている。チャキチャキの江戸っ子の父・鶴太郎、聖母のような秋吉久美子が息子に捧ぐ愛情。昔はこんな大人が多かった。

公開:1988 年  時間:110分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:    大林宣彦
原作:    山田太一
脚本:    市川森一

キャスト
原田英雄:  風間杜夫
原田英吉:  片岡鶴太郎
原田房子:  秋吉久美子
藤野桂:   名取裕子
間宮一郎:  永島敏行

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

©1988松竹株式会社

あらすじ

原田英雄(風間杜夫)は妻子と別れマンションに一人暮らしのシナリオ・ライター。幼い頃に住んでいた浅草に出かけ、偶然、死んだはずの父(片岡鶴太郎)と母(秋吉久美子)に会う。

二人は原田が12歳の時に交通事故で死亡したが、なぜかその時の年齢のまま、浅草に住んでいるのだ。原田は懐かしさのあまり、浅草の両親の家へたびたび通うようになる。

また、その頃、原田は同じマンションに住むケイ(名取裕子)という女性と、愛し合うようになっていく。

レビュー(ネタバレなし)

大林監督らしからぬ作品か

私の中では貴重な、<泣ける>大林映画である。

死んだ両親に再会するという着想自体は、他の作品にも見られる気もするが、舞台が浅草、他界した両親が江戸っ子であり、また時代背景も含めて個人的には私の生い立ちと重なるところが多く、いつも激しく感情移入してしまう。

何せ、監督が大林宣彦、原作が山田太一、脚本が市川森一の錚々たる面々だ。

平凡な作品のわけがないのだが、期待を上回る、というか、想像とは違うところで驚かされたり感動させられたりする、不思議で心に残る作品。

冒頭は病室のシーン。常連組の竹内力・峰岸徹・入江若葉が登場するが、すぐにこれが、原田の書いたテレビドラマだと分かる。大林作品と簡単に見分けがつく演出や配役も、ここまでだ。あとはドラマに入っていく。

テレビドラマならありえない展開

だが、その内容も、ホラー映画の導入部分のようにしばらくは味気ない。

原田の住む国道沿いのマンションは内装も寒々しいほどに白く、生活感のない部屋。編集者の間宮(永島敏行)は、離婚した原田の妻に交際を申し込むのだと仁義を切ってくる。

建物はオフィスのテナントが多く、夜には住民は二部屋しかいないのだが、ある晩、そのもう一人の住民であるケイ(名取裕子)が、酔った勢いで原田を訪ねてくる。

ここで、飲み切れないシャンパンのボトルを持って、話し相手が欲しいと押しかけてくるケイを、原田は仕事を理由に冷たく追い返す。酔った名取裕子を、である。しかも元妻に未練もない独身男が、である。

まあ、冷静に考えれば、うまい話すぎて罠がありそうだが、普通、断るか? バブリーな恋愛ドラマなら、ありえない展開だが、そこは山田太一。脇が甘くないのだ。

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銀座線と浅草

さて、話変わって地下鉄・旧新橋駅。幻のホームの見学のあとから、不思議な現象が始まる。なぜか、フラッと浅草に行く原田が、とっくに死んだはずの、まだ若い父親に出会う。

銀座線で浅草駅を地上に出たら、営団地下鉄の懐かしい<S>のマークが。お、浅田次郎の『地下鉄に乗って』の元ネタはこれか、タイムスリップか、と興奮してしまった。

だが、考えれば撮影当時は東京メトロに社名変更前だから、現代なのである。それに、花やしきはともかく、浅草ビューホテルが背後に見えている時点で、どうもタイムスリップではなさそうだ。

浅草シーンについては、ネタバレもあるので後の項で書きたいが、とにかく両親の暮らす狭いアパートや路地裏の風情が実に良く出ていて、見事なセットだと感心した。

この浅草界隈の鮮やかさが映えるように、原田のマンションをあえて味気ないものにしているに違いない。

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キャスティングについて

父・原田英吉の片岡鶴太郎は、当時はまだ俳優業がメインではなかったように思うが、大林監督に江戸弁を気に入られ抜擢

プロボクサーテストのためか本作の寿司職人役作りか分からないが、減量に励んだ成果もあり、この役を好演している。普通に役者が演じているものとは違う、片岡鶴太郎ならではの新鮮さと味わいがあったと思う。

そして母・原田房子の秋吉久美子は、アパートの玄関から顔を覗かせ、息子を歓待する初登場シーンから、まぶしく、溌剌としている。

自由奔放な小悪魔的なイメージの代表格だった彼女を、当初予定のケイ役から母親役に変更した大林監督の慧眼には唸らされる。

ごく普通に良妻賢母を演じているだけなのに、とても温かいし、意識しない色気もあって、息子がドギマギする様子が窺える。

平然とシュミーズ姿になって花札に興じるあっけらかんとした態度は、色気全開のケイ役の名取裕子とは、対照に位置している。

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キャスティングの成功はこの二人に拠るところが大きいけれど、原田英雄を演じた風間杜夫のキャリアと演技力を考えれば、それこそ『蒲田行進曲』的な舞台じみた芝居ができる役者だ。

その彼が本作ではあえて演技を抑え目にして全体を引き立たせているのだと思う。

山田太一の原作を読むと、英雄と両親の会話はほぼ映画と同じだ。そう考えると英雄の両親への、あの少し丁寧な物言いを、台本通りに語るのは結構難しい。それを自然と演じているのは、やはり風間杜夫の力量だと感服した。

この映画は、両親に会いに行きたい、でも会ってはいけない、それを言い出せない、という成人とはいえ子供である英雄の葛藤が滲み出ているのである。

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レビュー(ネタバレあり)

何も説明しない潔さと効果

本作の面白味は、死んだはずの両親が当時の若さで暮らしているという、不思議な現象がまったく説明されない、あるいは解明しようとしないところにある。

浅草ビューホテルの高いビルが見下ろす街は現代なのだろうが、アパートの部屋はどうか。テレビをはじめ電化製品は古そうだが、アイスクリーマーやラジコンはどうか。タイムスリップでなければ、死後の世界に迷い込んだか。

原作を読むと、電化製品はすべて現代のものという設定らしい。浅草ROXのカレンダーも貼ってあるので、現代だと英雄は思うのだが、そこまでは映画にはなかったような。

そして、父も母も、40歳の英雄が自分たちの子供であることや、自分たちが12歳の彼をおいて事故死してしまったことを、知っていながら何も語らずに明るく接してくれている

その辺の立ち位置が分からない観客は、英雄が母に苗字を尋ねるところで、妙にハラハラしたりする。

若き父と接する様子は重松清『流星ワゴン』と重なるが、本作には人生に見直しをかけるような目的はない。ただただ、事故で突然引き離されてしまった親子が楽しい時を過ごすためだけに、英雄はアパートに日参する。

やけに瓶ビール(昭和なので缶ではない)ばかり目立つ食卓であったが、父は成長した息子と飲み交わせる日を思うものなのだ。

涙のスキヤキ、今半別館

そして運命のスキヤキの別れが近づく。日に日にやつれていく英雄は、心配したケイに両親に会うことを禁じられるが、なかなか直接言い出せず、だがついに意を決する。

父と、そして母と握手する英雄。そういえば、自分も親と握手などしたのは幼い頃が最後だ。

もう会えないと言ったら、二人は恐ろしい幽霊に豹変するのではないかと、英雄が少し怯えながらも、別れを切り出す。親に死の世界に誘われるのなら、それでも良いという覚悟もある。

だが、二人は本当に優しい気持ちだけで息子に会いにきたのだということが、英雄にはわかる。

スキヤキは家族団らんの象徴だと園子温監督『紀子の食卓』でも思ったが、ここが原点だったか。結局スキヤキは食べられないのだが、このお別れのシーンは涙なしには見られない。今半別館(あれもセットだそうだ)も、雰囲気満点である。

©1988松竹株式会社

まさに<異人たち>との夏だった

さて、両親との再会のドラマがきめ細かい演出で展開される一方で、マンションを舞台とした現実の世界の描き方がまったく違う毛色になっている。

まずは鏡にうつる原田のやつれ方が、はじめは目の下のクマ程度だったが、次第にエスカレートして、お化け屋敷の幽霊にようになっていく。

そして、愛し合うようになっていたケイが、けして見せない胸の傷の真相。冒頭押しかけた彼女を冷たくあしらった原田も、彼女の部屋にあるチーズのナイフも、マンション外に棄てられた不気味な絵も、伏線だった。

嵐の夜に原田のマンションを訪ねた間宮だが、部屋は不在。「夜に住んでいるのは原田さんだけのはずだよ」という管理人。だが、電気がついているのは、自殺した女のいた部屋。そして原田の好きなプッチーニが流れている。怖い。

ちなみに、このケイの正体が判明するあたりの見せ方は、原作よりも映画のほうが断然良かったと思う。ここはやはり、嵐の夜でないと。

結局、間宮の決死の努力でケイは退散し、原田は救われる。このホラーパートのケイも、浅草の両親も、間宮に言わせれば、忘れた方がよい説明のつかない話に括られる。

どちらも<異人たち>というわけだ。

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大林監督ならではのマリアージュ

この、まったくテイストの異なる二つのパートの融合に、観客は戸惑うだろうが、この大胆な試みこそ大林監督らしさともいえる。

なるほど、浅草パートだけでは、普通にちょっと泣かせるファンタジーだが、両者のマリアージュで、どこにも見ないユニークさが生まれる。

意外なことに、この後半のホラー展開は大林監督ならではのアイデアかと思ったら、原作でも同じだった。映画の方が演出は派手だとは思うが、そうそう奇をてらっている訳ではないのだ。

ケイのチーズ占いでは<傲慢>と出た原田であったが、はじめに部屋を訪れた彼女を追い返さなければ、悲劇は防げていたのかもしれない。

「自分はいい亭主でも、いい父親でもない、駄目な男だった。父さんや母さんみたいな、こういう親にならなきゃいけなかった」

自分を責める英雄に母は、「あんたを自慢に思ってるよ」と言ってくれる。優しさあふれるシーンだった。お盆時期に観るにはふさわしい作品だ。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。第一回山本周五郎賞を受賞した、山田太一の原作もオススメです。