理解するのは二度目からでよい。まずはその映像体験でお腹いっぱいになろう。ノーラン祭りは続くのだ。時間を逆行することを、こんなに長い時間、真剣に考えたことはかつてない。考えるな、感じろ、無知の力を。
『TENET テネット』
Tenet
公開:2020 年 時間:151分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: クリストファー・ノーラン キャスト 名もなき男: ジョン・デヴィッド・ワシントン ニール: ロバート・パティンソン キャット: エリザベス・デビッキ セイター: ケネス・ブラナー プリヤ: ディンプル・カパディア アイヴス: アーロン・テイラー=ジョンソン フェイ: マーティン・ドノヴァン ボルコフ: ユーリー・コロコリニコフ
勝手に評点:
(何をおいても必見)
コンテンツ
あらすじ
キエフのオペラハウスにおいてテロ事件が発生。「プルトニウム241」を奪取したスパイを救出するために特殊部隊に偽装してオペラハウスに突入したCIA工作員の男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、ロシア人たちに捕らえられてしまう。
彼は拷問の隙に自決用の毒薬を飲むが、目を覚ますとフェイ(マーティン・ドノヴァン)という男からテロ事件は自分たちの組織「TENET」に加えるためのテストだったことを明かされる。
未来からもたらされた『逆行する弾丸』、それらを利用して世界を破滅させようとする武器商人アンドレイ・セイター(ケネス・ブラナー)。
その存在を知った彼は、協力者ニール(ロバート・パティンソン)と共にセイターの妻キャット(エリザベス・デビッキ)と接触を図り、陰謀の打破に挑む。
レビュー(まずはネタバレなし)
ノーランの作りたいものの集大成がここに
いや、すごい映画を作り上げたものだ。製作費も破格だが、時間を逆行させる奇想天外なアイデアと第三次大戦を制止するというミッションをしっかりと一つの作品にまとめ上げていることが凄い。
一度観ただけでは理解に限界はあるが、それでも十分に興奮する体験だ。多くの人をもう一度確かめたいという気持ちにさせ、二度三度映画館に通わせる超大作を、待ち焦がれていたのは、映画関係者だけではない。
◇
時間を逆行させる発想を本格的に映画化するのは、やはりクリストファー・ノーラン監督がふさわしい。
デビュー作『フォロウィング』で時系列をぐちゃぐちゃに編集し、『メメント』では時系列を過去に遡っていく編集で観客を驚かせた。『インターステラー』では、相対性理論で時間の進む速さを変えるに留まったが、いよいよ逆行にたどり着いたのである。
しかも、<エントロピーの減少により逆行して見える>という科学的な根拠を持ち出しての時間逆行の説明は、『インターステラー』同様に理論物理学者のアドバイスも受けたりして、そういうこともあり得るかと一般ピープルを何となく納得させられるものになっている(少なくとも私は)。
キャスティングについて
主演のジョン・デヴィッド・ワシントンは、デンゼル・ワシントンの長男。NFLの選手から転向して『ブラック・クランズマン』では堂々の主役を演じた、多才な人物だ。本作では、007好きで知られる監督らしく、ジェームズ・ボンドの向こうを張る、世界を股にかけたスパイアクションを見せる。
◇
黒人俳優の主演は珍しいと思っていたが、協力者ニールを演じたロバート・パティンソンが、いわば逆行する世界の主役のような存在だった。
『トワイライト』でブレイクした彼は近作『悪魔はいつもそこに』で変態神父を演じた人とは思えないカッコよさ。本作の悲劇性と持ち前のイケメンで、『THE BATMAN ザ・バットマン』が始まる前から更に人気沸騰か。
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ケネス・ブラナーは、未来と通じている極悪非道な男武器商人アンドレイ・セイターを演じる。いや、怖くて屈強そうで、近寄りがたい。
とてもノーラン前作『ダンケルク』で英国兵士を無事に本国に戻したあとに、次はフランス兵を救い出すと男気を見せた人とは思えない。さすが、名優である。
セイターの囚われの妻キャットを演じたエリザベス・デビッキ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』に、こんな美人出ていたっけ? と不思議に思っていたら、全身金粉塗っている役だった。
191cmの長身なので、今回セイターの付けた頑強な用心棒たちが妙に小さく見えたのは滑稽だった。
あとは、おなじみマイケル・ケイン卿も、ワンシーンだけ登場。
観る前に知っておくとよいこと
ネタバレではなく、知っていると理解の助けになるのは、時間を逆行しているときは、外気を肺に取り込めないため、酸素ボンベが必要。なのでマスクを装着しているかどうかで、順行者か逆行者かが見分けられるということ。
その他の細かい点の理解は、初見ではあきらめて、映画そのものを楽しむことをお勧めしたい。大まかに理解できれば良しとしましょう。ブルース・リーの名言、”Don’t Think. Feel.”と、ニールも言っていたような気が。
◇
なお、古代遺跡に実在した<SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS>と呼ばれる下図のような回文構造が有名らしく、本作のタイトルはじめ、全ての単語が映画と関係あるのだが、映画を鑑賞するうえでは特に必要のない豆知識と思う(逆にネタバレにもならないが)。
初見で頭に引っかかってしまったこと
時間を逆行する際に使う回転扉(ターンスタイル)では、対になるレーンに反対の動きをする自分を見ながら入ること。さもないと、そこから出られなくなる。というルールがある。
私はこれが感覚的に理解できず、自分の分身がいつ来るかなんて、じっと眺めてないと分からないじゃん、と思ってしまい、上映中に注意力散漫になってしまった。
よく考えれば、順行する自分が①⇒②⇒ターンスタイル⇒③⇒④と自然に動けば、①⇒②の自分には④⇒③と動く逆行者が見えるわけで、自ずとルールがクリアされる。
例えるなら、「鏡に映った自分と左右逆の動きをしろ」と言われたようなもので、何も意識せずとも、そうなるものだと理解した。同じことで悩んでいる方の参考になれば、嬉しいのだが、合っている保証はない。
レビュー(ここからネタバレ)
全体の時系列構造
ここからは、既に一度は観賞している方を前提に、あまり細かくならない程度に書いていきたい。
キエフのオペラハウスのシーンで始まった映画は、主人公の名もなき男がプリヤに会い、ニールの協力を得てキャットに接触し、オスロ―空港で飛行機を爆破。
その後、タリンでプルトニウム241を奪取し、セイターとの高速道路カーチェイスがあり、キャットが撃たれる。ここで彼女を救うために、主人公は初めて逆行をする。
初めに逆行を主人公とともに体験するシーンの直前は、まるでジェットコースターの発車前のワクワク感。ここはIMAXを満喫。
時系列の最後はこのフリーポートの地点で、図上は細かい行き来を割愛したが、以降はスタルスク12の決戦、即ちオペラハウステロと同日までひたすら逆行していく。
逆行はタイムリープではないので、順行と同じ時間をかけて、目的の時点まで戻っていくのだ。
◇
ところで、ドラマの折り返し地点から話を逆行させるのって、なんか見覚えあると思っていたら、クドカンの『木更津キャッツアイ』の表・裏の二部構成だと思い当たった。
見せ場① オスロ―空港の飛行機炎上
ここはCG嫌いのノーラン監督が飛行機の実機を使ったという、壮大なスケールの爆破炎上シーンで、さすがに迫力がある。
順行では、キャットのためにゴヤの贋作を燃やしてしまおうという、スパイ映画のようなド派手な計画だった。突如現れた謎の男と格闘になる主人公だったが、逆行でこのシーンに戻ると、その正体が判明する。
ニールはその人物の顔を順行時に見ていたが、あえて見過ごす。オスロ―空港は他の2つに比べると影が薄い気がするが、肉弾戦で順行vs逆行の格闘を見せるという、とても高度なことをやっている。
見せ場② タリン高速道路のカーチェイス
多くの車両をからませた難度の高いカーアクションだ、程度に見ていると、逆行のAUDIが現れて一気に面白味と複雑さが倍増する。
単純なストーリー展開は初見でも分かるが、どのクルマとどの人物が、と動きを追うことは、相当難しい。作図してようやく理解した部分も多い。
理解(説明)しやすいようにそれぞれ車種を分けてくれたのは親切だが、AUDIに乗っていたのは逆行セイターと順行キャットの組み合わせだとか、初見では思いも寄らなかった(マスクも見えづらいのだ)。
クラッシュから登場したSAABには逆行主人公が乗っていたが、フリーポートまで積んでいたプルトニウム241(図中のP)は、まんまとセイターに奪われてしまうというのも、2回目でようやく理解できた。
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図は車種別に描いているので分かりにくいが、主人公(順行)はBMWからAUDIに飛び乗り、セイター(逆行)はMercedesからAUDIに飛び移り、更には主人公(逆行)のSAABをクラッシュさせるのだ。
最初にフリーポートでキャットがセイターを打ち損じるシーンの前に、マスクを付けた逆行の男がクルマに乗っているのが映る。こいつがキャットをAUDIに乗せたのだろう。
それにしても、映画の理解のために、こんな図を描いたのは、初めての経験である。
見せ場③ スタルスク12の最終決戦
末期がんで余命わずかなセイターは、自分が幸せを感じた最期の時にアルゴリズムを起動させて全人類を巻き添えにしようと企んでいた。
阻止するには、デッドマンスイッチを持つセイターの自殺を引き延ばす間に、スタルスク12で、爆発で地下に埋まる前にアルゴリズムを奪取すること。
主人公らとプリヤの部隊を乗せた船は、オペラハウステロの日(スタルスク12で爆破のあった日)まで逆行していく。順行でも逆行でも変わらず、船の中で一人筋トレをしている主人公が頼もしい。
◇
キャットはベトナムでセイターの船に乗り込み、主人公とニールはプリヤの部隊のアイヴスと、スタルスク12で爆破時点の前後10分から挟み撃ち攻撃を仕掛ける。まさにTENとNETが重なり合う作戦だ。
スタルスク12の戦闘シーンは、順行の部隊が攻め込む脇で、戦いを終えた逆行の部隊が帰っていくという、どうにも実感が湧かないシーンから始まり、敵も味方も順逆部隊が入り乱れる複雑さ。砲弾も順逆混在の様相だ。
セイター配下のボルコフが、アルゴリズムの最後のパーツをセットし、爆破により地下に埋めようとする。地下に侵入した主人公とアイヴスだが、侵入経路は塞がれ、正面の鉄格子は施錠され眼前のボルコフを阻止できない。
作戦は成功した。奪還より少し前に待ちきれずに船上でセイバーを撃って海に捨てたキャットだったが、アルゴリズムが起動しなかったのは、死んだのが海に落ちてからということなのかもしれない。
絶体絶命! ここで目の前に転がっていた自軍の部隊の死体が逆行でむっくり起き上がり、ボルコフが主人公に向けて撃った弾丸を受け、そして鉄格子を開錠し、地上に帰っていく。
主人公らはボルコフを撃ち、アルゴリズムを奪還し、間一髪でニールのクルマの牽引で爆破前に救出される。
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すべてはニールの功績だった。彼のバックパックのオレンジの紐をみて、蘇った死体がニールだったと主人公は知る。思えば、オペラハウスで主人公を救った謎の男にも、オレンジの紐があった。
逆行部隊で参戦したニールは、主人公たちが地下に閉じこめられたのを見て罠に気づき、順行に戻って再参戦。二人を車の警笛で呼び止めるが効果なく、ロープを地下に落として、彼らを引き上げることに成功する。
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逆行ニールの動きは、分かっていてもしっくりこない。逆行して地下に侵入し、開いていた鉄格子を施錠し、ボルコフに撃たれ死ぬのだ。
逆行ニールが開いている鍵を閉める必要があったのか。開いているのならそのままでも言い気もするが、違うことをして歴史が変わってしまうのを、恐れたのかもしれない。
ジャンルは全く違うが、起き上がる死体で感動したのは『ソウ』シリーズ1作目以来だ。
ニールの正体についてあれこれ
さて、この逆行ニールはどこから来たか。そう、主人公と友情の終わりを告げて、ニールは鍵を開けに過去に戻るのだ。泣かせるシーンである。
主人公はニールの運命に気づき涙ぐむが、それを伝えるわけにはいかない。ニールが会話のなかでそれを察知したかは、彼の表情からは読み取りにくい。知らないことが、力になるのだと主張していた彼が、それを実践したとも思える。
ニールは未来で主人公のミッションを受け、時間をかけて過去に戻り、出会う前の主人公を助け、アルゴリズム起動を阻止する。
彼の正体はキャットの息子マックスではないかという議論がネット上でも盛んである。明示的な答えはない。『インセプション』のラストの回るコマの行方のように、観る者に委ねられているとノーラン監督ならいいそうだ。
大きな役なのに、不自然なほどマックス少年の顔のアップもセリフも少ない。キャットがキャサリンなら、マックスだって、本名はマキシミリアンか。それならMaximilienの逆さ読みにニールがいるよという説が、私は気にいっている。
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ただ、決定的ともいえない。ニールがキャットを救うのはまだしも、父親殺しに加担させるのは、ちょっと後味が悪いからだ。監督が正解を示さないのは、重要なのはそこではない、ということだろう。深入りは、やめよう。
昔、『メメント』の時系列順編集再生という企画があったと聞くが、本作もそのうち、逆再生バージョンがDVDの特典につくかもしれない。
以上、『インセプション』並みに難しい作品だったが、本作のほうが、より楽しめたと思う。文句なしの力作だ。ノーラン監督、ありがとう。