『嵐電』
嵐電の上品な色合いの車体とノスタルジックな駅舎。路面電車は絵になる。映画作家に好まれるわけだ。京都の町には、不可思議な出来事がおきても、許される空気があるのか。井浦新とファンタジーも面白い組み合わせ。
公開:2019年 時間:114分
製作国:日本
スタッフ 監督: 鈴木卓爾 キャスト 平岡衛星: 井浦新 平岡斗麻子: 安部聡子 小倉嘉子: 大西礼芳 吉田譜雨: 金井浩人 北門南天: 窪瀬環 有村子午線: 石田健太
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- ああ、京都行って嵐電乗りてえなあと思わせてる時点で、ご当地ムービーとしては成功しているのかもしれない。森見登美彦が書かなくても、京都の夜はファンタジーが良く似合う。
あらすじ
嵐電にまつわる3つの恋愛模様を描いた物語。作家の平岡衛星(井浦新)はかつて妻の斗麻子(安部聡子)とともに旅行した京都へ向かい、嵐電にまつわる不思議な話を探す。
青森から修学旅行来た北門南天(窪瀬環)は、8ミリカメラで嵐電を撮影していた少年・有村子午線(石田健太)に恋をする。
太秦撮影所近くのカフェで働く小倉嘉子(大西礼芳)は俳優である吉田譜雨(金井浩人)に方言指導をすることになる。
嵐電の街に紛れ込んで、まるで出られなくなったような三組の男女の恋と愛の運命が、互いに共振を起すように進んで行く。
レビュー(まずはネタバレなし)
路線図を片手に観よう
タイトル通りに徹頭徹尾嵐電を映し続けるファンタジー映画。
学生とプロとが一緒になって制作される映画学科の劇場公開映画制作プロジェクト「北白川派」で制作された作品ということだからか、手作りの温かみが感じられ、制作者たちの嵐電と京都への愛情も伝わってくる。
◇
さして鉄道好きではない私ですら、嵐電の上品な色合いの車体と、ノスタルジックな駅舎、車両が走り抜けていく町の風景、そして響いてくる走行の重低音は、つい愛おしく感じてしまう。
鎌倉や小樽もそうだが、やはり路面電車は絵になる。映画作家に好まれるわけだ。
◇
嵐電の路線図が頭に入っていると、もっと楽しめるのかもしれない(公式サイトにも掲載)。
帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅でY 字に分岐する路線は、各所にロケ地とエピソードが点在し、各駅ごとにドラマのあった『阪急電車』を思い出す。
なんと、音楽はあがた森魚ですよ。彼の昔の曲「カタビラ辻に異星人を待つ」から、鈴木卓爾監督がインスパイアされた縁だとか。
冒頭とラストに出てくる龍安寺駅も、<行違い駅>という表示になにか深い意味が読み取れそうだ。
京都にはファンタジーが似合う
京福電気鉄道の全面協力があったにしても、よくこれだけのロケができたものだ。
京都だから外国人観光客だらけなのかと思えば、観光地然としたカットは避けられ、落ち着いた雰囲気の生活感が出ている。
◇
「京都弁ではな」とか、
「カミさんもどうせこの町のどっかにいるんやし」とか、
「狭い町やけどなかなか会えへんな」とか、
なんだかセリフの端々に京都人のこだわりが感じられた。
◇
多様な解釈を許容している作品のようなので、ストーリーにはあまり触れないが、ファンタジー作品がお好きな方には、特にお薦めしたい映画。
冬の電車のファンタジーとなると、宮沢賢治だろうか。<行違い駅>での声だけの会話も、賢治の『シグナルとシグナレス』を想起させる。
レビュー(ここからネタバレ)
紫のきつねと緑のたぬき
「夕子さん電車」という京菓子のマスコットキャラをラッピングした電車を見たカップルは、幸せになれるという都市伝説と合わせて、「狐と狸の電車」をみると不幸に別れてしまうという話がでてくる。
そして、三組の男女たちは、それぞれこの都市伝説と関わってくるわけだが、夜の人気ない駅舎に嵐電が入ってきて、狐と狸に扮した車掌が乗っている。
あれ、これはまるで森見登美彦の世界。『夜は短し歩けよ乙女』か『有頂天家族』かって感じ。やはり京都ってそういうイメージがわく町なのか。
簡単に3組の男女についても触れておきたい。
南天と子午線の学生カップル
一方的に子午線が南天につきまとわれていただけなので、厳密にはカップルではないのだが、終わりの方ではだんだん心も通じ合ってきたようす。
あまりに名前が突飛なので、映画の中では名前の漢字が頭に浮かばなかった。
◇
子午線の8ミリカメラ片手に嵐電撮りまくる鉄オタのキャラがとても良い。今時どうやってフィルム入手してるのか聞いてみたい。
「好きなものを撮っていた筈なのに、撮っているものが好きになってきた」
と言う彼のカメラには、南天も写っているのだろうか。
嘉子と譜雨の方言指導デート後
この二人の関係がどうなるかは一番気になった。そもそもの車内で独り言をいう怪しい乗客が俳優だったという導入もワザありだ。
仕出し弁当配達から役者への方言指導、そしてデートと畳み掛ける展開の強引さに、嘉子が意外な感情を吐露するところが印象的。
嘉子の自宅近くの駅で譜雨が待ち伏せする理由とか、連絡先の授受絡みの小ネタもハマっている。
◇
昔の8ミリ映写も含め、一番ロマンティックで切ない二人。ところで、助監督の女性(福本純里)が二人の映画を撮り始めるのは現実なのだろうか。
将来の願望のように語っていたので、気になる。ラストシーンの解釈も難しいが、二人はまだ生きているのか。
衛星と斗麻子の距離のある夫婦
これも凝った名前だ。鈴木卓爾監督は変わった役名を好むそうだ。
衛星が以前に斗麻子と訪れた京都の回想シーンに切り替わるところが、遊び心があってよい。
旅先の京都から衛星が斗麻子と携帯電話での会話中にカメラがパンすると、部屋の隅で彼女が蒲団に寝ているのだ。
斗麻子が衛星を残して一人で狐と狸の電車に乗ってしまい、寂寥感を誘う。
この二人も、その後彼女が生きているのかが私には謎だ。
ラストで鎌倉の自宅シーンが出てくるが、波の音と江ノ電の音が、妙に大きい。
これは直前のシーンにある川のせせらぎと嵐電の音で、線路脇の自室で居眠りしている衛星が鎌倉の夢をみているのではないかと勘繰ってみた。
ちょっと無理な推論か。ラストの夫婦シーンが単に旅行帰りの話だったら、何のオチもないわけで。
でも、嵐電の都市伝説からは、駅舎改札の回転扉のように、簡単には現実世界に脱出できないはずだ。
◇
以上、不思議な嵐電沿線途中下車の旅。よく分からない点もあったが、私は楽しめた。江ノ電車両と嵐電車両が行違いする夜の駅舎も、なかなかの風情。