『静かなる叫び』
Polytechnique
教室内の女学生だけを残し銃撃するという、実際に起きた痛ましい事件を美しく描き賛否両論が巻き起こる。フェミニズムを憎悪する犯人が、理工学を学ぶ女子大生を標的にする。なぜ憎悪に至ったかは、想像するしかない。
公開:2009年(2017年 日本公開)
時間:77分 製作国:カナダ
スタッフ 監督: ドゥニ・ヴィルヌーブ キャスト ヴァレリー: カリーヌ・ヴァナッス ジャン=フランソワ: セバスティアン・ユベルドー 殺人者: マキシム・ゴーデット
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 実際に起きた痛ましい事件を映画の題材にすることはありだと思うが、美しい映像で見せることには違和感を覚えた。皮肉なことに、絵面として洗練されているのはさすがヴィルヌーヴの才。
あらすじ
1989年12月6日、モントリオール理工科大学に通う女子学生ヴァレリー(カリーヌ・ヴァナッス)と友人の男子学生ジャン=フランソワ(セバスティアン・ユベルドー)は、いつも通りの1日を送っていた。
しかし突然、1人の男子学生(マキシム・ゴーデット)がライフル銃を携えて構内に乱入し、女子学生だけを狙って次々と発砲を開始する。
レビュー(まずはネタバレなし)
工科大学の銃乱射事件
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の初期の作品で、カナダのアカデミー賞と言われるジニー賞(知らなかったが)で9部門受賞という歴代最多受賞を果たしている社会派作品。
1989年にモントリオール理工科大学で実際に起きた銃乱射事件を題材とした作品だが、登場人物等は架空。
説明的なセリフは極力排除し、モノトーンの映像と、単調なフレーズを繰り返す音楽、緊張感のある音響、閉塞感を伝える雪景色、これらが一体となって事件の凄惨さを伝える。
シンプルな作品だが、このミニマリズムから、あまり説明的ではなく、いろいろな解釈も可能な気がする。
ドゥニ好きなので、特にこういうメジャー路線に進む前の作品はつい贔屓目に観てしまうが、世間的には好き嫌いが分かれる映画だと思う。日本で公開が遅れた理由も想像できる、興行的には厳しそうだし。
◇
原題のPolytechniqueは工科大学みたいな意味だろうか、これだけでカナダの人は銃乱射事件と結びつくのかもしれない。私には当時のこの事件に対する記憶がない。類似の事件が多いので、上書きされてしまったか。
邦題はイメージ先行だろうが、ちょっと印象に残りにくい。『静寂の叫び』というジェフリー・ディーヴァーの小説があるのだが、その映画化なのかと思っていた。
フェミニズムへの憎悪
本作は、フェミニズムを憎悪する犯人が、教室内の女子学生だけを残し、銃撃するという大変痛ましい話だ。犯人がなぜ憎悪に至ったかは、特に語られない。
フェミニストというと、日本では女性に甘い男という意味でよく使われるが、ここはあくまで男女平等主義者。「女のくせに理工学なんて学びやがって」、という思想の持主なのかもしれない。
◇
映画の過半を占める、事件が描かれるシーンには迫力があり、緊張感が高まる。銃乱射事件を美しく描くのはどうなのか、という意見は当然あるだろう。実際に起きた事件なら尚更だ。
犯人礼賛の映画ではないにせよ、キャンパス内の銃乱射事件は未だに後を絶たない。
皮肉にも新型コロナウィルスの影響で、アメリカでは18年ぶりに「学生が学校で銃乱射事件を起こさない3月」を迎えるなどというニュースもあるくらいなので、複雑な思いだ。
レビュー(ここからネタバレ)
隠された手がかり
重傷を負いながらも生還した女子学生ヴァレリーと、負傷した女子学生を救おうと奔走するも何もできなかった男子学生ジャン=フランソワ。犯人は14人の女子学生を殺害し、自決する。
倒れた犯人から広がっていく血が、被害者女性の血と混ざりあっていくのは印象的なシーンだが、この美しい見せ方は禁じ手だろう。モノクロとは思えない鮮やかな赤が目に浮かんでしまう。
説明の少ない映画だが、よく見ると、いろいろな所に手がかりが隠れているようにも思える。例えば、ジャンがみつめる校舎の壁に飾られたゲルニカの絵は、これから起こる戦争の悲惨さの暗示か。
犯人が犯行に踏み切る直前の背後の壁に貼られた鉄橋のポスターは、「戻れない川を渡る」の暗喩か。
襲った教室で行われていた熱力学講義の内容「孤立した環境では秩序は失われて崩壊するのだ」も意味があるのか、と想像が膨らむ。
わずかにある人物描写
人物の描写についても、わずかながら存在する。
例えば、インターン面接で「子供は作らない」と言わされたヴァレリーが気丈にふるまうところとか、ノートのコピーが完了しないけど後ろの女生徒に譲ってあげるジャンの人の好さとか(私にはそう見えたが、勘違いかも)。
◇
事件そのものと距離があるシーンも、不穏さをかき立てる。
ジャンが通報しても冗談と思い、まともに取り合ってくれない警備員、あるいは、校舎内で逃げ込んだ別の部屋で事件も知らずのんきにビールを飲んだくれている学生。この修羅場とのギャップの使い方も効果的だ。
事件後のヴァレリーとジャンについても描かれているが、ジャンが実家に戻るシーンは途中にはさまっていて、時系列的にちょっと理解に戸惑った。
そして、事件後にも
ヴァレリーが事件後、苦しいリハビリを乗り越え、インターン先に勤務し、やがて妊娠してという話も、それ自体はハッピーな方向。
だが、彼女の誰に投函するでもない、読まれない手紙からは、やはり被害者の苦しみが続いていることが読み取れる。
◇
ラストはカメラが学校の廊下を進んでいくカットなのだが、よく見ると上下が逆になっていて、ということは被害者が担架に乗せられた状態の目線ショットなのだろうか。
その流れで、エンドロールに犠牲者の方の名前が出るのだが、この作品がその追悼にふさわしい内容なのかは、正直疑問が残った。