『星の子』
河童のようなジャージ姿で新興宗教に傾倒する両親に目を奪われるが、これは何かを糾弾するのではなく、何が大切かを見つめ直す映画と思う。大森立嗣監督作品、芦田愛菜久々の主演映画となる。自ら志願し30センチ切った髪に、女優としての覚悟を見る。
公開:2020 年 時間:110分
製作国:日本
スタッフ 監督: 大森立嗣 原作: 今村夏子 『星の子』 キャスト 林ちひろ: 芦田愛菜 ちひろの父: 永瀬正敏 ちひろの母: 原田知世 まーちゃん: 蒔田彩珠 南先生: 岡田将生 なべちゃん: 新音 新村くん: 田村飛呂人 雄三おじさん:大友康平 海路さん: 高良健吾 昇子さん: 黒木華 さなえ: 見上愛
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治したという、あやしい宗教に深い信仰を抱いていた。
中学3年になったちひろは、一目ぼれした新任の南先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。
そして、そんな彼女の心を大きく揺さぶる事件が起き、ちひろは家族とともに過ごす自分の世界を疑いはじめる。
レビュー(まずはネタバレなし)
新興宗教ではなく、これは家族の話
芦田愛菜が『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』以来6年ぶりの実写映画主演。テレビCMでよく見かけるので、すっかり成長して、みたいな驚きはないが、演技力はさすが天才子役の経歴に恥じない。
実際、この作品は彼女の役者としての才能と努力に支えられている。両親が新興宗教に傾倒し次第に崩壊していく家庭を、娘の視点から描いているのだ。
◇
会員価格でも高額な怪しい<金星のめぐみ>なる水を手ぬぐいに浸し、ちょんまげのコントのように頭に載せて生活する父(永瀬正敏)と母(原田知世)。
どうみても胡散臭い新興宗教の餌食になっている両親の信心深さに目を奪われがちなため、これは新興宗教の怖さや弱った心につけこむやり口がエスカレートしていく映画なのだろうと思ってしまうと、裏切られる。
実際、私はそういう目で観ていたので、<何も起こらない映画>なのかと落胆しそうになった。だが、これは家族のドラマであって、宗教は何にでも代用がきく書き割りの背景にすぎないのだと気づいた。
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ちひろという高校受験を控えた娘が、自分の生まれた時の病気がきっかけで宗教に傾倒していった両親に対して、どのように向き合おうとしていくのか、それこそが描かれるテーマなのだ。
監督のこと、キャスティングのこと
監督は大森立嗣。『タロウのバカ』や『MOTHERマザー』では家族の残酷さをみせつけた監督だが、本作のソフトなテイストは『日日是好日』のそれに近い気がする。黒木華も出ているし、スタッフが重なっているせいか。
◇
さて、大森立嗣監督作品と同じタイトルでもドラマの方の『Mother』でいっきに天才子役と騒がれた芦田愛菜、そのドラマの書き手・坂元裕二の新作映画『花束みたいな恋をした』で主人公が絶賛するのが、本作の原作者・今村夏子。なんとなく、不思議な繋がりを感じる。
◇
ちひろの一家は両親と姉の四人家族。永瀬正敏と原田知世の両親役というのは、なかなか面白いキャスティングだと思うし、観ていて絶大な安心感もある。
ただ、正直にいえば、もったいない。宗教にのめり込んでいき、何があっても生命力の水を盲信するばかりなので、役者としての見せ場が極めて限られるのだ。特に永瀬正敏には、抑えている感情をどこかで解き放つ場面が見たかった。
こんな現実逃避の両親にさっさと見切りをつけて家を飛び出してしまう姉・まーちゃんに『朝が来る』の蒔田彩珠。出番は少ないが、印象深い。
ちひろは姉を慕っているが、安易に同じように家を飛び出そうとはしないし、両親に現実を突きつけようともしない。それは、こうなった原因が、自分への愛情だからということと無関係ではないだろう。ちひろが書く10年ダイアリーの同じページの冒頭には、母の育児日記が綴られているのだ。
◇
この物語における私の立ち位置は、母(原田知世)の兄・雄三(大友康平)に近い。
妹の一家が妙な宗教に毒されて怪しい水に囲まれている。彼は強引に現実を妹夫婦に見せつけて、お前たちは騙されるんだ、目を覚ませと説得を試みる。私が彼でもやってしまいそうだが、果たしてこの正攻法が通用するか。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
南先生に感じる猛烈な既視感
さて、比較的起伏に乏しい本作の展開のなかで、最大の盛り上がりは、ちひろが憧れのイケメン教師・南先生(岡田将生)に、夜の学校から家までクルマで送ってもらう場面だろう。
ちひろは子供の頃から面食いで、授業中に似顔絵描きに没頭するほど先生に好意を持っていたが、なんと自宅前の公園で緑のジャージ姿で頭に手ぬぐいを載せて水をかけあう両親を、先生に見られてしまう。
「何やってんだ、あいつら。狂ってるな」
先生には、あれが両親だとはとても言えない。恥ずかしさや悔しさや哀しさが混然となって、泣きながら親につらくあたるちひろ。
◇
この南先生。イケメンで女生徒に人気があり、スポーツも得意で、授業での語り口が乱暴なのも親しさと勘違いした、どうにも大人になりきれていない教師。
自分の似顔絵ばかり描くちひろに激昂し、宗教に走る両親も罵倒する、何事も表面でしかとらえられない人物だ。
この教師に岡田将生とは不満がある。いや、彼の演技には文句ない。ただ、似合いすぎて、あまりに安易なキャスティングだ。
芦田愛菜が殺される幼女役の『告白』で演じた熱血教師ウェルテルと同じ、或いは『悪人』のヘタレな金持ち大学生と同類。なので、南先生には既視感が拭えない。
一方で、新興宗教の教団側には、海路さん(高良健吾)と昇子さん(黒木華)という豪華な広告塔がいる。どうせなら、高良健吾と岡田将生の配役をスイッチしたら面白かったのではないかと、勝手に想像してみる。
南先生との間柄は別として、ちひろの中学校生活は、宗教がらみでさしたるいじめに遭遇することもなく、芦田愛菜の役にしては比較的平穏な日々で安堵する。
これには、何でもズケズケと言ってくれる親友のなべちゃん(新音)の存在が大きい。ついでに、その彼氏の新村くん(田村飛呂人)の空気読まない天然さもほっこりする。ちひろの両親を河童だと信じていたりして。
ちひろは何でもお見通しなのだ
さて、正攻法で妹夫婦を説き伏せようとしたが通用せず、まーちゃんに刺されそうになった雄三おじさんは、数年後に高校受験目前のちひろを呼び出し、志望校に近い自分の家に住まないかと提案する。彼もまた、親身になって心配しているのだ。
◇
おじさんの言うことも、後に宗教団体の集まりで会った男性(宇野祥平)がいうことも、ちひろはよく分かっている。あの新興宗教は危険なのかもしれないし、霊験あらたかな水も、みんな偽物だと。
だが、彼女は両親を責めないし、説得もしない。だって、貧しくたって、今は愛情に満ちていて、家の中は幸福だから。誰にも迷惑をかけていないし、変える必要もない。信じるものと愛する家族に囲まれる今は、十分に満ち足りている。
◇
試しに、この両親を毎週末に教会に通う敬虔なクリスチャン、或いは仏壇にお経を唱えるような人物設定に置き換えてみよう。ちひろの考えに特に違和感はないのではないか。
本作はたまたま新興宗教というトリッキーな題材を扱っただけで、根っこは家族の物語なのである。
終盤に何かを期待してしまったことは事実
そうは言っても、父親に永瀬正敏がいて、教団に高良健吾と黒木華がいて、映画全体が宗教団体の旅行というイベントに向かっていけば、そこには何らかのクライマックスがあると私は期待していた。
だから、ラストの家族三人の流れ星観察は、美しく温かいシーンではあったが、本音をいえば、ちょっと肩すかし感があった。
星空はナチュラルで美しかったと思う。だが、空を見上げる家族三人を正面からとらえたショットは、いきなり戯曲のようになってしまい、ちょっとベタで照れくさい。
◇
水を重用する両親に代わって、せっせとコーヒーを飲むまーちゃんとちひろの姉妹だったが、BLEND COFFEEの文字がやけに目立ったのは、原田知世が長年CMをやっているBLENDYを意識したのかな。
今村夏子の原作を読んで
鑑賞時点では未読だった、今村夏子の原作をついに読んだ。彼女らしい、すっと言葉では表現しにくい、独特の読後感がある。
映画は結構原作に忠実な作りだった。映画では聞き落としたのかもしれないが、ちひろが昔憧れていたイケメンのエドワード・ファーロングという俳優は、なんと『ターミネーター2』のジョン・コナー少年だった。
終盤の宗教団体の集まりでは、ステージで自分の目標を何人かが発表するシーンがあったと記憶するが、原作では、そこに、自分の彼女が信じるものが心配で、確かめに来たという彼氏が登場する。これは印象に残るキャラだったが、映画にもあっただろうか。
◇
ラストに家族三人で星を見上げるシーンは映画と原作で台詞も似ている。ただ、このまま眠ってしまえば、薬や催眠術で、明日の私は変わってしまうだろうか。原作でのちひろはそんな不安を抱く。
一方、映画では、穏やかな雰囲気のまま、幕を閉じる。まーちゃんが妊娠したという話が出るのは映画オリジナルだが、これはその平和なラストにふさわしく、なかなか良かったと思う。