『蛇の道』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『蛇の道』考察とネタバレ|四半世紀を経て、その道を再び這う毒蛇が現れた

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『蛇の道』
Le chemin du serpent

黒沢清監督が柴咲コウを主演に迎えてセルフリメイクしたサスペンス。加わった広がりと、失われたチープさ。さて、どう見るか。

公開:2024 年  時間:113分  
製作国:フランス・日本

スタッフ 
監督・脚本:           黒沢清


キャスト
新島小夜子:          柴咲コウ
アルベール・バシュレ:ダミアン・ボナール
ティボー・ラヴァル:

         マチュー・アマルリック
ピエール・ゲラン: グレゴワール・コラン
吉村:             西島秀俊
財団の元警備員:     スリマヌ・ダジ
アルベールの妻:    ヴィマラ・ポンス
新島宗一郎:          青木崇高

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

あらすじ

8歳の愛娘を何者かに惨殺された父親アルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)は、偶然知り合った精神科医・新島小夜子(柴咲コウ)の助けを借りながら、犯人を突き止めて復讐を果たすべく殺意を燃やしていた。

やがて二人はとある財団の関係者たちを拉致し、次第に真相が明らかになっていく。

レビュー(まずはネタバレなし)

フランスの制作会社から、何か撮り直したい自作があるかと聞かれ、それなら『蛇の道』だと即答した黒沢清監督。こうして、セルフリメイクの企画が動き出す。

幼い愛娘が何者かに殺された父親の復讐劇。誰が、なぜ、娘をなぶり殺しにしたか。

元ネタの『蛇の道』は1998年に、哀川翔香川照之という、今思えば豪華な共演で作られた復讐もの。

90年代、『地獄の警備員』を撮ったあとに黒沢清はビデオ作品に軸足を移し、哀川翔主演で『勝手にしやがれ‼』シリーズを連発。次いで『復讐』シリーズを二本撮ったところで、久々に『CURE』(1997)で映画に戻る。

その後に撮った『蛇の道』『蜘蛛の瞳』は劇場公開作だったが、VHS化の際に営業都合でそれぞれ『修羅の極道』『修羅の瞳』に改題されてしまい、「本作はヤクザ映画ではない」哀川翔が憤慨したという。

リメイク版の大きな違いは、娘を殺された父親ダミアン・ボナール、元ネタでは香川照之)の復讐に手を貸す人物が、不気味な塾講師(哀川翔)から、パリ在住の精神科医(柴咲コウ)に大きく設定変更されていることだ。

更に、舞台が日本からパリに移っていることを除けば、少なくとも中盤までの展開において、両作品に大きな差異はない。

黒沢監督はスタッフにはオリジナル版を観ないよう指示したそうだが、それでも監督が同じである以上、似てしまうのは避けられないようだ。

だから、本作を観るにあたっては、わざわざオリジナルを観ておく必要はない。観ている人には、あれこれ違いを楽しむ面白さはあるだろうが、何も知らずに本作の展開を待つ方が楽しめると思うから。

冒頭、KADOKAWAのクレジットが出て、オリジナルの大映との因縁を感じる。

ネタバレしてはいけないので、ストーリーはさわりだけにとどめたい。パリの町並に新島小夜子(柴咲コウ)が佇んでいる。メルセデスに乗った男アルベール(ダミアン・ボナール)とともに、アパートである男を襲撃しようとしているのだ。

ちなみに彼女の会話は基本、すべて流暢なフランス語。努力が窺える。異国の町と言葉で、『Seventh Code』前田敦子が一瞬脳裏をよぎる。

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

二人はとある財団の経理を担当していたラヴァル(マチュー・アマルリック)をスタンガンで襲い、廃倉庫に拉致監禁する。ここから、愛する娘を殺されたアルベールの復讐劇が開始する。

捕まって情けなく虐待される男を『007慰めの報酬』でボンドと戦ったほどのマチュー・アマルリックが演じるとは驚いたが、『ダゲレオタイプの女』でも黒沢作品に出ていた縁か。

さすがにオリジナル版のように、失禁して(大きい方ね)下着姿の尻にホースの放水を受けるまでのシーンはなかったが、それでも存在感あり。

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

このラヴァルを筆頭に、真犯人と疑われる人物が何人か登場し、廃倉庫に転がる死体の数も増えていく。その辺の展開は元ネタ通りだ。

セルフであろうがなかろうが、リメイクとはやはり難しいものだと改めて感じた。本作は技術的な進歩や予算のおかげもあり、映像は美しいし、空間にも広がりを感じる。

だが、皮肉なことに、オリジナル版のもつ、低予算の苦肉の策が奏功したチープさゆえの魅力が薄らいでしまったのは否めない(監禁中に与える食事が豪華になったのは、予算ではなく美食の国だからか)。

粗い画質の醸す不安感や、黒沢監督ならではの狭くて暗い空間の恐怖といった、初期の作品に欠かせなかったエッセンスが、本作には希薄だ。

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

また、アルベールが監禁した男たちに娘の在りし日のビデオを見せながら、娘が殺された時の鑑定報告のようなものを、淡々と読み上げる場面がある。これは文字にするのも躊躇われる悲惨な内容だ。

アルベールが読むのはフランス語なので、字幕で伝わるものよりも、香川照之が無感情に日本語で語る方が悲痛さがありありと感じ取れる違いはある。

それは字幕の問題なので仕方ないとして、死体の状況にも違いがあり、元ネタでは少女の強姦殺人だったものが、今回は臓器売買に変わっている。だから、標的は暴力団から怪しい財団になっているのだろう。

これはコンプラ重視の時代の流れから変更になったのだと思ったが(どっちも違法だけど)、どうやら黒沢監督が、少女を凄惨な目に遭わせたくないということで変更したようだ(どっちも凄惨だけど)。

その気持ちはよく分かるが、オリジナル版の持っていた暴力的な雰囲気は、やや変質してしまった気もする。

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

オリジナルでは香川照之がしだいに復讐に陶酔していくような狂気を感じさせたが、ダミアン・ボナールが演じたアルベールには、そこまでのキャラ設定はなかったようだ。

同様に、塾で謎の難解な数式を老若男女に教えている哀川翔が隠し持つ暴力性を、柴咲コウに期待するのは無理というものだ。ただ、彼女が演じる小夜子はそれとは違う形で、男たちを相手に存在感を発揮していたと思う。

監禁された財団の実力者ゲラン(グレゴワール・コラン)がいみじくも語ったように、<蛇の目を持つ女>というのが彼女にはふさわしい。ヒロイン役の多い柴咲コウがこういう謎めいた役を演じるのは、一体いつ以来だろう。

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本作でオリジナル版から失われたものは小さくない。

だが一方で、小夜子の精神科で診療を受ける吉村(西島秀俊)や、日本からオンライン会話でしか彼女と対面できない夫の宗一郎(青木崇高)といった新作のみのキャラは、出演こそ少ないが、黒沢作品らしい怪しさ醸出に貢献

特に、オリジナルではやや切れ味が悪かったラストと異なり、本作はキレイに閉じられたと思う。

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

終盤、真犯人がいるという廃業した遊園地に、財団の元警備員(スリマヌ・ダジ)の案内でアルベールと小夜子は足を踏み入れる。この遊園地が、映画ではほとんど生かされなかったのは残念。

娘が殺される場面を収録したという撮影場所にいくと、そこで無数のモニターから在りし日の娘の映像が流れるシーンはオリジナル版の踏襲だ。

さすがにブラウン管のテレビを大量にかき集めるのは大変だから液晶モニターに替わったようだが、これも独特の風合いが損なわれたように思えてしまうのは、単にノスタルジーだろうか。

オリジナルではコメットさんなる、仕込み杖をついた足の悪い女が後半に活躍する。

本作ではそれに代わるのが、財団の実権者であるデボラなのかと思えば、とっくに彼女は死に、それを後継し臓器売買をしているのが、アルベールの妻(ヴィマラ・ポンス)だったということらしい。

ついに復讐を果たすアルベールだが、「これで最後の一人になったわね」と小夜子に襲われる。つまり、彼女もまた娘を殺された被害者で、一方アルベールは臓器摘出のビデオ販売に加担した罪で制裁をうけることになる。

被害者の父が香川照之哀川翔の二人というよりも、本作のように男女の組み合わせにした方が、映画的には幅が出る。狙った獲物を気絶させ、寝袋に入れて引きずり運ぶのも、男女二人の方が絵になるし。

ガリレオ教授の相棒役も東野圭吾の原作では当初は男だったが、ドラマで柴咲コウにしたのがヒットに貢献したのを思い出した。

(C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

娘を売ったのはデボラの哲学に心酔した妻だった。そうアルベールは語る。では、小夜子の娘を売ったのは誰なのか。

ラストで、柴咲コウ<蛇の目>が、ある誰かをじっととらえている。まるでメドゥーサに睨まれたように、我々もそこから動けない。