『怪物』
監督:是枝裕和、脚本:坂元裕二、音楽:坂本龍一。全ての言葉には嘘があるが、奏でる不協和音は心に刺さる。
公開:2023 年 時間:123分
製作国:日本
スタッフ 監督: 是枝裕和 脚本: 坂元裕二 音楽: 坂本龍一 キャスト 麦野湊: 黒川想矢 星川依里: 柊木陽太 麦野早織: 安藤サクラ 保利道敏: 永山瑛太 鈴村広奈: 高畑充希 伏見真木子: 田中裕子 正田文昭: 角田晃広 星川清高: 中村獅童
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。
そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。
そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。
レビュー(まずはネタバレなし)
是枝 meets 坂元
監督・是枝裕和×脚本・坂元裕二という、ファンからすれば夢のようなタッグが実現した。とはいえ、天才同士のケミストリーが傑作を生むとは限らない。互いの良さを喰い合ってしまう懸念だってあるだろう。
だが、映画が始まると、そんな不安はすぐに一蹴された。さすがに、周囲の期待を常に上回る仕事をし続けてきた二人の職人だけのことはある。
◇
是枝裕和が、脚本にはノータッチで監督業に専念するのは、実に長編デビューとなった『幻の光』(1995)以来のことだという。
長い間、是枝監督は自ら脚本にも携わり、撮影現場で何かが頭に浮かべば、急遽台本を変えて撮り直す。そのスタイルは勿論効率的であり、監督の意図もブレることなくフィルムに焼きつけることができる。
だが、それでは自分の理解できないキャラクターを作品に登場させられないことになり、そこに是枝監督は限界を感じていた。
動き出した企画
そんな折り、プロデューサーの川村元気と山田兼司が、坂元裕二の書いたロングプロットを持ちこんできた。
関心の持つ題材も似ており、意識してフォローしている坂元裕二なら、願ってもない相手だ。自分が理解できない人物を投入してくれるだろう。是枝監督は快諾し、かくして企画は動き出す。
◇
一方の坂元裕二からは、本企画に対するコメントが探せなかったが、以前に自分がテレビの仕事に嫌気がさして身を引こうとした過去を語る際に、是枝監督の『海よりもまだ深く』(2016)を引き合いに出している。
「阿部寛が演じた売れない文筆家がまさに当時の自分だった。この監督、よく俺のことが分かっているな」
そんな二人がタッグを組む。
坂元裕二は『花束みたいな恋をした』や『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』といったビターな恋愛ドラマも得意とする。
だが今回は是枝監督が手掛けるだけあって、『それでも、生きてゆく』や『Woman』のように、どっしりとヘビーな題材を投入してきたと見える。
「怪物だーれだ」
本作の劇場予告には、これといった説明もなく、このキャッチコピーが連呼されるだけ。怪物の正体はおろか、どんなジャンルの映画なのかさえ、十分な手がかりは得られない。
ネタバレ過多、名場面見せすぎの近年の映画界の風潮にあって、なかなか頑張っているプロモーションだと思った。
是枝裕和×坂元裕二に加え、音楽に坂本龍一まで加わった超強力な布陣ゆえに、名前だけで動員が期待できるおかげかもしれないが。
◇
せっかくの作り手努力をむだにしないよう、ネタバレにならぬよう気を付けたいが、そうなると、ほとんど内容については語りようがないのがつらいところ。
坂元裕二のヒット作『カルテット』のように、あれだけ面白いのに、ジャンルからあらすじまで、とても簡潔には伝えられない複雑さが本作にも存在する。
湖畔の町で起きたビル火災
冒頭、湖畔の町にある繁華街でビル火災が起きる。高台から諏訪湖畔の夜景を撮ったショットの端のほうに、かすかに消防車のランプが見える。
この繊細な引きの絵と、派手に燃えさかるビルの迫力の場面との転換がいい。あの火災シーン。合成には見えなかったが、どうやって撮ったのだろう。
◇
激しい火災の消火活動をベランダから見下ろしているシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)と小学生の息子・湊(黒川想矢)。
早織はクリーニング屋に勤めている。カンヌでも記者が質問していたが、確かに是枝作品では『ベイビー・ブローカー』のソン・ガンホも、『万引き家族』の安藤サクラも、クリーニング屋だった。
今のご時世、どの町にも残っていて、熱気と匂いを想像させる商売となると意外と限定されるものなのか。
◇
湊は沙織と、死んだ父がもう生まれ変わったかの話で盛り上がる。安藤サクラだけに、オオアリクイに転生しそうになった『ブラッシュアップライフ』を思い出す。
「豚の脳を移植された人間は、人間でしょうか、豚でしょうか」
湊が唐突に早織に尋ねる。他愛もない会話に聞こえたこのやりとりは、実は重要な問いかけとなっている。
死んだ目をした教師陣
火災がおきてから数日後、湊が自宅の洗面所で伸ばしていた髪を突如切ったり、片方の靴をなくしたり、或いは水筒に砂利が入っていたりと、不可解なことが続く。
更には、姿が見えなくなった湊をようやく廃線跡のトンネルでみつけた早織だったが、湊は帰路に向かうクルマから飛び降りてケガをする。
少年は一体何を苦しんでいる。学校内のイジメの匂いがプンプンするが、湊は早織の問いかけに、担任の保利先生に「お前の脳は豚の脳だ」と言われ、ケガをさせられたのだと泣きながら語る。
ここから学校に直談判にいく早織の孤軍奮闘ぶり。けして彼女はモンペではなく、冷静な申し入れは常識的だと思うが、迎える学校側の姿勢に驚く。
伏見校長(田中裕子)や正田教頭(角田晃広)が、「指導に誤解がありました、行き違いがありました」と言葉では詫びるが、そこには何の説明もなく、人間味もない。会話が成立しないのだ。
死んだ目をした教師陣は、まるで宇宙人にでも魂が乗っ取られたかのようだ。そして肝心の担任教師・保利(永山瑛太)は頭を下げて謝罪はするが、何の反省も誠意もみせない。彼こそが怪物なのだろうか。
ほぼ坂元組のキャスティング
湊の母親・早織役の安藤サクラは『万引き家族』に続く是枝作品の起用だが、他の俳優陣は、これでもかというほど坂元組で固めている。
『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』など、坂元作品の個性派キャラを一手に担う永山瑛太。
『Mother』『Woman』など坂元作品で母親役にこのひとありの田中裕子。
その他にも『大豆田とわ子と三人の元夫』の角田晃広、『問題のあるレストラン』の高畑充希。安藤サクラも『それでも、生きてゆく』で坂元作品出演歴あり。
今回、是枝監督にしてみれば、脚本を委ねたのと同時に、坂元裕二の世界観を良く知る俳優陣たちと初めて仕事をすることで、新境地を開く意図があったのかもしれない。
是枝作品のミューズは生前の樹木希林が長年務めてきたが、今回は田中裕子との初仕事。こんなに血の通わない演技をする彼女をこれまで観た記憶がない。とても気になる存在だ。
◇
さて、ここまでの話は、ほんの序盤にすぎない。映画はここで、時系列を遡り、違う人物の視点で出来事を繰り返す。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
事実なんてどうでもいいの
前半の展開では、早織の目線で湊の体罰問題をとらえた。学校を追及しても反応は薄いが、最終的に保利先生は保護者のまえで謝罪し、新聞沙汰にもなり社会制裁を受ける。
ここから物語は保利先生の目線で繰り返される。火事の現場近くに、たまたま恋人の広奈(高畑充希)といたところを教え子たちに見つかる。
保利は着任間もない教師だ。広奈との会話から風変りな性格と分かるが、教師としてはまともな人物であることが分かる。一方的な情報に、彼は異常だと、我々は先入観を持っていたようだ。
クラスにいじめはあった。だがそれは、保利が早織に反論したように、湊が同級生の星川依里(柊木陽太)をいじめていたのではなかった。どこか女性らしさを感じさせる、かわいいキャラの星川を、クラスの男子がいじめていたのだ。
湊はいじめに積極的に加担はしないが、かといって友だちである依里をかばうまでの勇気もなかった。そこに湊は苦悩し、ときに教室で暴れた。
保利はただ、その湊を抑えようとしただけで、暴力教師とは真っ赤な嘘。言いがかりに対し事実を伝えようとするも、校長からは「事実なんてどうでもいい。学校を守るのよ」と抑え込まれた。
その結果があの公式謝罪だ。それならば、保利の言葉に魂など籠っている訳がない。
豚の脳を治してやる
「あいつには豚の脳が入っているです。それを治してやりますから」
保利が湊にそんなことをいうはずもなく、これは星川依里の父親(中村獅童)が保利に語った言葉だ。それがなぜ湊を傷つけているのか。
謝罪後に職場を追われ、マスコミ取材で恋人にも逃げられた保利。
『男の「(避妊具なしでも)大丈夫」と女の「また今度」は当てにならない』という、いかにも坂元的なウィット溢れる台詞を披露した広奈(高畑充希)が、窮地の保利に「また今度ね」といって去る。
◇
保利はこの段階でようやく、依里の書いた作文にあるメッセージに気づく。縦書きの文の頭を横読みすると、湊と星川の名前になる。二人はいじめあう仲ではなかったのだ。
男たるもの、かくあるべし
最後に、少年たちの視点で出来事が繰り返される。湊は依里と親しくなるが、それが恋愛感情に近いことに薄々気づく。だが、それは<悪>であると、彼は思いこまされている。
湊の死んだ父はラガーマンで、女と不倫旅行の最中に死んだというのに、早織は介さない。
「湊、私はあんたが結婚して家族を作るまで、頑張るってお父さんに約束したんだから」
◇
結婚、家族。かつて当然のように口に出されたこの言葉は、多様性の世の中では重荷になっている。だが、小学生の湊には自分を責めるしかない。同性を好きになる自分は、豚の脳が入っているのか。
組体操の土台で崩れた湊に保利先生がかけた何気ない言葉も、受け手には堪えたのではないか。
「ほら、湊。しっかりしろよ、男だろう」
自分の息子にその気があると知った星川の父もまた、湊の亡き父同様にマチズモのオラオラ系の男だ。彼こそ、怪物に相応しい。我が子の性質を豚の脳と誹謗し、無理やり洗脳しようとする。それに耐えかねた依里は、父のいるガールズバーに放火する。
誰にでも手に入るものが幸せなんだよ
嘘をついて保利先生を追い詰めてしまったと反省する湊を校長先生は音楽室に連れていく。そこで二人でトロンボーンとホルンで音を出す。
「誰にでも手に入るものが幸せなんだよ」
学校の体面のために、運転不注意で孫を轢き殺してしまった罪を夫に被ってもらった(と思しき)校長。彼女もまた怪物と私は思う。
この二人の奏でる不協和音は、巨大なゾウの鳴き声のように校舎中に響き、屋上で自殺を思案していた保利先生を思い留めさせる。坂本龍一の遺作となった静かなピアノ曲が、心に沁みる。
湊と依里が二人の秘密基地のように遊ぶトンネルの奥の廃電車。「怪物だーれだ」と二人で遊ぶ。
おでこにつけたカードに自分の正体が描かれているが、本人にはそれが見えない。自分の本性は、他人にどう見えているかが全て。そういう無力感と息苦しさが、そこに暗示されているのか。
世界は変われるのか
好きな人のことを好きといってはいけない、好きになってはいけない苦しみ。そして、そんな制約自体がそもそもないことを、なかなか受け容れてくれない社会の理不尽。
激しい暴風雨のなか、二人のことを心配し土砂崩れのおきた廃電車までかけつける早織と保利先生。横転した車両の泥だらけの窓に打ちつける雨粒が描き出す光の模様のアートが美しい。だが、車両のなかに二人の姿はない。
◇
台風一過の爽やかな青空の下、山道を楽しそうに走り回る二人の少年は、現実に生きているのか、或いは死後の世界なのかは、観る者の判断に委ねられているようだ。
個人的には、彼らはもう生きてはいないのではないかと思う。あまりにパラダイス然とした光景が不自然だし、是枝監督が撮影前に少年たちに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読むように勧めているのも、それなら腑に落ちる。
ただ、生死よりも重要なのは、このラストの二人には幸福な充実感が漲っていることだ。彼らのためにも、我々大人たちが世界を変えていかねばと、認識させられた。