『もどり川』
連城三紀彦の初期の代表作を萩原健一と神代辰巳監督のコンビで映画化。妖艶な女優陣の競演。
公開:1983 年 時間:137分
製作国:日本
スタッフ 監督: 神代辰巳 脚本: 荒井晴彦 原作: 連城三紀彦 『戻り川心中』 キャスト 苑田岳葉: 萩原健一 加藤朱子: 原田美枝子 村上琴江: 樋口可南子 苑田ミネ(妻): 藤真利子 桂木文緒: 蜷川有紀 村上秋峯(師匠): 米倉斉加年 加藤(朱子の夫): 柴俊夫 桂木頭取(文緒の父): 高橋昌也 桂木綾乃(文緒の姉): 加賀まりこ 千恵(遊女): 池波志乃
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
ポイント
- 萩原健一と神代辰巳監督が大正のデカダンスとミステリーにエロスを投入した気迫の一作であることは確か。原作を読んでいない人なら、きっと堪能できるはず。
- 一方、原作愛読の連城三紀彦ファンなら、これちょっと違わないか、っていう気持ちになるのでは。
あらすじ
大正時代の末期。歌人の苑田岳葉(萩原健一)は、病身の妻ミネ(藤真利子)を尻目に、浅草の遊郭に通い詰めては自堕落な生活を送る毎日。
ついに歌の一門から破門宣告を受けた岳葉は、師匠・村上秋峯(米倉斉加年)の妻・琴江(樋口可南子)と強引に肉体関係を結び、一緒に駆け落ちしようと彼女を誘う。
しかし、当の岳葉自身がその約束をほごにして計画は未遂に終わり、彼は姦通罪で捕まって投獄される運命に。刑期を終えて出所した岳葉は、失意のあまりに消息を絶った琴江の行方を捜し回る。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
連城+神代+ショーケン
日本推理作家協会賞を受賞した、連城三紀彦の初期の代表作である短編「戻り川心中」を神代辰巳監督が映画化した作品。心中事件によって大正歌壇の寵児となる歌人・苑田岳葉を萩原健一が熱演する。
ショーケンは神代辰巳監督と『青春の蹉跌』(1974)以来、信頼関係を築いており、本作の主演にあたっても彼から「監督は神代さんで」とオファーしたという。
そんな熱い監督と主演のタッグに荒井晴彦の脚本とくれば、期待も高まる。歌を詠んでは激しく何人もの女を愛する天才歌人・苑田岳葉のデカダンス。
大正の世のロマンを感じさせる一方で、関東大震災や大杉事件など、原作にはない時代背景もたくみに取り込み、映画的なスケール感を膨らます。そして、愛欲に溺れ、自堕落に生きている歌人・苑田岳葉の破天荒な生き様。
本作は、連城三紀彦原作ものの初の映画化であるが、テレビでは同じ『戻り川心中』を田村正和主演で前年に単発ドラマ化している。あいにく未見なので田村正和の岳葉も見てみたい。
だが、少なくとも、本作の萩原健一の狂気の演技は、それに劣っている気はしない。「ああ、なるほど、こういう人物が苑田岳葉だったか」と、原作から入った観客を納得させる力がある。
公開前の不運な出来事
不運なことに、本作は当初カンヌの賞をねらっていたが、上映から数週間で劇場から消えざるをえなかった経緯がある。
ショーケンは映画公開前に大麻取締法違反で逮捕されてしまったのだ。本作に滲み出る狂気も、ドラッグの効能ということか。結局カンヌのコンペには不戦敗となり夢は潰える。
では、それなかりせば、本作は傑作といってよいか。率直にいって、私はあまり本作を高く評価できない。これは多分に、私が長年の連城三紀彦の愛読者であることと関係している。
本作の見どころは大正ロマンの時代のショーケンの男がみても痺れる色気と、それを受け止める、原田美枝子、樋口可南子、藤真利子、蜷川有紀といった豪華絢爛な女優陣の競演であろう。
そこに魅了されることで満足できれば、本作は十分に見応えがある。
何せ、ロマンポルノ界から堂々と日本映画界の第一人者になった先駆けといえる神代辰巳監督である。
どの女優も、他の作品ではなかなかお目にかかれない艶やかさとエロスを放っている。それは単に、濡れ場があるというだけではなく、もっと高い次元の話だ。
だが、連城三紀彦の原作対比でみた場合、どうしてもミステリーとしての切れ味が決定的に生ぬるい。これは私のように、連城原作を踏まえて本作を鑑賞した人には、同じような思いが生じたのではないかと勝手に想像する。詳細については、ネタバレの次項で触れたい。
キャスティングについて
キャスティングをみてみよう。主役の苑田岳葉にまだギラギラしている年齢のショーケンはハマった。
連城三紀彦の直木賞受賞作「恋文」の主人公は、萩原健一をイメージして書いたというが、1983年に発表された小説なので、本作の彼の演技からインスピレーションを得たのかもしれない。
ショーケンは本作後、この『恋文』(1985)および『離婚しない女』(1986)と、計三本の連城原作ものを、神代辰巳監督とのコンビで撮っている。
◇
岳葉をめぐる女たち。まずは妻の苑田ミネ、演じるのは藤真利子。生活費にも困窮するなか、夫が遊郭で遊び呆けるのをじっと堪えている忍耐の女。連城の時代ものでは定番の結核を患っており、序盤で突如障子に喀血するシーンは度肝を抜く。
そして、「きみの歌には毒がない」と岳葉を破門にした師・村上秋峯(米倉斉加年)の妻・琴江に樋口可南子。
身持ちの堅い淑女だった琴江を岳葉は果敢に攻め、ついに駆け落ちをするまでになるが、当日品川駅の汽車のホームに、岳葉は現れない。琴江はそこから遊女にまで身を落とし、岳葉は姦通罪で獄中に。
樋口可南子は同年谷崎潤一郎の『卍』でもレズビアン役を披露する等、本作以外でも大胆な役をこなしていた時代だった。
◇
岳葉の歌の熱烈なファンである深窓の令嬢、銀行家の娘・桂木文緒を演じるのは蜷川有紀。一緒に心中しようとするが未遂に終わり、後日、自分は誰かの身代わりでしかなかったということに落胆し、自宅で首を吊る。ある意味、いちばん気の毒な娘といえる。
そして終盤に登場し、本作で重要な役割を担うのが、岳葉の友人の無政府主義の思想家・加藤(柴俊夫)の妻・朱子(原田美枝子)。夫の爆死後、朱子は岳葉の二度目の心中に付き合うこととなり、二人で宿に泊まり、夜に舟をだす。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。
真相を暴くのは誰
連城三紀彦の作品、特に初期のミステリーの多くには、どんでん返しのように真相を解明する決め台詞には傍点が付されている。
その台詞があまりに美しく、またトリックの切れ味がよいことで、読者は惹かれていく。本作の原作にもそれがある。だが、映画は同じことを実に淡泊に伝えてしまっており、物足りない。
◇
原作では、岳葉が二度の心中事件を起こし、未遂となったあと「桂川情歌」と「蘇生」という連作歌集を世に出し自害する。天才歌人として知られる彼の研究家である主人公が、何年も後に真相を暴くスタイルを取っている。
一方、映画では、原田美枝子演じる朱子がその謎解きの役を担い、心中の直前に岳葉に真相を突き付ける。
この大きな設定変更の理由は分かる。何十年もあとの回想形式より、目の前で心中を添い遂げようという妙齢の女が謎を解く方が臨場感に勝るからだろう。
でも、本作に関しては、回想形式の静かな謎解きがしっくりきていたと思う。
ここからずばりネタバレなので、未見・未読の方はご留意願いたいが、本作は、何の実体験がなくても歌を詠めてしまう天才歌人が、それでは世間に認められないからと、後付けで心中未遂事件を起こす話だ。
その真相を暴いてしまうのは、映画のように歌集が世に出る前よりも、原作通り、天才歌人だと世間に浸透した何十年もあとの方が、よりインパクトがあると思う。
傍点つきの決め台詞
「海外には童謡どおりに殺人が起きる小説があるらしい。日本でも、岳葉の歌の通りに事件がおこる探偵小説を考えている作家がいたらしいが、それは無駄なことだ。
童謡殺人なら、既に30年前、岳葉自身の手で行われてしまっているのである。心中の歌自体が、既に童謡殺人だったのだ」
(原作の一部を要約しています)
これまで、なぜ二度の心中事件や、宿屋で不可解な行動を取っていたかが分からなかった岳葉の目的が、一気に明らかになる一瞬。その傍点の一文に感服する。
映画では、まだ起きていない事象を詠んだ歌集を、岳葉のカバンから朱子が偶然みつけてしまい、そこから彼女が謎を解く。そして夜にもどり川を回遊する舟の上で、彼女が真相を究明するわけだが、やはりこの部分の衝撃が、原作比弱い。
とはいえ、本作をただ、女を追い求め愛欲の日々を死に急ぐ歌人の情事の物語だと思って観ていたのだとすれば、最後に明かされるこの天才歌人の野望に、驚きをもって向き合うことができたのかもしれない。
◇
そして、二度目の心中事件を無事に成立させた岳葉は、本当に愛した琴江(樋口可南子)までも、もどり川で入水自殺したことを知り、自らの頸動脈を切り、壮絶な死を遂げる。
樋口可南子で思い出すのが、本作の翌年の『ときめきに死す』(森田芳光監督)。そこでは、沢田研二が同様に壮絶な自害を果たしている。ショーケンとジュリーというGS時代の二大スターは、こんな場面でも対抗心を見せていたのかな。