『CURE』
黒沢清と役所広司の最強タッグのホラーはここから始まる。癒しを求めて、人は伝道師の罠に落ちていく。黒沢ホラーの真骨頂、サイコホラーの真髄を体感せよ。
公開:1997 年 時間:111分
製作国:日本
スタッフ
監督: 黒沢清
キャスト
高部賢一: 役所広司
間宮邦彦: 萩原聖人
佐久間真: うじきつよし
高部文江: 中川安奈
宮島明子: 洞口依子
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
娼婦が惨殺される。被害者は首から胸にかけてX字型に切り裂かれていた。
刑事の高部(役所広司)は、同様の事件が相次いでいることを訝しがり、友人の心理学者・佐久間(うじきつよし)に犯人の精神分析を依頼する。
無関係な犯人たちがなぜ同じ手口で犯行を行うのか、その手がかりは掴めない。
やがて、加害者たちが犯行直前に出会ったとされる男・間宮(萩原聖人)が捜査に浮かび上がる。記憶障害を患っており、人に問いかけ続けるその言動は謎めいていた。
レビュー(まずはネタバレなし)
黄金のタッグが結成される
黒沢清監督のホラーを体験したいのならば、まずはこの作品から入るのが王道ではないだろうか。『カリスマ』や『回路』、『ドッペルゲンガー』と続いていく黒沢ホラーの中で、役所広司は欠かせない存在になっていく。
当時は本作の企画がなかなか通らなかったようだが、黒沢映画に関心のあった役所広司がオファーを受け、映画ができあがった。蓋をあければ東京国際映画祭での高評価を得て、世界のクロサワとなっていく足がかりともなった作品だ。
◇
猟奇的殺人事件の犯人を追う刑事の姿を描いたサイコ・サスペンス。首から胸をX字型に切り裂かれる殺人事件が連続発生するが、犯人は一様に、記憶がないという。
捜査が進むうちに現れた、全ての加害者と接点を持つ記憶障害の男・間宮が、どういう手を使ったか分からないが、怪しいということになる。
これぞJモダンホラー
映像の隅々から、不穏で不気味な雰囲気が強く伝わってくるところが、いかにも黒沢的なのだが、特に秀逸なのは、ロケ地選びだと思う。
予算的にも、きっとセットではないのだろう。天井高の思い切り低い薄暗いトンネル、古臭い造りの精神病院、さらに古い廃病院、殺風景な取調室、朝日を浴びた交番。
どれも、よく探し出したものだと感心するほど、映画の雰囲気に合っている。
まあ、監督の手にかかれば、明るいファミレスの店内だって不気味に見えるのだから、ロケ地の効果はあまりないのかもしれないけれど。
◇
何といっても主演の役所広司は、この頃から既に、黒沢ホラーとの相性は抜群だ。次第に狂気が入っていく変化がいい。
もう一人の主役である萩原聖人も、記憶障害で会話が成り立たず相手をイラつかせつつ、次第にマインドコントロールしていく様子がリアルで良かった。
ホラーに合うかなと思っていたが、うじきつよしも結構それらしい雰囲気がでていて満足。ただ、警察の事件捜査に協力する精神医にしては、ずいぶん深入りするなあとは思った。ガリレオ教授だって、そこまではしない。
レビュー(ここからネタバレ)
何を伝道しようというのか
企画段階では『伝道師』という題名だった本作は、当時名を馳せたカルト教団を連想させることから、『CURE』に改名されたというが、その名の通り、謎の男・間宮がエヴァンジェリストとして、ある教えを伝道しようとしている。
それは、メスマーという19世紀の医者が編み出した催眠療法だ。間宮は、この技を会得したことで、術をかけた相手に、犯行を実践させることができたという訳だ。
◇
トリッキーではあるが、この内容自体はさして意外感はないので、ネタバレというほどの話ではないかもしれない。
むしろ興味深いのは、操られた人々があまりに無感情に周囲の者を殺害するサマと、犯人の巧みな会話により、次第に同化していく高部刑事だろう。
トリックは分かった。トリガーは何だ
殺人事件に関しては、
①冒頭の娼婦殺害
②間宮と海岸で出会った教師の妻殺害
③でんでんの交番での同僚警官射殺
④黒沢映画のミューズ洞口依子女医の公衆便所殺人
と続いていく。
X字型の傷の遺体よりも、
①はホテルの廊下の収納に隠れる加害者
②は窓から飛びおりる加害者
③④は加害者そのもの
に、それぞれショックを受ける。
犯行のトリガーは、何かの光、或いは水音か。ライターの火は分かりやすかったが。
上記の事案については、
①トンネルの点滅する照明
②踏切の警報器
③録音機の点滅
④トイレの水音
とかだろうか。
あんただけは特別な人間だ
高部刑事に関しては、精神病の妻・文江(中川安奈)との生活と仕事との両立に疲弊している。その心の弱さを間宮に攻められ、いつしか彼の話術に取り込まれている。
「あんただけが、俺の言葉の本当の意味を理解できる人間だ」
そう警察幹部の集まる会議で間宮に囁かれ、高部は思わずキレるが、彼自身思い当たるところがあったのに違いない。
犯人を追っていたはずの刑事が、いつしか同化していき、最後には意思を引き継いでいるという構図は、その後『カリスマ』にも継承されているように思う。
やがて、間宮は精神科の医学生で、メスマーの催眠療法を研究していることが分かってくる。日本でも伯楽陶二郎という医師が催眠術を患者にかける古い映像があったと、佐久間が見せてくれる。(戦前の古い映像の不気味さは、監督の新作『スパイの妻』でも効果的に使われている)
そして、危険だから間宮には近づくなと、何度も警告していた佐久間が、邪教への興味からか、彼に近づく。佐久間の書斎の壁にかかれたX字型の落書きを発見した高部が、
「お前、間宮に会ったな?」
というシーンは、地味に怖い。
さて、その佐久間も自殺してしまい、いよいよ終盤の廃病院での高部VS間宮の対峙になる訳だが、この後の展開は、ボーっと観ていると分かりにくい。以下は、私なりに解釈してみた。
ラストシーンの意味を考えた
間宮を射殺した高部は、廃屋で伯楽医師の催眠術の古い録音を聞いてしまう。
「太刀持て癒せ」という言葉も出てくるくらいだ。彼は術にかかってしまい、潜在意識の中で邪魔になっていた、入院させた妻を殺害する。それが、最後に出てくる病院での文江の遺体だ。癒せというからには、本人はキュアしたつもりかもしれない。
◇
そしてラストのファミレス。ここは極限まで情報が削ぎ落されているが、ウェイトレスが彼にコーヒーを出し食事を下げたあと、画面の背後で、別の客に向かって、出刃包丁を構えて突き進むところで映画は終わる。
遠景でセリフもないので、見過ごすほどだ。ピントが高部から店員に移るので、かろうじて把握できる。
◇
このシーンは、間宮を殺して新たに伝道師となった彼が、店員に催眠をかけたと理解した。
だがトリガーとなる光がないぞ。と思ったが、彼はタバコを吸っている。つまり、直前にライターで火をつけたということだ。
画面には出ないが、行間を読めと言う黒沢清監督の教えなのかもしれない。