『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』
Avatar: The Way of Water
13年ぶりに史上最高の興行収入をあげたシリーズの続編登場。またもや最新技術を体験しなければ。
公開:2022 年 時間:192分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ジェームズ・キャメロン キャスト ナヴィ / アバター ジェイク・サリー: サム・ワーシントン ネイティリ: ゾーイ・サルダナ キリ: シガニー・ウィーバー トノワリ: クリフ・カーティス ロナル: ケイト・ウィンスレット ネテヤム: ジェイミー・フラッターズ ロアク: ブリテン・ダルトン トゥク: トリニティ・ジョリー・ブリス 地球人(スカイ・ピープル) スパイダー: ジャック・チャンピオン マイルズ・クオリッチ: スティーヴン・ラング セルフリッジ: ジョヴァンニ・リビシ アードモア将軍: イーディ・ファルコ ガーヴィン博士:ジェマイン・クレメント スコーズビー船長:ブレンダン・カウエル
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 前作ほどの衝撃はさすがに望めないものの、13年をかけた技術の進歩は、得も言われぬ美しさの水中撮影シーンからはっきりと感じ取れる。
- 迫力の映像と音響に比して物語は今回も単純明快。ここは好みが分かれるかもしれないが、続編だけでも感激なのに今後シリーズ化されるとは。これは毎回劇場通いがデフォルトか。
あらすじ
地球からはるか彼方の神秘の星パンドラ。元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)はパンドラの一員となり、先住民ナヴィの女性ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と結ばれた。
二人は家族を築き、子どもたちと平和に暮らしていたが、再び人類(スカイピープル)がパンドラに現れたことで、その生活は一変する。
神聖な森を追われたジェイクとその一家は、未知なる海の部族のもとへ身を寄せることになる。しかし、その美しい海辺の楽園にも侵略の手が迫っていた。
レビュー(まずはネタバレなし)
森から海に舞台は移る
映画館に足を運び3Dで観なければ後悔する映画が存在することを教えてくれたのは、2009年公開の『アバター』だった。
それから13年が経過し、映画は配信されて自宅で観るものという生活スタイルが日本でも定着し始めた現代に、巨匠ジェームズ・キャメロンは、大きなスクリーン(それと3Dメガネ)の素晴らしさを再認識させてくれる。
◇
舞台は前作と同じ惑星パンドラ。ただし、森の美しさや神秘性を幻想的に描いた前作とは異なり、本作でのメインステージはタイトルからも伝わるように「海」だ。
前作で圧倒された俳優の演技をCGのキャラクターに置き換えるパフォーマンス・キャプチャーの技術力を、本作では史上初めて水中撮影に採用する。
観る者を幻想的なウオーターワールドに引き込む、圧倒的な没入感。これは、特撮の技術を極めずにはいられないジェームズ・キャメロン監督でしか、なしえないレベルの映像だろう。
かつて『アビス』(1989)で培ったCG技術を『ターミネーター2』(1991)で昇華させ傑作を作ったジェームズ・キャメロンが、『アバター』(2009)の技術に更に磨きをかけて、それまでの興行成績世界一位だった『タイタニック』(1997)以来久々に「海」を撮る。興奮さめやらぬのも無理はない。
数か月前に前作を劇場で観ておさらいした時に、やはり新作はIMAXで観なければと言っていた癖に、諸般の都合で通常の3D鑑賞になってしまった。
それを考慮しても、やはり前作からの技術進歩は歴然としていたように思う。通常3Dでこれなら、IMAXやその他全部入りの劇場だったら、更に凄い体験になっていたことだろう。
普通なのが凄いのだよ
さてでは実際のところ、私はどう感じたか。誤解を恐れずにいえば、あまりに普通に見えるのだ。
つまり、最先端の技術と労力を惜しみなく投入した結果として、パンドラで暮らす青い肌の主人公たちが、本当に実在し、森や海の中でドラマを繰り広げているように見えるということだ。
そこには、特撮だからCGだからという前置きはなく、あまりに当たり前のように彼らがいる。これはある意味凄いことだろう。
◇
3Dをこれ見よがしに主張する、例えばスクリーンから観客席に飛び出してくるような絵作りもあまりない。
これをやられると、USJのアトラクションのようになってしまうが(あの『T2』もキャメロンだったけど)、本作ではあくまでドラマ重視。3Dはむしろ海や森を奥行きのある方向に持っていく。これが心地よい。
因縁の敵マイルズ・クオリッチ
3Dネタはほどほどにして、ネタバレにならない程度に物語について触れたい。
前作から10年後のパンドラ、ナヴィ族の一員となったジェイク(サム・ワーシントン)は、ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と家族を築き、多くの子供を授かって幸せな生活を送っている。
しかし、そんな生活も、再び人類(スカイピープル)が天から姿を現したことで終わりを告げる。家族の安全を第一に考えたジェイクは、ナヴィの村を離れ、家族を連れて海岸に住む海洋民族のメトケイナ族に受け容れを求める。
前作の知識なくしては、フルに本作を堪能することは難しいだろう。特に、今回もヴィラン扱いであるマイルズ・クオリッチ(スティーヴン・ラング)についてはその悪行ぶりを知っておきたい。
RDA社の傭兵部隊を率いた元海兵隊の大佐であり、前作では人間離れした強さと卑劣さでナヴィ族を散々苦しめたのち、ジェイクとネイティリとの死闘の末に刺殺されたマイルズ。
だが、今回、なんとRDA社の技術で記憶や精神とともにコピーされ別の肉体にアバターとして蘇るのだ。
「海兵隊は決して負けることはないのだよ」
あのマイルズが復活とは、こんな恐ろしいことはない。しかも今回は部隊そろってアバターとなっており、人間の姿の時より手強いのだ。
そして主人公のジェイク。人間の姿を捨ててネイティリと家庭を持ち、息子のネテヤムとロアク、幼い娘のトゥクの三人の子供がいる。
さらに前作で亡くなった植物学者グレース・オーガスティン博士(シガニー・ウィーバー)の家で生まれた養女のキリ、そして何と宿敵マイルズ・クオリッチの息子のスパイダー(彼だけ人間のまま)という大家族で暮らしている。
これだけの複雑な家族構成を理解する意味でも、前作の復讐は欠かせない。
懐かしのメンバーで集大成
パフォーマンス・キャプチャーの出来があまりに良いので、スカイピープルを除けば前作から認識しているジェイク役のサム・ワーシントンとネイティリ役のゾーイ・サルダナ以外、誰が演じているかをあまり意識することがない(というか分からない)。
だから、養女のキリを母親のグレース・オーガスティン博士と同じシガニー・ウィーバーが演じていたり、メトケイナ族のリーダー・トノワリ(クリフ・カーティス)の妻ロナルをケイト・ウィンスレットが演じていたり、なんてことはエンドロールで知るまでさっぱり分からなかった。
それにしても、『エイリアン2』(1986)のシガニー・ウィーバーと『タイタニック』(1997)のケイト・ウィンスレットを起用するとは、このシリーズはジェームズ・キャメロン監督にとって集大成にしようという意気込みに溢れている。さすが、今後二年ごとに続編を世に出していくと宣言するだけはある。
◇
13年前に『アバター』が公開されたとき、それを劇場に観に行くことは一つの体験だった。それに比べると、二度目の体験になる本作に、前回のような黒船襲来のような度肝を抜くインパクトはない。
だが、だからといって見過ごす手はない。水中シーンの3D映像と迫力の音響は、自分も主人公たちと同様に窒息寸前の苦しさに喘いでいるような恐怖をもたらすほどだ。
13年前の興奮を思い出すためでもいいし、まして今回が初の体験になるのなら、猶更足を運ぶべき作品だとお伝えしたい。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
単純明快ストーリーはもう…
再び空からやってきたスカイピープルが、大量の銃火器を携えて再びナヴィたちを襲う。人類は荒廃していく地球を捨てて、パンドラへの移住を企んでいた。
そのためには、復讐もかねて、ナヴィのリーダーであるジェイクを始末する必要がある。彼らのねらいが自分だと気づいたジェイクは早々にナヴィの村から家族とともに立ち去り、敵の目を盗んで海洋民族であるメトケイナ族の集団生活に入り込む。
◇
執拗にジェイクの家族を追い回すスカイピープルの部隊との死闘。ストーリーは至ってシンプルだ。
前作だって単純明快だったのだが、それは3Dの圧倒的な新技術の投入と、アバターなる聞き慣れなかった概念の理解を優先させるために、あえて馴染みある西部劇的なストーリーにしたのではなかったか。
既にある程度下地のある本作では、そろそろ単純明快なストーリーから脱却しても良かったのではないかと感じた。
父親の役目は家族を守ること
海洋民族という設定は、1か月先に公開されたマーベル映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』に先を越された感がある。ゾーイ・サルダナまでがメトケイナ族のように緑の肌だったら、『ガーディアンズ』のガモーラと見分けがつかなくなりそうだ。
そもそも少年スパイダー(ジャック・チャンピオン)の父親が敵の大将マイルズ・クオリッチ(スティーヴン・ラング)だという設定や、少女キリ(シガニー・ウィーバー)の父親が誰か分からないという謎も、この手の作品には手垢のついた材料だ。
勿論、その程度のことでつまらなくなるような作品ではないのは承知の上だが、シリーズ化するなら、この辺をフックに話を広げていくようなことがないとよいのだが。
「父親の役目は家族を守ること」その信念を胸に、ジェイクは戦いを避けて転々とするが、結局周囲の者たちを苦しめてしまう。逃げていては未来は掴めない。ネイティリの言葉に目覚め、戦うことを選ぶ。
サリー家は一致団結。だが、パンドラの民族同士にも、混血の者には差別や偏見があり、いじめがあり、自分はどうして他人と違うのだろうという苦悩がある。
それらは本作の中では全て解決しないし、「復讐の殺し合いは哀しみの負の連鎖しか生まない」という、高邁な思想に対する答えも得られない。それは次作以降に引き継がれていくのだろうか。
クジラに乗った少年
トゥルクンと呼ばれるクジラのような巨大海洋生物と少年との心の交流は泣かせる。
傷を癒してくれたお礼に、トゥルクンが助太刀してくれる流れが、『ナウシカ』っぽい。でも、この巨大海洋生物が人間に乱獲される様子が、日本の捕鯨問題を呼び起こしそうでちょっと心配。
最後になるが、『タイタニック』等でキャメロン監督と組んで仕事をした作曲家のジェームズ・ホーナーは、既に他界しており本作では音楽がサイモン・フラングレンに交代。
前作で印象的だった雫のように音階が上がっていくテーマ曲や、民族音楽のような打楽器の調べは、予告編では多用されていたのに本作では殆ど登場せず、少し寂しい。
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ともあれ、われらがジェームズ・キャメロン監督が、まだまだ精力的に仕事を続ける気が漲っているようで、これは嬉しいことだ。