『勝手にふるえてろ』
綿矢りさの人気原作を大九明子監督が秀逸なアレンジで仕上げた快作。松岡茉優の熱い演技に注目。
公開:2017 年 時間:117分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
OLのヨシカ(松岡茉優)は同期の「ニ」(渡辺大知)からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがる。
だが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」(北村匠海)への思いもいまだに引きずり続けていた。
一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が二人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。
そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れる。
今更レビュー(ネタバレあり)
私、やっぱりイチが好き!
綿矢りさの同名原作を大九明子監督が映画化。オムニバス映画『放課後ロスト』(2014)で大九明子が自身の監督するエピソードの主演に抜擢した松岡茉優が、本作で本格的な初主演を果たしている。
中学時代から長年憧れているだけの「イチ」という本命の恋愛対象(北村匠海)がいるのに、「二」という近場で言い寄ってきた同僚(渡辺大知)と付き合い始める、自分の世界に没入しがちなエキセントリックな主人公ヨシカ(松岡茉優)。
「私、やっぱりイチが好き! 』と、映画の中で100回は唱えているのではないか。
本作を公開時に観た時には、この傍若無人な主人公に感情移入できず、あまりよい印象を持てなかった。
だがその後、綿矢りさ原作を映画化した、同じ大九監督の『私をくいとめて』(2020)や『ひらいて』(2021, 首藤凜監督)など、綿矢ワールドを読んだり観たりするうちに、次第に味わいどころが分かってきた。
のんや山田杏奈が演じてきた綿矢りさ原作映画の主人公のとんがった攻撃性にくらべると、松岡茉優が本作で演じているヨシカは、憧れのカレシを思い焦がれるだけで、むしろ共感できる部分が多い方かもしれない。
それにしても大九明子監督は、本作で主演に松岡茉優、隣室の住人に片桐はいりを配置し、『私をくいとめて』では、のんと橋本愛を久々に共演させるなど、完全に朝ドラ『あまちゃん』を意識した大胆不敵なキャスティングだ。
映画オリジナルの小ネタが秀逸
今回、初めて原作を読んだうえで本作を観直してみたのだが、いやこれが予想外に面白い。さっそく記憶を上書き保存した。
大九明子監督は原作をきちんと理解したうえで、かなり自分なりのアレンジを加えている。これが実に見事に主人公のキャラに深みを与えており、かつニンマリしてしまう小ネタに満ちているのだ。
例えば、中学の回想シーンでは、原作にあった描写を比較的忠実に映像化。
- ヨシカがイチに嫌われないように彼に気づかれずに視野のはじっこで観察する<視野見>という奥義
- 「天然王子」なる、中学時代のイチをモデルにヨシカが描き始めたマンガのキャラ
- 反省文を100回黒板に書かされているイチにヨシカが提案する、ひとつだけ違うことを書く悪戯
◇
これはこれで面白いが、OL時代のヨシカの言動には映画オリジナルが急増し、その小ネタが粒ぞろいなのだ。
- 他人をあだ名でしか呼べないヨシカが名付けた上司フレディ(机叩いて“We will rock you”)
- 同僚が集める『タモリ倶楽部』の空耳アワーのグッズ
- ボヤ騒ぎを起こして近所に配る謝罪土産の定番、新橋の切腹最中
- 奥多摩にあるという霊験あらたかなパワースポットの滝
- イチを誘い出した同窓会で「持ってかれる前にお取りなさい」とヨシカに助言する居酒屋のおばさん店員
そして、いつもヨシカの周囲にいて話しかけてくれる不思議な老若男女も映画オリジナルのキャラなのだが、この連中の配役も絶妙なチョイスだ。
- 朝から晩までいつも川っぺりで釣りをしているオッサン(古舘寛治)
- 孤独に下手なオカリナを吹いているアパートの隣人(片桐はいり)
- きれいな金髪の人形みたいなカフェの店員(趣里)
- 最寄り駅で温かく見守っている駅員(前野朋哉)
- なぜか三つ編みにしているコンビニ店員(栁俊太郎)
- バスの隣でいつも編み物の陽気なおばさん(稲川実代子)
イチに再会できたり、二に生まれて初めて告られたり、何かあるたびに親しそうにヨシカに話しかけてくれる、この不思議な仲間たち。なんだ、ヨシカの都会生活も、わりと充実しているじゃないか。
◇
だが(ここからネタバレになるので未見の方はご留意ください)、この連中はみなイマジナリーフレンドなのだ。いや正確には、実在はするが、話しかけたことなどない人達なのだ。会話はすべて彼女の想像の産物。この事実が、終盤イチにも二にも失望する彼女の孤立感を際立たせる。
キャスティングについて
イチに一途で舞い上がる部分と、二をぞんざいに扱う二面性を共存させる松岡茉優には、長いキャリアに裏打ちされた演技の確かさを感じる。コメディエンヌとしても才能がある。
留学中の同窓生を騙ってなりすましアカウントで同窓会を企画したり、他人の家のカレンダーを勝手に何枚も破いてイラスト描いたり(原作ではファックス用紙なので赦す)、傷心で会社を休むのにつわりがひどくてと嘘ついたり、やり過ぎの感はある。
でも、イチは自分の大好きな絶滅動物の話に意気投合してくれたり、一方で二はみんなが集まるタワマンに勝手に付いてくるわ、ガサツな言動が多すぎるわで、「やっぱりイチが一番」と言いたくなるヨシカの気持ちもよく分かる。
◇
カッコいいのだけれど、何を考えているのかつかめず、こんなにも想っている自分の名前さえ覚えてくれていなかったイチに、ヨシカは傷つき、失望する。あまちゃん繋がりの橋本愛も、『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)で、同じような憂き目に遭っていたっけ(二の渡辺大知も出てたな)。
イチの北村匠海は本作では見せ場が少ないのだが、その分、二の渡辺大知は、無神経ではあるがきちんとヨシカと向き合っている男として描かれており、おいしい役である。実際、この役に渡辺大知はフィットしていたと思う。
ヨシカの親友クルミ役は意地悪な役という設定なので、石橋杏奈の起用は意外だった。原作よりも、意地悪っぽさは薄らいでいる。というか本当はいい人なんじゃないかとさえ思える。
ところで、彼女たち女子社員が休憩室で消灯して昼寝をしていて、一斉にあちこちで携帯に明かりがついて起床するシーンがある。これはクルミが意地悪だという前提で見ると、ヨシカが処女だという情報をSNSで拡散したように見えたのだが、考え過ぎか。
消去はイチ、保存は二を
いつまでも美しい思い出に浸っているだけではダメだ。名前も覚えてくれていないイチに見切りを付けたヨシカだったが、安全牌だと思っていた二にも見放され、待っていたのは究極の孤独と現実。
「消去する場合はイチを、保存する場合は二を」(このオリジナルネタには笑った)
留守電からの機械音声で、彼女は意を決する。
◇
そして怒涛のラスト。ヨシカが電話で家に呼んだ二と向き合い、彼女は胸の内を吐露する。
がさつで無神経だけれど、はじめからヨシカのことを正面から見ていてくれたのは、霧島クンだった。ここで、二の実名が初めて登場する(イチは一宮という名前由来だが、二はただの通番だった)。ようやく結ばれる二人。
収まるべきところに収まった感のあるエンディングだが、抱きしめ合うなかで、ヨシカがつぶやく。
「勝手にふるえてろ!」
タイトルでもあるこの台詞は、本来、中学時代に実はいじめられていたというイチに対する彼女の怒りの捨て台詞だ。原作と異なりこの場面で登場したために、一瞬、霧島クンに向けられた台詞かと思ってしまった。
◇
そして、エンディング。アンモナイトやドードーのように、ヨシカも絶滅危惧種一覧に名前を連ねているとでもいうように、彼女の胸から剥がれ落ちる深紅の付箋は鮮烈に映る。