『家族ゲーム』考察とネタバレ !あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『家族ゲーム』今更レビュー|横一列の食事スタイルはコロナ禍の現代にこそ

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『家族ゲーム』 

森田芳光監督と松田優作という、二つの才能の出会い。見たことのない家族ドラマが東京湾岸で繰り広げられる。

公開:1983 年  時間:106分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督・脚本:  森田芳光
原作:     本間洋平
          『家族ゲーム』 

キャスト
吉本勝:    松田優作
沼田茂之:   宮川一朗太
沼田孝助:   伊丹十三
沼田千賀子:  由紀さおり
沼田慎一:   辻田順一
大野先生:   加藤善博
土屋裕:    土井浩一郎
田上由利子:  前川麻子
山下美栄子:  佐藤真弓

勝手に評点:3.5
(一見の価値はあり)

(C)1983 日活/東宝

あらすじ

高校受験を控える息子を持つ沼田家は、成績のパッとしない次男の茂之(宮川一朗太)のために家庭教師をつける。

だがやって来た吉本(松田優作)は三流大学の7年生という風変わりな男だった。

父の孝助(伊丹十三)は息子の成績が上がれば特別の報酬を払うと約束。吉本は時にやさしく、時に暴力的に息子の茂之を仕込み始める。

今更レビュー(ネタバレあり)

沼田クン家はここですか

森田芳光監督が一気にブレイクした出世作と言える本作。『の・ようなもの』(1981)でデビューしたとはいえ、製作費で背負った借金の返済もあり、『シブがき隊 ボーイズ & ガールズ』(1982)のあとにピンク映画を二本も監督(評判はよかったらしい)。

そして撮りたかった本作で、猛烈に社会に問題提起する。といっても、堅苦しい作品ではなく、あくまで森田芳光らしいエンタメ路線やエッジを効かせた独自性を発揮しながら、深く考えさせる作品といえる。

原作は、すばる文学賞を獲った本間洋平の同名小説。過去には本作公開の前年に鹿賀丈史の特番ドラマ、映画のあとには長渕剛版と櫻井翔版で、それぞれ連ドラが作られている。顔ぶれをみても、およそ傾向がつかめないところが面白い。

東京は中央区勝どきにある海っぺりの都営アパートに暮らす沼田一家。会社勤めの沼田孝助(伊丹十三)と妻の千賀子(由紀さおり)、そして優秀な高校生の長男・慎一(辻田順一)と、不出来な中三の次男・茂之(宮川一朗太)の四人家族。

両親は、兄の通う上位ランクの西武高に弟を進ませたいが、ろくに勉強もしない反抗期の茂之では、下位の神宮高しか望めない(西武ヤクルトが日本シリーズを熱く戦ったのは1992年と1993年。公開当時はまだ、こういう序列で違和感なかったのかも)。

そして、成績向上のために雇ったのが、城南大学7年生という吉本勝(松田優作)。わざわざ船に乗って勝どきに乗り込んできては、「沼田クン家はここですか」と都営アパートを指さして聞き、通行人に無視される。すでにもう尋常な映画ではない。

ストーリー自体は、この家庭教師がスパルタで教え子を鍛え抜き、やがて成績が向上してくるというシンプルな内容だが、『ドラゴン桜』系な受験対策ものではまるで異なり、随所にバカらしいネタや演出が埋め込まれている。それを追うだけで楽しめる。

伊丹十三などは、この作品で、小ネタ満載の映画作りの面白さに気づいて監督稼業に乗り出してしまったのに違いない。少なくとも、彼の『タンポポ』は、本作での目玉焼きチューチュー吸いの影響を受けているはずだ。

森田と優作の邂逅とケミストリー

本作で特筆すべきなのは、あの松田優作が森田作品に、それも家庭教師役で主演している、という点に尽きる。

アクション作品だけではなく、多方面のジャンルに可能性を松田優作が模索し始めた時期に、この二人の才能が出会ったことは意味深い。一を聞いて十を知る相手に巡り合えたことで、双方が信頼しあう関係になっているのだろう。

本作でバイオレンスを封印している訳ではないけれど、ただの大学生だから拳銃もってるはずもなく、せいぜい生意気な教え子をビンタする程度。だけど、何せ松田優作だもの、そこからどうヒートアップするか想像つかず、ムチャクチャ怖い。

教え子である茂之を演じたのは本作でデビューの宮川一朗太。実生活では、リアル西武高ともいえる武蔵に通いながら、俳優を目指してこの役をつかむ。

とはいえ、オーディションでは作品に興味も薄く(松田優作の出演もまだ未定)、めちゃくちゃ無愛想に覇気のない対応をしていたそうで、それが逆に森田監督の目に留まったそうだ。

この宮川一朗太の、ママに甘える思春期の中坊の顔と情緒不安定な反抗期の共存が実に気持ち悪く、バシバシ優作に叩かれてほしいと思いながら何度も観てしまう。

夕暮れを完全に把握しました

沼田一家はみなバラバラだ。朝の食事メニューも時間も違うし、晩御飯は一緒だとしても、横一列に並んで食べる、『最後の晩餐』のような独特の座り方だ(今でも『家族ゲーム』スタイルでシニア層には通用するはず)。

これは、家族が食卓を囲むシーンには、背中を向ける者がいないという、ドラマの約束事をエスカレートさせた画期的なアイデアだ。絵的にも目立つし、何より昨今なら、濃厚接触者による家庭内感染にも一定の効果があるぞ。

(C)1983 日活/東宝

そして、あくまで家事や子供の教育などは妻の仕事であり、自分は稼いでくればそれでよいのだと家長として高圧的な父親。おかげで家は離散寸前だが、本人は気づいていない。

「あいつの成績順位が一番上がれば、一万円だすぞ」
と、カネで吉本を釣る父親。

「ホントですか?30人なら30万ですよ。そんなカネあるんですか」
問い詰める吉本に、本気で定期の満期がどうのこうのと回答する父親。

その会話のナンセンスさもいいし、そもそも会話がなされているのが、駐車場の自家用車の中というのも、なんか分かるな。確かに、ウサギ小屋に四人暮らしでは、プライベートな会話にもってこいの場所なのかもしれない。

勉強には身が入らないが、ジェットコースターの構造に関心の深い茂之。「としまえんなら一番で入れますね」と母親に語る吉本。台本のディズニーランドとしまえんに変更したのは、松田優作のアイデアらし。さすが、ディテールのおかしみが分かっている。

指示を無視して「夕暮れ」という文字をノートに埋め尽くし、「夕暮れを完全に把握しました」といきがって、吉本にビンタされる茂之。ガラス張りの机の天板下からのカメラが斬新だ。

(C)1983 日活/東宝

本人か、担任か

やりことなすこと、みんなすれ違っていて、どれもニヤリとさせる。「先生、その彼女と結婚しないんですか」と茂之に問われ、無言でハンカチを出し汗をふく吉本の漫画のようなリアクション。

優等生だったはずが、いつの間にか学校にも行かずに、タロット占いから空手へと興味を移していき、日の丸を背に危険な匂いのする兄の慎一。さんざん茂之をいじめていた同じクラスの土屋(土井浩一郎)が、成績をさげてやろうと彼に送り付けてきたエロ本の数々。

茂之の通う学校に目を転じれば、教師には『の・ようなもの』伊藤克信松金よね子、そして超不機嫌そうな担任教師に加藤善博。志望校の変更のために教員室に乗り込んできた吉本と担任との不機嫌な野郎二人のやりとりは、一触即発。

「本人を呼んでください」
「(私が)担任です」

聞き違いのギャグなのかも判然としない緊張感だ。

撮り直しの効かないクライマックス

本作のクライマックスは、さんざん周囲をふりまわした挙句に志望校を神宮から西武に変えた茂之がめでたく合格し、例の長い食卓に一列になって、みんなでお祝いの食事をするシーン

空気も読まずに小言ばかりいう父親に息子たちはキレ、やがて食べ物が飛び交う乱闘騒ぎのような食事会になる。NGの許されないワンシーンワンカットの一発撮りだ。

どさくさにまぎれて、吉本は父親にも、そして母親や子供たちにも一撃を加える。松田優作の日頃のアクションからみたら、じゃれているようにしか見えないが、みんな床に倒れ込む。

牧師の持つ聖書のように植物図鑑を胸に抱き、毎回船に乗って家庭教師にやってくる吉本。彼は確かに受験の成功はもたらしたが、けしてハッピーエンドで惜しまれて去っていく人間ではない。

彼はこの文字通り<最後の晩餐>のあと、姿を消す。バラバラだった家族は、皮肉にも、この食べ物が散乱した居間の片付けを通じて、不思議な一体感を手に入れる。

(C)1983 日活/東宝

そしてヘリの音は響き渡る

西武高に通い始めた茂之はまたサボり始め、慎一もはや優等生には戻らず、結局すべてが元の木阿弥だ。そんな中でラストシーンは、激しいヘリのプロペラ音の中で、なぜか日中に家で昼寝している兄弟、そして母親を写す。

静かならば平和にもみえるが、このヘリの音は不穏で不吉なものを感じさせる。どこかでまた金属バット殺人でもあったか、あるいは誰か水道に睡眠薬でも仕込んだか。

何にせよ、これだけ笑いをとってきた本作のラストが、これほど突き放した不気味なエンディングになっていることは、なにか未来を暗示しているようでうすら寒い。

強権的な父親のもとで育った兄の慎一は、やがて『ときめきに死す』(1984)の沢田研二のような、心安らぐことのない人生に身を投じることになるのだろうか。

(C)1983 日活/東宝

本間洋平の原作では、兄の慎一の視点から物語が描かれている。映画の大まかなストーリーは原作を踏襲するが、父親の仕事を自動車整備工場の経営者からホワイトカラーに変え、茂之の趣味を戦闘機からジェットコースターに変え、チューチューする趣味や車内密談などの味付けをくわえるなど、映画的な仕掛けがふんだんに盛り込まれた。

何より松田優作という稀代の才能を主演に得たことで、映画は原作以上に、社会の不安や不条理、そしてシニカルな面白みを増幅させることに成功しているように思う。

映画同様原作も、慎一であれ茂之であれ、この少年たちが何を考えて生きているのか、何も語ってはくれない。原作では、映画のように荒れ狂った晩餐もなく、日常が続いて終わるのだが、ここはむしろ森田芳光による鮮やかなエンディングに小気味よさを感じた。