『鍵泥棒のメソッド』
精密機械のような内田けんじの脚本に、堺雅人と香川照之の黄金コンビが応えた記憶喪失コメディ。そのウェルメイドな出来に驚くこと必至。
公開:2012 年 時間:128分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 内田けんじ キャスト 桜井武史: 堺雅人 山崎信一郎: 香川照之 水嶋香苗: 広末涼子 工藤純一: 荒川良々 井上綾子: 森口瑤子 水嶋翔子: 小山田サユリ 水嶋京子: 木野花 水嶋徳治: 小野武彦 理香: 内田慈
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
35歳でオンボロアパート暮らしの売れない役者・桜井(堺雅人)は、銭湯で出会った羽振りのよい男・山崎(香川照之)が転倒して記憶を失ってしまったことから、出来心で自分と山崎の荷物をすり替え、そのまま山崎になりすます。
しかし、山崎の正体は伝説の殺し屋コンドウで、桜井は恐ろしい殺しの依頼を引き受けなくてはならなくなる。一方、自分が売れない貧乏役者だと思い込んでいる山崎は、役者として成功するため真面目に働き始め、徐々に事態は好転していく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
脚本だけじゃない内田けんじの魅力
精密機械のような脚本で観客を魅了してきた内田けんじ監督だが、本作では少し趣向を変えてきた。いや、勿論本作でも脚本の出来が良い事は言うまでもない。
だが、『運命じゃない人』や『アフタースクール』に見られた、脚本さえよければ映画は成り立つ、といった気負いが本作にはなく、その分、三人の登場人物のキャラクターに人間的な魅力が加わっている。
◇
結婚する日を発表してから、部下に相手を紹介してと依頼する偏屈な雑誌編集長・水嶋香苗(広末涼子)、獲物を手際よく刺殺した後に、銭湯で転倒し記憶を失う伝説の殺し屋・山崎信一郎(香川照之)、自殺に失敗する売れない役者・桜井武史(堺雅人)。
記憶喪失の話など、1週間テレビを観ていたら何本も出くわすほど手垢のついた題材だ。三谷幸喜の『記憶にございません』の総理大臣のように、記憶を失くした人物が、これまでと正反対の生き方を始めるパターンも珍しくはない。
裕福そうな男が銭湯で転倒し記憶を失くし、偶然居合わせた売れない役者が鍵札をすり替える。ひとりは記憶喪失のまま汚いアパート暮らしの売れない役者として人生を歩み始め、ひとりは財産や高級車を手に入れるが、なりすました相手は殺し屋だったと知る。
対照的な境遇の二人の人生が入れ替わるという設定自体、コメディとして面白くはあるが、とりたてて斬新な発想とも思えない。
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だが、そこからが内田けんじの才能のすごさだ。普通の監督ならば、この設定にあぐらをかいて、中盤までは勢いで笑いを取れても、どこかで失速してしまうところを、きっちりとエンディングの瞬間まで、緊張感と笑いを持続させる。
しかも、これまでの作品と違い、うわべだけでなく恋愛ドラマとしての要素も、しっかり織り込めているのだ。
『運命じゃない人』や『アフタースクール』には、中盤に「えっ、どういうこと? ああ、そうだったのか」という、驚きの瞬間がある。本作には、それがない(厳密には、あるけど弱い)。でも、その分をドラマそのものが補って余りあるので、映画自体の完成度は高いといえる。
彼の監督作品はどれも好きだが、脚本としてなら『運命じゃない人』、映画としてなら本作を私なら薦める。
キャスティングについて
三人のキャスティングもひじょうにハマっている。堺雅人と香川照之とくれば、半沢直樹と宿敵・大和田常務の組み合わせで一躍有名になったが、それ以前に二人の共演を実現しているのが本作。
『半沢直樹』や『真田丸』以来、重厚な役のイメージが強まった堺雅人だが、本作の頃はまだ、こういう売れない役者役とか、『クヒオ大佐』の結婚詐欺師とか、軽妙な役も多かったのだ。なんだか、懐かしい。
一方の香川照之は硬軟何でもこなす名優。本作では、殺し屋としての役は当然似合うけれども、記憶をなくしても前向きに貧乏生活で演技の勉強をし始める姿が、またうまいのだ。
悪役で売ってきた役者に、たまにこういう誠実な役を演じられると、たまらない。几帳面にびっしり埋まった手書きのノートが小道具として効果的。
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ヒロインの広末涼子は、今回の婚活する世間ずれした生真面目な雑誌編集長の役は似合っていないのだけれど、そのギャップが監督のねらいだろう。
ここに普通にコメディエンヌを起用しても面白くない。意外性で彼女を持ってきたのは正解だと思った。
部下に合コンのセッティングを頼み、男性の写真を品定めして「ありです、ありです、なしです、ギリギリありです」と真面目顔でいうシーンなど、広末涼子だから面白いのだ。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
映画では記憶喪失は回復するもの
さて、病院で偶然道を聞かれたことから親しくなった広末と香川(以下、役名だとすり替わって分かりにくいので俳優名で)。どんな逆境でも何事にも前向きに取り組む香川に次第に広末は惹かれ、予定通りの結婚相手にと彼女の方からプロポーズする。
だが、漫画ではバナナの皮が落ちていれば人は必ず転び、映画では記憶喪失者は必ず記憶を取り戻す。クラシック音楽好きだった香川は、広末の父の形見のレコードを聴いて、全てを思い出す。
想定内とはいえ、ここまでいい雰囲気で育んできた不器用な恋愛関係が、これで振り出しに戻ってしまうのは寂しい。
記憶を取り戻した香川は、元の自分のマンションに帰り、そうとは知らず帰宅してきた堺を捕まえ、問い詰める。
だが、香川になりすましたせいで、伝説の殺し屋コンドウと誤解されていた堺は、依頼人の悪党・工藤(荒川良々)に怪しまれ、つけ狙われる羽目になる。
アジトに踏み込まれた香川は、奇策を思いつく。自分の面が割れていないことから、香川がコンドウから工藤に寝返った部下を装って、コンドウを殺し窮地を脱する計画だ。
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といっても、あくまで殺すふり。香川の正体は殺し屋ではなく、殺し屋を装って標的を逃がして金を双方から受け取る、便利屋だったのである。
それにしても、内田けんじ監督は便利屋が好きだなあ。『運命じゃない人』の山ちゃんも便利屋だったし、『アフタースクール』の探偵・佐々木蔵之介も似たようなもんだ。
スタニスラフスキーのメソッド演技法
模造品のナイフで刺されて死ぬ演技を堺にやらせて、ダメ出しする香川。
むくれる堺が、「俺の演技はスタニスラフスキーのメソッド演技法だから…」といいかけると、「お前の部屋の演技法の本をみると、どれもはじめの数ページで挫折してんだよ」と、香川には全てお見通し。
このあたりのやりとりは最高に面白い。まさか、タイトルの<メソッド>が演技法に由来するとは、誰も思いもよらないだろう。
やがて広末も登場しては巻き込まれてしまうのだが、男二人に女一人だというのに、本作ではヒロインを奪い合う三角関係に安易に持っていかないのはさすがだ。
香川が記憶喪失の際に勉強していたメソッド演技とは、無意識でも演じきれるくらい、内面からその役柄になりきってしまう演技手法をいう。
コンドウの手下という架空の役になりきった香川が、次々と臨機応変に妙案をうちだしてくるのも、メソッド演技の賜物だったのかもしれない。
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一方の堺も、いい年になってこんなボロアパートで貧乏暮らし、役者としても芽が出ずに、死にたくなるのも無理はない、などとボロカスに言われ、演技でもダメ出しされていいところがない。
だが、最後には、敵に捕まった香川を助けようと一世一代の演技で勝負に出る。コンドウになりきった堺の芝居がかった言い回しは、連ドラ初主演だった『ジョーカー 許されざる捜査官』を思い出す。
そして見事なフィニッシュ、切れ味や良し
このあとの工藤たちとの決着のつけ方について詳細は語らないが、破局になるのかと思われた香川と広末の関係が、最後に再び取り上げられたのは素晴らしい。
離婚歴のある広末の姉(小山田サユリ)が序盤に彼女に語っていた、「女は三十歳過ぎると胸キュンなんてないわよ」の伏線が回収されるのが嬉しいではないか。
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しかも、それが胸キュンではなく自動車の防犯ブザーの誤作動というオチもエッジが効いている。内田映画は最後にひとひねりあるのが定例だけれど、本作のエンディングは、切れがいい。
でも、最後に堺のほうにも胸キュンがあるのは余計だったかな。『アフタースクール』でも堺雅人はフラれ役だったから、ちょっと気遣ったのか。
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さて、本作以降、内田けんじ監督の長編映画はもう10年近く世に出ていない。きっとまた、精密機械のように練りに練った脚本を書いているのだろうと、新作を心待ちにしているのだが。