『太陽』
劇団イキウメ・前川知大の戯曲を入江悠監督が映画化した近未来SF。
公開:2016年 時間:129分
製作国:日本
スタッフ
監督: 入江悠
原作: 前川知大
『太陽』
キャスト
奥寺鉄彦: 神木隆之介
生田結: 門脇麦
生田草一: 古舘寛治
奥寺純子: 中村優子
奥寺克哉: 村上淳
森繁富士太: 古川雄輝
佐々木行雄: 綾田俊樹
佐々木拓海: 水田航生
金田洋次: 高橋和也
曽我征治: 鶴見辰吾
曽我玲子: 森口瑤子
勝手に評点:
(悪くはないけど)

コンテンツ
あらすじ
21世紀初頭、ウイルスによる人口激減から、なんとか生き残った人類は、心身ともに進化しながらも太陽の光に弱くなり夜しか生きられなくなった新人類「ノクス」と、ノクスに管理されながら貧しく生きる旧人類「キュリオ」という2つの階層に分かれて生活していた。
ある日、村でノクスの駐在員をキュリオの男が惨殺する事件が起こった。この事件により、ノクスから経済制裁を受け、キュリオはますます貧しくなっていった。
今更レビュー(ネタバレあり)
劇団イキウメ・前川知大✕入江悠
劇団イキウメの主宰・前川知大による舞台作品の初の映画化となったのが本作。監督は入江悠。
前川知大原作は翌2017年に黒沢清監督が『散歩する侵略者』を映画化し、その後、『聖地X』で再び入江悠監督がメガホンを取る。
◇
コロナ禍の恐怖を先取りしたかのような作品だ。謎のウイルスの強い感染力と高い致死率で、世界の人口は半減した。
一部、ウイルスから生き延びた者たちがいたが、彼らは変異種となり、知能的にも、肉体的にも、人類より進化した存在となった。
だが、彼らには太陽光を浴びると死んでしまうという弱点があり、夜を生きる新人類となる。こうして人類は、夜を生きる<ノクス>と昔ながらの<キュリオ>に二分され、世界はノクスに支配される構造になった。

旧人類と新人類
物語の舞台はキュリオの山村だ。荒くれ者の奥寺克哉(村上淳)が一人のノクスに陽光を浴びせ惨殺し、逃亡したことで、村はノクスから経済制裁を受ける。
もはや、電気やガス、自動車もない時代に退化した環境の中で、村人たちは何年も貧しい生活を送っている。
◇
主人公は、克哉の甥にあたる奥寺鉄彦(神木隆之介)と、幼馴染の生田結(門脇麦)。鉄彦は母・純子(中村優子)と二人暮らしだが、こんな希望のない村を出てノクスになりたかった。
一方の結は、父・草一(古舘寛治)と自分を捨ててノクスになってしまった母・玲子(森口瑤子)を憎んでいた。

こうして二人が19歳に成長したところで、ノクスの市役所から曽我征治(鶴見辰吾)が突如現れ、村の経済支援を再開するとともに、若者のうち1名にノクスへの移行権利を与えようと言い出す。
◇
ざっとこんな具合に物語は進行していく。
登場人物の大半は村に暮らすキュリオだが、生粋のノクスには役人の曽我と、この村とノクスの住居地域の国境で門番をしている森繁(古川雄輝)、村から脱出した転びノクスに、その曽我と再婚した玲子や、医師の金田(高橋和也)が登場する。

舞台作品を映画でやる難しさ
前川知大の原作を事前に読んでみた。面白かった。舞台は観ていないが、きっと面白いのだろうと想像できる。
だが、この手の話は、映画化となると分が悪い。
本作のようなSFめいた話やファンタジーは、舞台で本物らしく見せるには限界があり、観客もそれを分かっている。
だから、観客は自発的に、作り手の嘘に騙されてくれる。チープなメイクだけでも、この人はノクスなんだと、信じてくれるはずだ。
だが、映画ではそうはいかない。特殊メイクやCGで、いかようにでもノクスを本物らしくみせることができる。だから、単に顔を青白くしたり血管を浮き出るように見せるだけでは、がっかりしてしまうのだ。
この映画はその障壁を乗り越えられていない。だから、映画全体がひどくチープに見える。血管が浮き出る青白い肌と透き通った瞳、ノクスの特徴はもう少しそれらしく表現できたはずだ。
◇
違う種族と共存するだとか、相手は青白い肌だとかって、我々は既にキャメロン先生の『アバター』で洗礼を受けてしまっているので、中途半端な特撮には胸がときめかない。
これが自主映画なみの低予算映画だったら、まだ理解できるし、乗っかってあげる気にもなる。だが、神木隆之介や門脇麦を始め、キャスティングをみれば、さほどローバジェットとも思えない。
それなら、ノクスが太陽に灼かれそうになったり、ウイルスを注入してノクス転移手術を受けたり、『マッドマックス』のように手を斧で斬って手錠から逃がれたり、これらの場面にはもう少し映像的に驚かせてほしかった。
レトロな雰囲気は良かったが
ウイルス感染しないようにノクスが用意している消毒剤がDDT撒布のようだったり、ノクスの乗る車が旧型VWビートルだったり、門番の詰所や鉄格子の門のデザインをわざとレトロにしていたり、ねらっているところはセンスがいいだけに勿体ない。
もうすぐ夜明けがくることをノクスに警告する放送なんかもいい雰囲気だった。ノクトの風貌にもう少し手間と金がかかっていれば、これらレトロ風デザインもうまく調和していたはずだ。
◇
神木隆之介が演じるキュリオの奥寺鉄彦と、古川雄輝が演じるノクスの門番・森繁との、人種を超えた友情というのも、見せ場の一つだったはずだが、イマイチ盛り上がらない。

また、いつもなら沈着冷静でクレバーな役をこなす神木隆之介が、この映画では常に不満タラタラで、何かトラブルが起きると、ただ意味もなく絶叫しているだけなのだ。
これは神木ファンとしてはストレスが溜まる。鉄彦には、もうちょっと意味のある行動をとってほしかった。
古館寛治が泣かせる
映画の中で唯一じわっと来たのは、妻が出て行ってから男手一つで育てた娘の将来を案じ、勝手にノクス転移申請を書き、抽選を引き当ててノクスとなった結と父・草一が別れる場面。
哀愁に満ちた草一と、対照的に軽やかで希望に満ちた結。古館寛治が泣かせる。
結はノクスになっても、キュリオたちの村がどうしたら復興できるか、真剣に学んで実践に移す気でいる。こんなに悩んでいたことは時間の無駄だった。そこまでサバサバと言われると、父としても立つ瀬がない。

ノクスの社会にも、キュリオにはない社会問題や不満はあるらしい。一概に、どっちが幸福ということは言えない。
◇
鉄彦と森繁は昼夜交代で運転しながら日本をめぐる旅に出る。ルマン耐久レースのように、交代で走り続けるのだ。こんなところから、共存のヒントは見つかるのかもしれない。
入江悠監督は、いつか本作をセルフリメイクしたいと考えているそうだ。長編デビュー作も『JAPONICA VIRUS ジャポニカ・ウイルス』だったし、ウイルス系の近未来SFには思い入れがあるのだろう。
スケールの大きい『室町無頼』を撮りきった入江監督が本作に回帰するというのなら、ぜひリメイクを観てみたいものだ。