『サタデーフィクション』今更レビュー|小田切让って誰だか分かる?

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『サタデー・フィクション』
蘭心大劇院 Saturday Fiction

ロウ・イエ監督が開戦前夜の上海の租界を舞台にモノクロで描くスパイ映画

公開:2021年 時間:126分  
製作国:中国

スタッフ 
監督:      ロウ・イエ(婁燁)
脚本:   マー・インリー(马英力)
原作:      ホン・イン(虹影)

            『上海の死』
          横光利一『上海』
キャスト
ユー・ジン:   コン・リー(巩俐)
タン・ナー:マーク・チャオ(趙又廷)
古谷三郎:      オダギリジョー
梶原:            中島歩
フレデリック・ヒューバート:

        パスカル・グレゴリー
ソール・シュパイヤー:トム・ヴラシア
バイ・ユンシャン:

    ホァン・シャンリー(黄湘丽)
モー・ジーイン:

   ワン・チュアンジュン(王传君)
ニイ・ザーレン:

    チャン・ソンウェン(张颂文)

勝手に評点:3.5
  (一見の価値はあり)

(C)YINGFILMS 2019

あらすじ

日中欧の諜報員が暗躍する魔都・上海。真珠湾攻撃7日前の1941年12月1日、人気女優ユー・ジン(コン・リー)は新作舞台「サタデー・フィクション」に主演するため上海を訪れる。

かつてフランスの諜報員ヒューバート(パスカル・グレゴリー)に孤児院から救われた過去を持つ彼女は、女優であると同時に諜報員という裏の顔をもっていた。

ユー・ジンの到着から2日後、日本の暗号通信の専門家である海軍少佐・古谷三郎(オダギリジョー)が、暗号更新のため上海にやって来る。

古谷の亡き妻によく似たユー・ジンは、古谷から太平洋戦争開戦の奇襲情報を得るためフランス諜報員が仕掛けた「マジックミラー作戦」に身を投じていく。

今更レビュー(まずはネタバレなし)

「1937年11月に上海は陥落したが日本軍の侵入を免れた英仏租界は“孤島”と呼ばれていた」

太平洋戦争開戦前夜の魔都・上海を舞台にしたスパイ映画、しかも主人公は諜報員という裏の顔を持つ人気女優。

上海出身のロウ・イエ監督は『ふたりの人魚』『パープル・バタフライ』など、この町を舞台に映画を撮ってきたが、今回は開戦前夜の時代、それもモノクロとなれば、作り手としても気合が入っているのだろう。

冒頭のカットから早くもノワールな雰囲気が充満している。落ち着いたモノクロの画面にはジャズの生演奏が流れるダンスホール、意味ありげな男女の会話、オープニングロールのオダギリジョーの名が「小田切让」となっているだけで、意味もなく興奮してしまう。

このダンスホールで会話をしているのは、芳秋蘭という中国共産党の女性闘士と若い男。

(C)YINGFILMS 2019

このシーンは本作で何度も登場するのだが、実は演劇の中の1シーン。演じているのは、人気女優のユー・ジン(コン・リー)、相手をしているのは演出家のタン・ナー(マーク・チャオ)なのだと、やがて分かる仕組みになっている。

彼女らは新作の舞台「サタデー・フィクション」の練習をしているのだった。この演劇は横光利一『上海』がベースになっているそうだ。

字幕には演劇の台詞と分かるように“ ”が付されていたので助かったが、現実と舞台が混同するようにこの映画は仕掛けられているので、そのまま混沌に身をゆだねてしまうのが、正しい楽しみ方なのかもしれない。

確かに、この時代の上海はカオスに満ちている。見渡せばどこもかしこも諜報員だらけだ。

ユー・ジンには、幼い頃、フランスの諜報部員ヒューバート(パスカル・グレゴリー)に孤児院から救われ、諜報部員として訓練を受けた過去があり、銃器の扱いに長けた「女スパイ」という裏の顔がある。

『ニキータ』『リボルバー・リリー』あたりを思わせる出自だが、そのユー・ジンが舞台に出演するために上海に来たというのは表向きの理由で、実は「マジックミラー計画」という大きなミッションがある。

(C)YINGFILMS 2019

タン・ナーの友人で舞台製作者のモー・ジーイン(ワン・チュアンジュン)南京政府の諜報員で、ユー・ジンの女性ファンを装って彼女に近づくバイ・ユンシャン(ホァン・シャンリー)重慶政府の諜報員。

更には、ユー・ジンの宿泊するキャセイホテル(実物なので風格が抜群)の支配人ソール・シュパイヤートム・ヴラシア団時朗にしか見えん)は彼女の動向を常に盗聴・監視。

こんな状況で、誰が敵か味方かはイマイチ不明。キャセイホテルの格調ある怪しさは、『ジョン・ウィック』の定宿コンチネンタルホテルを凌ぐ。

さて、ここでようやく標的である日本人が登場。暗号通信の専門家、古谷少佐(オダギリジョー)と、その護衛の梶原(中島歩)だ。

開戦に備えて、日本軍は暗号を刷新した。古谷はその説明のために上海に訪れたのだが、彼の失踪した妻・美代子はユー・ジンと瓜二つ。そのことを利用して、古谷から新たな暗号を盗み出すのが、「マジックミラー計画」におけるユー・ジンの使命だった。

難解に思えた物語だが、計画内容が判明したおかげでようやく全体の流れを理解する。古谷が上海事務所の所員に新しい暗号について、「キタはソ連、ミナミは米国、コヤナギは英国を示し…」と次々と隠語を説明し始める。

その中で言葉に詰まるのが「カマクラとヤマザクラ」なのだが、それこそが、西欧の諜報員が欲しがっている情報なのだ。このミステリアスな緊迫感がいい。

(C)YINGFILMS 2019

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

この映画のキモは、表向き女優であるユー・ジンがいかにさりげなく古谷少佐に近づき、暗号の意味を聞きだすかという点だろう。大胆な奇策を使っていかにミッションをクリアするのかがスパイ映画の醍醐味であろう。

この映画には大掛かりなアクションがあるわけではないので、『ミッション・インポッシブル』というよりは、テレビ版の『スパイ大作戦』のような、比較的地味な頭脳プレイが繰り広げられる。

(C)YINGFILMS 2019

ただ、それにしても、暗号を聞きだす部分にサプライズやキレはない。

ユー・ジンは、拉致されていた元夫ニイ(チャン・ソンウェン)をうまく利用し古谷を銃撃戦に巻き込み、怪我をした古谷をキャセイホテルの隠し診察室に寝かせ、そこで妻・美代子に成りすまして、意識朦朧の彼から情報を引き出すのだ。

う~ん、説得力が弱いなあ。顔が酷似していても、ユー・ジンの日本語はネイティブには聞こえない。これで妻と誤認するのは、怪我で朦朧としていたから? それともユー・ジンが催眠術の使い手だから?

(C)YINGFILMS 2019

ホン・インの原作『上海の死』に古谷の妻・美代子という存在はなく、彼はただユー・ジンのハニートラップにかかり催眠術で暗号を盗まれるらしい。

妻に酷似という映画独自の設定は悲劇性を高めると思うし、当初予定していた「カブキ」から「ヤマザクラ」に暗号を変更したのも、日本人的な感覚からはよりリアルさが増す好判断だったと思う。

だからこそ、古谷が暗号を盗まれる部分には、もう一つパンチが欲しかった。

一方で、当初は存在しなかった梶原という役の追加は良かった。日本海軍特務機関に属し銃の腕も確かなこの男がいるおかげで、スパイ映画としては厚みが増量。「マジックミラー計画」だけに、診察室をつきとめた梶原がマジックミラーをぶち破るシーンは痺れた。

(C)YINGFILMS 2019

中島歩『ルノワール』やドラマ『ふてほど』のような人妻を篭絡する役もうまいが、こういう荒々しい路線もアリじゃないか。

最後に上海公演の「サタデー・フィクション」は実弾が飛び交う修羅場と化し、ユー・ジンはヤマザクラの意味する、日本軍の開戦の場所をヒューバートに伝える。その後、日本軍は真珠湾を奇襲し、英仏租界の“孤島”時代の上海は終わりを告げる。

最新作『未完成の映画』でコロナ禍の中国を扱ったロウ・イエ監督だが、何か孤島時代の上海を撮っている本作の方が、活力に満ちているんじゃないかと思う。原作を読んで、再観賞してみたい気もする。