『スーパーマン』
Superman
ジェームズ・ガン監督がDCユニバースとしてリブートさせた、現代の<スーパーマン>
公開:2025年 時間:129分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督・脚本: ジェームズ・ガン
キャスト
スーパーマン/ クラーク・ケント:
デヴィッド・コレンスウェット
レックス・ルーサー: ニコラス・ホルト
ロイス・レイン:レイチェル・ブロズナハン
ジョナサン・ケント:
プルイット・テイラー・ヴィンス
マーサ・ケント: ネヴァ・ハウエル
ペリー・ホワイト: ウェンデル・ピアース
ジミー・オルセン: スカイラー・ギソンド
イブ・テシュマッカー: サラ・サンパイオ
エンジニア:マリア・ガブリエラ・デ・ファリア
リック・フラッグ将軍: フランク・グリロ
メタモルフォ: アンソニー・キャリガン
<ジャスティス・ギャング>
Mr.テリフィック: エディ・ガデギ
グリーン・ランタン ネイサン・フィリオン
ホークガール: イザベラ・メルセード
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
普段はデイリー・プラネット社で新聞記者クラーク・ケントとして働き、人々を守るヒーローのスーパーマン(デヴィッド・コレンスウェット)。
しかし、時に国境をも越えて行われるヒーロー活動は、次第に問題視されるようになる。恋人ロイス・レイン(レイチェル・ブロズナハン)からも、その活動の是非を問われたスーパーマンは苦悩する。
一方、天才科学者で大富豪のレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)は、世界を巻き込む巨大な計画を密かに進行。やがて、ルーサーの操る敵たちがスーパーマンの前に立ちはだかる。
世界中から非難され、戦いの中で傷つきながらも、スーパーマンは再び立ち上がっていく。
レビュー(若干ネタバレあり)
往年のファンには衝撃だった
いい意味でも、悪い意味でも、予想を裏切られた作品だった。
<スーパーマン>といえば、DCユニバースのみならず、アメコミヒーロー界の頂点に立つ存在であり、もう公開から半世紀近くになる『スーパーマン』(1978)は、このジャンルの水準を引き上げ、正統派ヒーロー映画の金字塔となった。
主演したクリストファー・リーヴは聖人君子キャラとその後の落馬事故の悲劇性もあり、存在が神格化したといえる。
◇
本作は、そんな映画のリブートなのだ。しかも、当初タイトルについていた<レガシー>が外れ、そのものズバリのタイトルに。悪人顔のヘンリー・カヴィルではない、新世代のスーパーマンのリブートなのだと心が躍った。
だから、この映画の展開は衝撃だった。

正統派として地球への飛来から恋人ロイス・レインとの出会いまで、人生を再現するのかと思いきや、映画は冒頭、スーパーマンが戦いに敗れて、満身創痍で南極だかどこかの自宅基地に落下してくるところから始まる。
序盤でのヒーローの強大なパワーや人々を救う頼もしさのアピールは、『シンウルトラマン』を例に出さずとも時代を超えた定番の演出だと思っていたが、ジェームズ・ガン監督はそんなものにこだわらないらしい。
そして現代のヒーロー映画にはお馴染みの、ヒーローと国家権力との攻防戦。マーベルのMCUに出てくるソコヴィア協定を思わせるこのテーマは、エンタメ的な盛り上がりを萎えさせる。米国大統領の存在感が薄いのには笑。
なんで団体戦かなあ
個人的に一番寂しかったのは、<ジャスティス・ギャング>と称する超人たちのチームが登場することだ。
Mr. テリフィックにグリーン・ランタン、ホークガールといった面々。皆、相当強いし頼りになるのだが、『スーパーマン』という名の映画ならば、主人公は徒党を組まずに戦って欲しかった。
ヒーローの団体戦を観るのは食傷気味とまでは言わないが、『サンダーボルツ改めニューアベンジャーズ』でも『ジャスティスリーグ』でもないのだから、ここは個人戦での雄姿が見たかったよ。
『キャプテン・マーベル』の猫のフラーケン並みに強い、愛犬クリプトも大活躍しすぎだ。最後の隠し技で丁度よかったのに。
◇
さて、ここまでは思い入れが強かっただけに落胆した点を述べたが、そんな古典的映画に関心のないファン層には、ジェームズ・ガン監督らしいノリの良さとコメディタッチは、十分に期待に応えるものになっている気もする。
強いのに登場するだけで笑いを誘うグリーン・ランタンや、ジェームズ・ガンの日本特撮愛を感じさせるKAIJUの大暴れなどは、おふざけ感満載だった監督作『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』のノリに近い。
キャスティングについて
今回スーパーマン役に大抜擢のデヴィッド・コレンスウェット、A24の怪作『Pearl パール』の映写技師役だった若者か。意外だったが、誠実そうにはみえる。
対する宿敵レックス・ルーサー役にはニコラス・ホルト。ジーン・ハックマンから随分若返った印象。
メインキャラの二人は前作『スーパーマン』(1978)とだいぶ異なるビジュアルだが、ロイス・レイン役のレイチェル・ブロズナハンは、前作のマーゴット・キダーの雰囲気に近い。
それにしても、スキンヘッドのニコラス・ホルトがどうしても柄本佑に見えてしまい、そうなるとデヴィッド・コレンスウェットまで伊藤淳史に見えてきて、これには参った。
劇場予告では、倒壊するビルの下敷きになりそうな少女を寸前にスーパーマンが救出したり、異国の地で戦争の恐怖に脅える少年が手製の大きな旗を掲げてスーパーマンに助けを求めたりと、そこだけでムネアツになるシーンが切り取られている。
だが、本編を観ると、そこは感動する場面として使われていないことに驚く。特に後者がどうなるかは、ぜひ劇場で確かめてほしい。

結局、新時代のスーパーマンなのだ
この映画では、クラーク・ケントが回転扉や電話ボックスでマント姿に変身することもない。それどころか、高層ビルの窓の向うで仲間のヒーローたちがKAIJUと戦っているのに、スーパーマンはロイスに愚痴ってイジイジしているのだ。
「どうせ俺なんか、(ルーサーのせいで)世間に侵略者と思われてるんだぜ」と。
正攻法でこのヒーローの生い立ちをリメイクしたところで、傑作となった前作を超えられない。そう考えたジェームズ・ガン監督が、自分の得意分野に物語を持ってくる。
更には本作から『スーパーガール』へと続いていく予定のDCユニバースの成功のために、次作以降につながるネタをいろいろと仕込んでみた。そんなところではないか。
◇
子供の頃にクリストファー・リーヴに痺れた世代のスーパーマンのファン層には受け容れがたい作品かもしれないが、今や時代は変わったのだろう。「スーパーマンよりMr. テリフィックの方が活躍してたんじゃないか」とさえ思えてくる。

とりあえずは、本作の終盤に登場した『スーパーガール』に期待してみようかな。こちらは前作のハードルも高くないし。
エンドロールに出てくる文字の流れ方に、往年の名作へのオマージュを感じたけど、敬意を払ったのはここだけかもしれない。強気だぜ、ジェームズ・ガン。