『雪の花 ―ともに在りて―』
小泉堯史監督が吉村昭の同名原作を映画化、疱瘡の感染被害を種痘により阻止せんとする医師の物語。
公開:2025年 時間:117分
製作国:日本
スタッフ
監督: 小泉堯史
原作: 吉村昭
『雪の花』
キャスト
笠原良策: 松坂桃李
千穂: 芳根京子
日野鼎哉: 役所広司
半井元冲: 三浦貴大
大武了玄: 吉岡秀隆
与平: 宇野祥平
桐山元中: 沖原一生
日野桂州: 坂東龍汰
はつ: 三木理紗子
中根雪江: 益岡徹
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
江戸時代末期、有効な治療法がなく多くの人の命を奪ってきた疱瘡(天然痘)。
福井藩の町医者・笠原良策(松坂桃李)は、その疱瘡に有効な「種痘」という予防法が異国から伝わったことを知り、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)に教えを請い、私財を投げ打って必要な種痘の苗を福井に持ち込んだ。
しかし、天然痘の膿をあえて体内に植え込むという種痘の普及には、さまざまな困難が立ちはだかる。それでも良策は、妻・千穂(芳根京子)に支えられながら疫病と闘い続ける。
レビュー(まずはネタバレなし)
疱瘡から人々を救いたい
黒澤映画の継承者・小泉堯史監督の新作は、江戸時代末期に大流行して多くの人命を奪う疱瘡(天然痘)から人々を救おうと尽力した実在の町医者・笠原良策の物語。
小泉監督の前作『峠 最後のサムライ』は越後・長岡藩の河井継之助を描いた作品だったが、今回の舞台は越前・福井藩。原作は未読だが、吉村昭の『雪の花』。
冒頭、松坂桃李の演じる笠原良策が、案内の者に先導され、山道を進んでくる。診察のために、多数の急病人が発生した村に向かっているのだ。静かに流れる加古隆の音楽が、小泉監督の映画を観ているのだという気持ちを呼び起こす。
「これは疱瘡です。すぐに隔離しないと」
当時の日本の医学では、疱瘡に手の打ちようはなかった。村が全滅にならぬよう、患者の隔離を指示する笠原だが、何人もの村人は死に至り、感染に脅えるだけで無力な自分を、生真面目な笠原は責めた。

そんな折に、笠原は同業の大武了玄(小泉映画といえば吉岡秀隆)に出会い、蘭方医の「解体新書」を引き合いに、西洋医学の先進性を説かれる。
漢方医の笠原ははじめ憮然とし反論するが、すぐに考えを改め、同藩の医者で友人の半井元冲(三浦貴大)に頼み、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)の門下生となり、教えを乞うようになる。
松坂桃李と役所広司
前作に続き、役所広司が登場だ。「医は仁術」を体現するような日野の清廉潔白な生き様が眩しく、黒澤明の『赤ひげ』のオマージュであることがすぐに伝わる。
未熟だった若き医師(加山雄三)の成長譚だった『赤ひげ』に比べると、笠原ははじめから聖人君子であり、ドラマとしては面白味に欠けるキャラという気もしなくはない。

さて、この日野先生に学ぶなかで、笠原は種痘という予防法を知る。病気の種を健康な体内に植え付け、抗体を作ることで重症化を防ぐのだ。
だが、それを日本で試すにも病気の種がなく、オランダからは遠すぎて運べない。笠原は唐からの輸入を思いつき、そのために福井・松平藩主に嘆願を始める。ここからが日野や笠原の挑戦だ。
◇
ワクチンによる予防接種という概念がない世の中に、この治療法をどう浸透させるか。
その難しさを我々現代人は、コロナという教材と大きな犠牲によって、いやというほど実感したばかりだ。だから笠原たちの越えようとする壁の高さは、時代を越えて理解できる。コロナ禍以降にこの題材を選んだねらいなのだろうか。
◇
松坂桃李と役所広司の組み合わせとなれば、当然にして『孤狼の血』を思い出してしまうわけだが、あのバイオレンス溢れる刑事の師弟関係と本作とのあまりのギャップの大きさが楽しい。
ただ、この日野役に役所広司は大きすぎて、主役を食ってしまっている。『孤狼の血』ならそれで正解だが、本作はあくまで松坂桃李メインでないといけない。

レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意願います。
花が開いた
どこまで史実、或いは原作に忠実なのかは存じ上げないのだが、日野先生のもとで笠原が種痘に成功するまでは、思いのほか順調に進みすぎている。
例えば、親友の半井が、藩の要職・中根(益岡徹)を説得することでついに痘の苗を唐から輸入できる運びとなり、笠原は喜んで日野の待つ京都に行くと、既に日野は先手をうって長崎から苗を入手する手筈を整えている。何か笠原に徒労感ないか。
入手した瘡蓋を使い日野の孫たちへの治験が失敗し、最後の一枚を日野の娘に治験すると、ついに「花が開いた」。これは感動のシーンなのだが、画としては包帯をはがすと注射のあとが腫れているだけなので、盛りあがりにくい。
では、どこで盛り上げるのかというと、その後に来る、種痘に成功した幼児を連れて、京都から雪山を越えて福井に戻るという行程なのである。
福井で種痘をするためには、そうやって数日以内に種痘を運搬していかねばならないのだ。命のリレー。雪風吹のなかを決死の覚悟で峠をこえようとする笠原や幼児を抱いた二組の夫婦。
その荒れ狂う自然への挑戦を描いた場面には、さすが小泉監督作品らしい風格があった。『影武者』以来の黒澤組のカメラマン上田正治の遺作でもある。

「もう駄目だ」というタイミングで、後方から何人か救助の仲間たちが現れて命拾いする。
不謹慎ながら、ここで頭に浮かんだのはホイチョイ・ムービー『わたしをスキーに連れてって』の同様の一場面だ。思えば、あの映画も、無謀にも峠を越える物語だった。
それ必要?と思わせる見せ場づくり
さて、峠越えがクライマックスなのだと思っていたが、実は更に福井藩の中の抵抗勢力が、この種痘治療に邪魔だてをする。
そんな怪しげな牛の体内で育てた種痘など、子供に打たせられないと、怪情報を流布して笠原を悪徳医師に仕立てたのだ。
さもありなんの内容だけれど、峠を越えて更にこれかよという、疲弊感はある。しかも、この問題は福井藩の家老(矢島健一)によって、すぐに解決してしまうのだから、扱いが謎だ。
福井藩は、益岡徹や矢島健一といった、普段は意地悪そうな顔ぶれが善人なのが面白い。
◇
ここまで笠原を支えてきた妻の千穂(芳根京子)が、これまでの小泉作品に出てくる<内助の功>の妻よりも一段、存在感があり頼もしい。
夫を愛し、敬い、支えるだけでなく、何と質屋で出くわした強盗相手に殺陣まで披露。終盤には祭りの舞台で大太鼓まで叩いてみせる男前のよさ。芳根京子の頑張りが伝わってくる。

だが、物語的には「それ必要?」という思いが。『蜩ノ記』で堀北真希が祭りで舞いを披露するシーンを思い出した。小泉堯史監督はヒロインにこういう場面を用意するのが余程好きなのだろうな。
◇
笠原が種痘を邪魔するヤクザ者たちに囲まれて、派手な立ち合いを見せる場面も、アクションシーンとしては立派だったが、存在意義としては謎である。
笠原が文武両道なのを匂わせる場面は序盤にあったとはいえ、怒りにまかせて敵を何人もなぎ倒す必要はないのでは。

ともあれ、笠原の「利を求めず、名を求めず」という、町医者としての生き様には頭が下がる。診療医師の勤務経験もなく、すぐに美容クリニックに就職してしまう直美の若い先生方にも、ぜひ観ていただきたい映画である。