『エレファント・マン』
The Elephant Man
鬼才デヴィッド・リンチ監督の名を世に知らしめた、心優しき畸形の男の感動実話。
公開:1980年 時間:124分
製作国:イギリス
スタッフ
監督: デヴィッド・リンチ
キャスト
ジョン・メリック: ジョン・ハート
トリーヴス医師: アンソニー・ホプキンス
カー・ゴム院長: ジョン・ギールグッド
ケンドール夫人: アン・バンクロフト
バイツ: フレディ・ジョーンズ
看護婦長: ウェンディ・ヒラー
夜警のジム: マイケル・エルフィック
トリーヴス夫人: ハンナ・ゴードン
アレクサンドラ妃: ヘレン・ライアン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
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コンテンツ
あらすじ
19世紀のロンドン。外科医トリーヴス(アンソニー・ホプキンス)は、見世物小屋に「エレファント・マン」として出演していた特異な外見を持つジョン・メリック(ジョン・ハート)に学術的興味を抱き、彼を研究対象にしようと自分の勤める病院に引き取る。
何も話さず怯え続けるメリックを、周囲は知能が低いと思っていたが、ある時、メリックが知性にあふれた優しい性格であることが判明する。
人間らしく扱うようになると、メリックもそれまで閉ざしてきた心の扉を開くようになる。だが、心ない見世物小屋の主人バイツ(フレディ・ジョーンズ)は、メリックを病院から見世物小屋に連れ戻してしまう。
今更レビュー(ネタバレあり)
デヴィッド・リンチってこういう作風?
妊娠中の母親が野生の象に襲われ、踏まれたことで畸形となって生まれたジョン・メリック(ジョン・ハート)。
エレファント・マンと名付けられ見世物小屋に預けられたその青年が、優秀な外科医トリーヴス(アンソニー・ホプキンス)の目に留まり、人間的な扱いを受けるようになる。
◇
デヴィッド・リンチ監督の名を世に知らしめた本作は、アカデミー賞8部門にノミネートされ、日本では公開年の興行収入で堂々の第一位を記録。
日本人がこの手のウェットなお涙頂戴の美談好きなのは分かるが、それにしても興行収入第一位とは驚く。邦高洋低の昨今では、信じられないことだ。ちなみに、第二位は『007 ユアアイズオンリー』、次が邦画で『連合艦隊』。
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公開当時は、怪物見たさに劇場に行き、メリックの不憫さについ同情し胸を痛めていた一人だったが、その後に公開された監督デビュー作の『イレイザーヘッド』のシュールすぎる内容に、衝撃を受けることになる。
「なんだよ、これが俺たちを感動させた『エレファント・マン』のデヴィッド・リンチ作品なのか?」
だが、デヴィッド・リンチが亡くなった今になって思えば、この、実話に基づく感動的なヒューマンドラマこそ、監督のフィルモグラフィにおける異端児だったのである。
『ブルーベルベット』から『ツインピークス』を経て『マルホランド・ドライブ』へと続く監督作品の道のりは、数少ない例外を除けば、ほぼ、一筋縄では理解できないリンチ監督固有の世界観。それらの原点は『イレイザーヘッド』にあると言われた方が、まだ腑に落ちる。
みんな、怖いもの見たさではなかったか?
もっとも、本作も単純明快な感動作というわけではない。トリーヴス医師は人道的見地からメリックを見世物小屋から引き取ったというよりは、学術的な興味が先行している。
彼を学会に連れて行っては、「こんな畸形な人間がいるんです」と自慢気に披露する。晒しものにしていると言う点では、見世物小屋の興行主バイツ(フレディ・ジョーンズ)と大差がないとこからスタートしている。
ロンドンの紳士淑女がのちにメリックに関心を持ち、人間として接し始めるのも、流行に乗るというか、「自分たちは人格者だ」と世間にアピールしたいからに他ならない。
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映画を観ている我々だって、本音をいえば、メリックの世にも醜い怪物としての容姿を見て怖がりたいという気持ちが少なからずあるのではないか。
だから、映画の途中でメリックの清廉さに接して心を入れ替えるまでは、我々もトリ―ヴスやロンドン市民と同様、ゲスな興味本位で彼を見ている。この構図が面白い。
◇
大きなコブに覆われ変形した頭に歪んだ口元。メリックの容姿はけしてデフォルメではなく、実在したジョセフ・メリックの写真を忠実に再現していることに驚く。
デヴィッド・リンチ自身で特殊メイクを作ろうとするも挫折し、クリストファー・タッカーに委ねることになったそうだ。もしリンチが作っていたら、『イレイザーヘッド』のおたふく顔の娘みたいになっていたかも。
◇
だが、メリックがスーツを着こなし、会話もできるようになる頃には、観る者もすっかりこの容姿に慣れてしまっている。ズタ袋で作った目出し帽をかぶって杖をついて町を出歩く姿の方がよほど恐ろしくみえる。
本作からなのか、『バットマン・ビギンズ』のスケアクロウや『13日の金曜日 PART2』のジェイソンなど、ズタ袋は怖がらせキャラの定番アイテムになった感がある。
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ジョン・メリックを演じたジョン・ハートは、特殊メイクのおかげで本作ではほぼ顔が分からない。前年の『エイリアン』では最初にフェイスハガーが顔に喰いついた乗員役だったわけで、名優なのに受難続きである。
トリ―ヴス役がアンソニー・ホプキンスだったことは、すっかり忘れていた。おなじドクターでも、その後のレクター博士の印象が強すぎたのかもしれない。
本作にはプロデューサーで参加のメル・ブルックスの当時の奥さんがアン・バンクロフト。『卒業』のミセス・ロビンソンだ。彼女がメリックに優しく接してくれる舞台女優ケンドール夫人を演じている。
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にんげんだもの
本当は優しい心の持ち主である主人公が、異形ゆえに世間から虐げられ、不遇な目に遭っていく。そして、大切にしている自分のテリトリーも、土足で踏みにじられ、いわれのないことで袋叩きにされてしまう。
古くは『オペラ座の怪人』か『フランケンシュタイン』の流れを汲み、『シザーハンズ』(ティム・バートン監督)や『シェイプ・オブ・ウォーター』(ギレルモ・デル・トロ)に受け継がれている、心優しき怪物の物語。
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主人公のキャラクターが、見世物小屋に売られてしまい、興行主につらい仕打ちを受けるが、フリークスショーの仲間たちの協力で解放される。
この王道パターンも、たしか『ダンボ』や『ピノッキオ』にあったんじゃないかな。それぞれ、ティム・バートンとギレルモ・デル・トロが映画化しているのも縁を感じる。
「僕は象じゃない、動物じゃない、…僕はこれでも人間なんだ!」
見世物小屋から逃亡したメリックが、駅で子供たちにからかわれた挙句、最後には群衆に囲まれて追い詰められた、ついにそう叫ぶ。
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ようやくトリーヴス医師の待つ病院に帰ることができ、ケンドール夫人の舞台の観劇も果たし、カテドラルの模型も完成。充実した一日を終えることができたメリックは、横になって眠りにつく。
人間にとって当たり前のことのようだが、いつも身体を起こして眠るメリックにとって、これは自殺行為。
だが、彼は人間として尊厳死を選ぶ。自分がいつか愛されたいと願っていた、美しい母のもとに誘われ、彼の死とともに幕は閉じる。
「象さん、象さん、誰が好きなの? あのね、母さんが好きなのよ」
ティム・バートンやギレルモ・デル・トロの映画じゃないのに、ここで天に召されるメリックに、素直に感動していいものか? だってシュールさが売りのデヴィッド・リンチだぞ。
そういう居心地の悪さは、まだ監督のことを何も知らず、初めてこの映画を観た時には感じなかったわけだが…。