『砂の女』
Woman in the Dunes
安部公房の代表作を勅使河原宏監督が映画化。砂丘に埋もれた家での奇妙な家での共同生活。
公開:1964 年 時間:147分
製作国:日本
スタッフ
監督: 勅使河原宏
原作: 安部公房
『砂の女』
キャスト
男(仁木順平): 岡田英次
女(砂の女): 岸田今日子
村の老人: 三井弘次
村人:矢野宣、観世栄夫、関口銀三
市原清彦、西本裕行
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
中学校教師である仁木順平(岡田英次)は、3日間の休暇を利用して、趣味の昆虫採集に向かう。やがて陽は傾き、彼は砂丘の集落の家で一泊することになる。
集落にある建物はすべて砂の中にあり、それはまるで蟻地獄を思わせるような構造である。そこに住む女(岸田今日子)は砂の浸蝕から家を守るためなのか、必死で砂かきをする。
翌朝目覚めた彼は愕然とする。崖に伝わせてあった縄梯子が消え失せているのだ。この村は放っておくと砂に埋まってしまう。だから、常に砂を掘り返すための労働力を必要としていたのだった。
今更レビュー(ネタバレあり)
食わず嫌いの敬遠を猛省
安部公房の『箱男』の映画化がきっかけとなり、高校生の時分以来久々に『砂の女』を読み返し、その面白さを再認識する。
その流れで、存在は知っていたが長い間未見だった、勅使河原宏監督による映画にもついに手を伸ばしてみた。これもまた、実に面白かった。キネ旬のベストワンに輝いているのも納得の作品だ。
◇
白状すると、シュールレアリスムの勅使河原宏が監督を務め、武満徹が音楽を担当すると聞いただけで、前衛的な芸術作品に違いないと早合点してしまった。
砂に埋もれたバラック小屋のような家の中で、男と女が単調な砂かき作業に明け暮れるモノクロで2時間半の作品。つい敬遠してしまっていたことを猛省したい。
本作は随所に芸術性の高さを窺わせるショットを織り込み、武満徹らしい無機質な現代音楽を通底音のように響かせながら、それでいて安部公房の原作の魅力を余すことなく映画に採り入れている。このバランス感覚は見事なものだ。
アリ地獄の罠にかかった男
学校教師の主人公の<男>(岡田英次)が、砂に棲む昆虫の採集のために砂丘にやってくる。
はじめは県庁の調査かと警戒していた村人たちだが、夕方にはもうバスもなく、この辺には旅館もないから、民家に泊めてもらえるよう口利きしてくれるという。こうして<男>は、砂丘の穴の中に沈んでいるような家に案内される。
「婆さんや世話頼むぞ!」
村人はそう叫ぶと、地上から縄梯子で<男>を降ろす。出てくるのはどんな老女かと思ったら、妙な色気のある<女>(岸田今日子)が彼を迎え入れる。
◇
ここから先、カメラはほとんどこの砂の下の屋敷から離れない。ほんの一泊のつもりが、いつの間にか縄梯子もはずされ、<男>は砂の下の家に軟禁される。
なぜそんな目に遭うのか。砂の下の家は、屋根が押しつぶされないよう、毎日大量の砂を掻き出さねばならない。<男>はその労働力として、まんまと術中にはまり、アリ地獄の獲物となってしまったのだ。
怪しげな屋敷に軟禁されるとなれば、犯罪ものやホラー映画になりそうなものだが、本作は砂の女との共同生活を強いられるだけというところに独特の面白味がある。
砂に囲まれた環境も、一般的には砂漠が舞台とくれば、激しい暑さと渇きに苦しむものと相場が決まっているが、本作では砂による湿気に苦しめられるところが新機軸だ。
電気も通っておらずランプで生活する家は、水も食糧も配給制で、家の中に置かれているもの全てに砂がかぶってしまう。食事時には傘をさし、ヤカンにもビニール袋をかぶせる。
そして毎晩夜通しで砂掻きをしなければ、砂の重みで屋根が潰れそうになる。この閉塞感と砂の重圧感で、息苦しくなりそうだ。
岡田英次と岸田今日子
これまで活動的だった主人公が、突如穴に嵌って抜け出せなくなる。助けを呼ぼうにも手段がない。
ジェームズ・フランコが渓谷で川に嵌った『127時間』でも、中島裕翔が地下の穴に落ちた『#マンホール』でもそうだが、この手のアクシデントものは、孤独に悪戦苦闘するのがお約束。
だが本作は、<男>が幽閉された家に普通に<女>が生活しているのである。この奇妙な設定が実に面白い。
この不思議な設定にピッタリなのが、謎めいたキャラを演じた岸田今日子。
世代的には『傷だらけの天使』以降の彼女しか知らないので(もしくは『ムーミン』の声優)、本作に登場する<女>の役は新鮮に見えた。森川葵と顔立ちが似てるかも。アリ地獄に巣食う、砂だらけの天使。
一方の<男>を演じるのは二枚目俳優の岡田英次。
本作では常識を振りかざし、何度も脱出を試みては失敗する冴えない人物を演じるが、砂まみれの生活の中でも清潔感をキープしているおかげで、本編の舞台が常に薄汚れた屋敷でも、映画全体に薄汚い感じはしない。
舞台となる砂丘は鳥取だとばかり思っていたが、日本三大砂丘のひとつ、静岡県の千浜砂丘がロケ地だそうだ。
苦労の末にようやく地上に這い上がってきた<男>が脱出するシーンで、カメラは冒頭以降で初めて屋敷の外に出るが、ここで見る夕景や犬の声が、観る者にもついに外界に脱出した感動を与えてくれる。
原作に忠実ながら独自の芸術性
安部公房の『箱男』はそのエッジの効いた設定から、原作通りに映画化しても面白味が薄れるだろうから、石井岳龍監督が独自のアレンジを施したことは正解だった。
一方『砂の女』は、原作の完成度を考えると、できる限り原作に忠実な台詞や進行をするのが望ましいと思っていたので、本作のアプローチには好感が持てる。ただ忠実な再現だけでなく、カットや音楽の芸術性にも着目すべきものがある。
きっと本作は、岸田今日子の謎めいた雰囲気が失われても、武満徹の現代音楽が叙情的なメロディの曲に変わっても、興ざめになってしまうのだろう。鬼才・勅使河原宏監督はその辺の匙加減がよく分かっている。
彼は『おとし穴』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』と、本作以外にも安部公房原作ものを3本撮っているが、なかなか鑑賞するチャンスに恵まれない。ぜひ単発でDVD化してほしいものだ。
『箱男』で段ボール箱の中に入った主人公は、その匿名性と居心地の良さで箱から出られなくなってしまう。
『砂の女』の主人公も、終盤でついに村人の隙から脱出の機会を得たというのに、毛細管現象を利用して地下水を汲み上げる自分の発明を村人たちに知らせたいからと、あえて砂の家にとどまる選択をする。
<男>もいつしかこのアリ地獄のような生活環境に、居心地の良さを見出してしまったのだろう。