『007 死ぬのは奴らだ』
Live and Let Die
ロジャー・ムーアが三代目ボンドとなるシリーズ第8作。ボンドガールにジェーン・シーモア
公開:1973 年 時間:121分
製作国:イギリス
スタッフ
監督: ガイ・ハミルトン
脚本: トム・マンキーウィッツ
原作: イアン・フレミング
『007死ぬのは奴らだ』
キャスト
ジェームズ・ボンド: ロジャー・ムーア
カナンガ/Mr.ビッグ:ヤフェット・コットー
ソリテア: ジェーン・シーモア
ロージー・カヴァー:グロリア・ヘンドリー
サメディ男爵: ジェフリー・ホールダー
ティーヒー: ジュリアス・W・ハリス
ペッパー保安官: クリフトン・ジェームズ
フェリックス・ライター:
デヴィッド・ヘディソン
M: バーナード・リー
マネーペニー: ロイス・マクスウェル
勝手に評点:
(一見の価値はあり)コンテンツ
あらすじ
麻薬シンジケートを探っていたイギリス謀報部員が次々に暗殺された。
調査のためにニューヨークへ飛んだボンド(ロジャー・ムーア)は、CIAの親友、フィリックス・ライター(デヴィッド・ヘディソン)と共にドクター・カナンガ(ヤフェット・コットー)をマークする。
彼にはブラック・マフィアという恐るべきもうひとつの顔が隠されていたのだ。
一気通貫レビュー(ネタバレあり)
満を持してロジャー・ムーア
ショーン・コネリーは復帰後『ダイヤモンドは永遠に』の一作だけで去り、ついに三代目ボンド、ロジャー・ムーアの登場。
実年齢は初代より老けているものの、見た目は溌剌としているし、胸毛濃いめのコネリーから清潔感のあるムーアになったことは、どこか時代の変化を先取りした感じがある。
男臭さや色気ではコネリーに負けるが、スノッブさと軽妙なジョークは、ムーアの持ち味だ。本作以降、多くの企業タイアップでシリーズが作られていくのも、ロジャー・ムーアだからこそとも思える。
ともあれ、ここから三代目の長期政権が始まる。冒頭のガンバレル・シーンもイケてるし、タイトルバックに流れるポール・マッカートニー&ウィングスの主題歌も、これまでと一味違う。新時代の到来を感じさせるなあ。
ウォッカ・マティーニではなく氷なしのバーボン、ドンペリではなくボランジェを注文する、新しいボンド。
私が劇場で007シリーズを観るようになった中学生時代は、彼の全盛期だったため、ボンドといえばロジャー・ムーアがまず頭に浮かぶ。
ムーアにしか出せない軽妙さ
映画は冒頭、NYでの国連会議、ニューオリンズの葬列、カリブの島国サン・モニークでの宗教儀式と、それぞれの場所で英国人の男が殺される。
同時通訳機から怪音波を流して議場の英国代表を変死させるNYの事件も怖いが、ニューオリンズでジャズの演奏に踊りながら棺を運ぶ葬列のシーンが気に入った。
個人的な話で恐縮だが、以前たまたま同地でこのジャズ葬の列に出くわしたことがあって、世の中には変わった葬儀があるものだと驚いたのを思い出すのだ。
ここまでがアヴァンタイトル。新ボンドの登場はその後になるが、いきなり自宅で美女とお戯れ中。最初のショットがデジタルの腕時計とは、後年服部セイコーともタイアップするムーアのボンドっぽい。
などと思ったが、この時計はハミルトン社のパルサーという、まだカシオのデジタル液晶時計などない時代の高給LEDウォッチらしい。その後『メン・イン・ブラック』で再度注目を浴び、復刻版が出たとか。
ちなみに、ボンドはすぐにこの時計を、強力磁石付きのロレックスに付け替えてしまう。
この強磁力ロレックスを使って、ボンドは彼女の背中のジッパーを触らずに下げていくのだが、ロジャー・ムーアなので、過度に性的にならずにコミカルな演出が生きる。
これがコネリーなら、そんなまどろっこしいことをせず、素手で脱がしてしまう野獣になりそうだし、二代目ジョージ・レーゼンビーは、こういう洒脱でエッチないたずらがさりげなくできない(個人の感想ですが)。
本作以降、ムーアのおふざけ路線は回を追うごとにエスカレートしていくが、初回はまだ、アクションとジョークのバランスがいい感じ。
今度の敵は黒人の犯罪王
さて、序盤に殺害された三人は全て、カリブ海のサン・モニークの麻薬取引を追っていた英国諜報部員。そこでボンドに調査依頼のお鉢が回る。ボンドはNYに向かいCIAのフェリックス・ライター(デヴィッド・ヘディソン)と合流。
このところ、毎回フェリックスはボンドをサポートしてくれるが、MやQ、マネーペニーと違って、ライターの配役はなかなか固定しないのが不思議。ダニエル・クレイグ時代になって、ようやく固定したけど。
さて、サン・モニークの首相Dr.カナンガ(ヤフェット・コットー)はハーレムの大物Mr.ビッグに変装し、アメリカに麻薬中毒患者を増加させ、値段を吊り上げることを画策。今度の敵は、黒人の犯罪王というところが原作では目新しい点だった。
だが、ハーレム地区に単身乗り込んだ白人のボンドに、黒人たちが嫌がらせをしたり、ブードゥーの呪術をやたら絡めてきたり、『007は二度死ぬ』での日本人や日本の町にだいぶ誤解と脚色が多かったのと同様に、黒人に対しても強い偏見ありきで演出している感は否めない。
なお、これまで『ゴールドフィンガー』を除く全作品で悪役として登場したスペクターのブロフェルドは、権利関係のいざこざで、当分出演できない。
良かった点と残念な点
イアン・フレミングの同名原作は、『カジノ・ロワイヤル』に続く長編小説の二作目にあたり、シリーズで最も早く日本語訳されたものらしい。
比較的人間味のある(無敵ではない)ボンドの活躍する原作は面白いが、そのまま映画化したのでは派手さに欠けるため、あれこれとアクションシーンを加えている。
NYのハイウェイで運転手が殺されてからのカースタント、二階建てバスでのカーチェイス、17隻のボートを大破させ撮影に成功したという大ボートジャンプ、大量のワニに囲まれた池や人喰いザメの水槽。
CG合成などせず実写で撮っていた当時の苦労が窺える。
◇
一方で、ふざけ過ぎ一歩手前の演出も目立ち始める。
飛行実習のスクールでは、おばさん生徒の乗るセスナ機に教官のふりをしたボンドが乗り込んで激走したり、Dr.カナンガやボンドのスピード違反を捕まえようと躍起になるペッパー保安官(クリフトン・ジェームズ)が過剰な芝居をしたり。
鋼鉄の義手を持つティーヒー(ジュリアス・W・ハリス)も、『ドクター・ノオ』の博士の義手に比べるとチャチな作りで、銃身を曲げられるようには見えず。
終盤でDr.カナンガがボンドに圧縮ガス弾を撃ち込まれ、風船のように破裂してしまう幕切れも、ラスボスの最期にしてはあまりにお笑いムードだった。
そして忘れてはならない、今回のボンドガール、Dr.カナンガに囲われたタロットカードの遣い手・ソリテア(ジェーン・シーモア)。
予知能力の持ち主だったが、ボンドにバージンを捧げてからは、その能力を失ってしまうという、これまでの妖艶で肉感的なボンドガールとは一味違うキャラ。
だって、ジェーン・シーモアは、『スーパーマン』のクリストファー・リーヴと共演した、あのロマンティックなファンタジーのカルト映画、『ある日どこかで』の女優だもの。ちょっと特別なのだ。