『リバー・オブ・グラス』『オールドジョイ』『ウェンディ&ルーシー』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | ページ 2 | シネフィリー

『リバーオブグラス/オールドジョイ/ウェンディ&ルーシー』一気レビュー

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『オールドジョイ』
Old Joy

公開:2006 年  時間:76分  
製作国:アメリカ

スタッフ 
監督:       ケリー・ライカート
製作総指揮:     トッド・ヘインズ
音楽:         ヨ・ラ・テンゴ

キャスト
マーク:      ダニエル・ロンドン
カート:      ウィル・オールダム
タニヤ:        タニヤ・スミス

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)2005,Lucy is My Darling,LLC.

あらすじ

妊娠中の妻と故郷で暮らすマーク(ダニエル・ロンドン)のもとに、街に戻って来た旧友カート(ウィル・オールダム)から電話が掛かってくる。久々に再会した二人は、旧交を温めるべく山奥へキャンプ旅行に出かけるが。

今更レビュー(ネタバレあり)

ケリー・ライカート監督のロードムービー第2弾。インディペンデント・スピリット賞で3部門にノミネートされるほか、批評家からも高い評価を得る。

彼女の才能に惚れこんだトッド・ヘインズが、本作以降、ライカートの監督作品の製作総指揮を手掛けている。

まずは前作『リバー・オブ・グラス』との作風の違いに驚く。

前作は自己破滅型で退屈な現実逃避を夢みる男女二人が、拾った拳銃に人生を翻弄される、故郷から逃げられない系ロードムービーだった。本作はそんな派手めなプロットは、潔いほど何もない

もうすぐ子どもが生まれ父親になることの重圧に少し息苦しさを感じている主人公のマーク(ダニエル・ロンドン)のもとに、久々に町に戻ってきた古い友人のカート(ウィル・オールダム)から連絡が入る。

少し迷惑そうな妻タニヤ(タニヤ・スミス)の顔色を窺いながらも、マークはカートと再会し、クルマで遠出して温泉旅行に行くことになる。

温泉旅行といっても、ここはオレゴン州。別に湯けむりの温泉街で旅館に泊まるわけではない。人里離れた山奥にあるホットスプリングにつかるキャンプ旅行だ。男二人とマークの飼い犬ルーシーの、ちょっとした小旅行が始まる。

(C)2005,Lucy is My Darling,LLC.

実にインディペンデント映画らしい内容だ。資本の入った商業映画では、こんな作品は撮らせてもらえないだろう。

だって、あまりにシンプルなストーリーなので、ネタバレなしには話しようがないのだが、言ってしまえば本作は、表面的には何も起こらない映画なのだ。

どんよりと重たい雲のひろがる工業地帯を貫くハイウェイ、二人と一匹を乗せたボルボのワゴンが山奥のキャンプ地を目指して走る。

カーラジオからカントリーでも流れそうなものだが、本作でカーラジオから流れるのはいつも政治討論番組。これがどういう意図なのかは掴み切れなかった。

(C)2005,Lucy is My Darling,LLC.

走行中、旧交を温める二人。家族や知人の誰が亡くなったとか、誰の店が潰れたとか。だが、この二人の関係がきちんと説明されることはない。

むさ苦しい男二人が、ナンパも悪さもすることなく、ただひたすら目的地を目指し、道に迷って途中の山奥でテントを張り、そして翌朝についに念願の温泉にたどり着く。

それだけの映画だが、オレゴンの大自然や犬のルーシーの可愛らしい動き、そして鳥のさえずりや川のせせらぎなどが創り出す世界は、それなりに居心地がいい。

きちんと仕事を持ち、今度は父親になるというマークに、「俺は縛られることから逃げるばかりだ」と自虐的なカート。物理学を学んだインテリのようだが、私生活はあまりうまくいっている風ではない。

野宿中に焚き火の前で、「俺たちに分け隔てがあるように感じて、寂しいよ」などと嘆いたりする。

どうみたって、このカートはマークに愛情を感じているゲイなのだろうと思わせる。そうでないと、もうすぐ父親になろうという旧友と二人っきりの星空の下で、こんな台詞は吐けない。

ここからどう展開するのか身構えるが、何もなく夜明けを迎える。

(C)2005,Lucy is My Darling,LLC.

この予感が確信に変わったのは、彼らがついにたどり着いた温泉で、全裸で半身浴をしているシーンだ。会話の途中でカートはマークに近づき、背後から肩もみを始める。一瞬動揺するマークには、その気はないのだろう。

ここからカートは大胆に攻め、そして思いを遂げるのか、気まずい関係になるのかといった緊張の場面だったが、結局これ以上の進展はない。私の確信は音を立てて瓦解してしまった。

このあと二人は、帰路について再会を約して別れ、それぞれの日常に戻っていく。何かが起きそうで、結局何も起きず、何も変わらないことなんて、我々の毎日にはしょっちゅうあることだ。

それは映画的ではないかもしれないが、ケリー・ライカート監督はそこに光を当ててみたのだと思う。だから、この作品には何の派手さも起承転結もないが、誰しもが自分の内面に似たような思い出があることに気づく。

インディペンデント映画でなければ、とても撮れない作品だ。