『ペーパームーン』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ペーパームーン』今更レビュー|それはただの紙の月だけど

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『ペーパー・ムーン』
Paper Moon

ライアン・オニールとテータム・オニールの父娘共演による泣いて笑えるヒューマンコメディ

公開:1973 年  時間:103分  
製作国:アメリカ

スタッフ 
監督:    ピーター・ボグダノヴィッチ
脚本:     アルヴィン・サージェント
原作:   ジョー・デヴィッド・ブラウン
         『ペーパー・ムーン』
       (『アディ・プレイ』改題)
キャスト
モーゼ・プレイ:   ライアン・オニール
アディ・ロギンス:  テータム・オニール
トリクシー・デライト:マデリーン・カーン
イモジン:       P・J・ジョンソン
ハーディン兄弟:   ジョン・ヒラーマン
ルロイ:       ランディ・クエイド

勝手に評点:4.0
   (オススメ!)

あらすじ

人をだまし聖書を売りつけるという詐欺を渡世とする男モーゼ(ライアン・オニール)は、交通事故で亡くなった馴染みのウェイトレスの葬儀に参列し、孤児となった幼い娘アディ(テータム・オニール)と出会う。

アディは自分の父親が誰なのか知らない。モーゼは牧師に頼まれ、アディを唯一の身寄りである親戚の元へ送り届ける羽目になる。

道中、父と娘のふりをしてインチキ商売に励みながら旅を続けるうちに、モーゼとアディは実の父娘のように心を通わせていく。

今更レビュー(ネタバレあり)

ピーター・ボグダノヴィッチ監督が2022年に亡くなったときに、追悼にこの作品を観直そうと思っていたのだが、先延ばしにしているうちに、先日はついにライアン・オニールまで天に召されてしまった。

単なる二枚目俳優だけでない、演技力と存在感を備えた役者だった。そんなわけで、久々に向き合った本作、『ペーパー・ムーン』

もう、冒頭からの数カットを観ただけで、愛すべき作品だと分かる。和田誠風といえばよいか、60年代の洒脱なフォントデザインをあしらったクレジットタイトル。流れるのはかつてのヒット曲『It’s Only a Paper Moon』

そして田舎町の草原の中にある墓地で、埋葬する場面。大人たちに混じって、小さな娘アディ(テータム・オニール)が土の中に葬られる母を見下ろす。

そこに、唐突に現れる一人の男モーゼ(ライアン・オニール)その辺の墓に手向けられた花を盗み、母の友人だと名乗って葬儀に参加する。何の説明もないが、その立ち振る舞いだけで、すでにこの男が口先だけのいい加減な人物と伝わってくる。

母が亡くなり身寄りのないアディを、どうやってミズーリ州の伯母まで送り届けようかと近所の人々が思案しているところに、ちょうど現れたモーゼ。周囲の迫力に押されて、アディの面倒をみることになる。

彼女の母親を轢き殺した相手の兄に因縁をふっかけ、まんまと200ドルを脅し取るモーゼ。

だが、それを盗み聞きしていたアディは、モーゼが彼女を汽車に乗せて厄介払いしようとすると、「私の200ドルを返してよ!」と騒ぎだす。そんなわけで、モーゼはアディを連れて旅をする羽目になる。

子どもと動物には勝てないとはよく言ったもので、本作は史上最年少でアカデミー賞助演女優賞に輝いたテータム・オニールの存在感が際立つ作品である。

「おじさん、パパなの?」
「バカ言うな、違うよ」
「でも、あごの線が似てるわ」

そりゃそうだ、実の父娘だもん、とツッコみたくなる、ライアン・オニールテータム・オニールはたして、このモーゼとアディには血のつながりがあるのかどうか、匂わせながらの展開が面白い。

モーゼは聖書の訪問販売を生業にしている。といっても、新聞の死亡記事を見て、「ご主人に注文を頂いた聖書をお届けに伺いました」と、未亡人の名前を入れた聖書を売る詐欺商法

はじめはまるで男の子のように、笑顔ひとつみせずにしかめっ面ばかりのアディが、なぜかこの商売に興味を示し、自分がもらうべき200ドルの足しになればと、積極的にこの詐欺販売を手伝いだす。

いや、相手の懐具合や性格を見抜いて、高値で値決めする手腕は、むしろモーゼより優れているかも。いつしか、アディにも笑顔がみられるようになる。

本作は1973年の作品だが、ヒットを受けてテレビドラマが日本でも放映されていた。

ドラマ版のアディ役は、こちらも天才子役の名高いジョディ・フォスター。ウィキペディアによれば、ドラマの人気は振るわずとあるが、私は当時、毎週楽しみに観ていた。

その頃は映画版を知らなかったせいでもあるが、だから私にとってアディジョディ・フォスターモーゼクリストファー・コネリーが本家なのである。

テータム・オニール『がんばれ!ベアーズ』ジョディ・フォスター『タクシードライバー』など、二人とも子役から芸能界入りし活躍するが、その後のキャリアは対照的。

テータム・オニールは年頃になるにつれアイドル女優のようになり(『リトル・ダーリング』等)、テニス界の大物ジョン・マッケンローと一時期結婚したり、薬物絡みで世間を騒がせたりで、女優業としての活躍は少なくなる。

一方ジョディ・フォスターは、『羊たちの沈黙』をはじめ、長年の女優キャリアのなかでコンスタントにヒットを飛ばし今日にいたる。

テータム「The choice is mine」(服部セイコー)、「ジョディを見たらカフェラッテ」(マウントレーニア)などと、CMまですぐに目に浮かんでしまうなあ。

ところで、ほぼ同時期にヴィム・ヴェンダース監督は、ロードムービー三部作のひとつ『都会のアリス』を撮っている。これもおじさんと少女の旅を描いた佳作。類似性はあるが、テイストはだいぶ異なる。

ジョディ・フォスターには『アリスの恋』などというヒット作もあるものだから、紛らわしい。

さて、本作は完全に予定調和のストーリー進行で、こちらの思う通りに話が流れていく。

ジャンルによっては、先が読めすぎてがっかりするようなものもあるだろうが、この手の人情ドラマは、むしろこの先読みできる安心感が心地よい

とにかくアディの一挙手一投足が気になってしまう。最初にモーゼと二人で入ったダイナーでのにらみ合い。

「私の200ドル返してよ!」
「まあ、コニーアイランドを食べなよ(ホットドッグのことですな)

と必死に話をはぐらかすモーゼ。自分のコーヒーに超大量のシュガーを投入するのだが、噴き出さずに飲むのだから、余程甘党なのか。

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聖書の詐欺販売もアディと一緒のほうが騙しやすいと気づいたモーゼは、手を組もうぜと持ち掛ける。

詐欺とはいえ、未亡人はみな喜んで亡き夫のプレゼントした聖書の金を払うのだから、幸せを売る仕事に見えてくるのが不思議だ。

アディもけして優等生ではなく、聖書に高値をふっかけるだけでなく、時ソバもどきの両替詐欺をはじめ、店員から少額をだまし取る手法をあれこれ試してみる。

アディがホテルの部屋で煙草を吸う姿も板についている(『レオン』の子役時代のナタリー・ポートマンみたいに)。

彼女がまだ幼い少女であることに変わりなく、たまに亡き母の写真をみては、香水や装飾品を身につけ、鏡の前で身体をくねらせてポーズをとってみる。このシーンを観るたびに、「ブラックジャック」ピノコを思い出してしまう。

当初は男の子と間違われてむくれるアディだったが、次第に女っぽい感じになっていく。

やがてモーゼが尻軽なダンサーのトリクシー・デライト(マデリーン・カーン)といい仲になりかけ、大事なカネを散財し始めると、知恵を絞ってこの女を撃退する。

アディに協力するトリクシーのメイドの黒人少女イモジン(P・J・ジョンソン)もまた、なかなかいい味を出す。

映画は終盤、これまでのマイルドなコメディ展開から、ちょっとスリリングな犯罪ものに格上げする。アディに乗せられたモーゼが、酒の密売人をだまして、密売人自身の酒を高値で買わせるという大犯罪に挑むのだ。

この取引は一旦成功するが、騙した密売人の兄にあたる保安官(ジョン・ヒラーマン)にすぐに犯罪がばれ、結局モーゼはボコられて、有り金を全て持っていかれる。

禁酒法時代のクラシックカーによるカーチェイスが見られるとは思わなかった。

ちなみに、この逃亡劇でモーゼがクルマを売ろうとしてレスリング対決する羽目になる相手がランディ・クエイド。本作の同年、『さらば冬のかもめ』で重罪で捕まる新兵役の彼である。

さて、無一文になったモーゼだが、どうにかアディを目的地ミズーリの伯母のもとに連れていく。いよいよお別れだ。

なごり惜しそうなアディを置いて、冷たく去っていくモーゼ。別れ際にアディがクルマの中に残していったのは、紙の三日月の上に座って撮った一枚の写真

映画のポスタービジュアルにある、モーゼと二人並んで月に座る写真は、本編には登場しないのだ。だから、アディ一人の写真は、妙に寂しく見える。

それはただの紙の月だけど、あなたが信じてくれれば、それは作り物ではなくなるの

伯母さんは案外いい人そうで、ここでの暮らしも満更ではなさそうだ。だが、アディは父親かもしれないモーゼについていきたい。でも、生意気盛りな彼女が、素直に思いを伝えられるわけもない

そこで、アディは思い出す。目的地には着いたが、有り金を奪われたモーゼには、アディにまだ200ドルの借りがあるではないか。

結局この二人は、互いを必要と感じ始めているのに、本音を語らず、ちょっとしたドサクサに紛れて、再び珍道中を続けることになる。ここで、お涙頂戴のくさい台詞がでてこないところが、何ともいえずカッコいい。