映画『なごり雪』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『なごり雪 あるいは、五十歳の悲歌』今更レビュー|いるかと思えば伊勢正三

スポンサーリンク

『なごり雪 あるいは、五十歳の悲歌』

大林宣彦監督が大分県臼杵市を舞台に、伊勢正三の名曲から着想を膨らませた青春ムービー。

公開:2002 年  時間:111分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督・脚本:      大林宣彦

キャスト
梶村祐作:       三浦友和
(青年期)      細山田隆人
水田健一郎:      ベンガル
(青年期)       反田孝幸
雪子:         須藤温子
菅井とし子:       宝生舞
槙弘美:        日高真弓
杉田良一:      田中幸太朗
新谷由梨絵:      斎藤梨沙
水田夏帆:      長澤まさみ
健一郎の母:      津島恵子
祐作の母:        左時枝

勝手に評点:2.0
(悪くはないけど)

あらすじ

50歳を目前にして長年連れ添ってきた妻・とし子に逃げられてしまった梶村祐作(三浦友和)。そんな彼のもとへ一本の電話が入る。

それは、少年時代からの親友・水田(ベンガル)が彼の妻・雪子の危篤を知らせるものだった。祐作は故郷の大分県臼杵へ向かう列車に乗りながら、彼ら三人がともに過ごした青春時代のことを懐かしく思い出す。

かつて雪子(須藤温子)は祐作(細山田隆人)に好意を寄せていたが、祐作は彼女のそんな想いを知りながらも、あえてそれに背を向けていた。

今更レビュー(ネタバレあり)

昔の面影をなくし観光地化した尾道と訣別し、大林宣彦監督が<古里映画>に傾倒していくきっかけとなった作品。舞台は大分県臼杵市という企画がはじめにあり、大分出身のミュージシャン伊勢正三の曲を使うところから監督の構想が広がっていく。

結局、伊勢正三の代表曲である「なごり雪」「22歳の別れ」は、それぞれタイトルとなって大林監督<大分映画>として撮られたわけだが、本作はまずその一作目にあたる。

妻に捨てられ自殺を考える中年男の主人公・梶村祐作(三浦友和)のもとに、旧友から突如電話が入る。

それは忘れていた故郷・臼杵の親友・水田(ベンガル)からの何十年ぶりの電話で、事故で危篤の妻・雪子に顔を見せにきてほしいという依頼だった。

(C)PSC・TOS.E.P・大映

雪子はかつて、祐作に好意を抱き、彼が妹のように親しくしていた女性だった。

永年忘れていた故郷を電話一本で思い出させる展開は『ニュー・シネマ・パラダイス』のようであり、妹のような女性をはさむ男二人の友情は、夏目漱石を思わせる関係だ。

本作は昭和の日本の原風景のような美しい臼杵の街並みがふんだんに味わえることと、監督の初長編作『HOUSE』からの大林組常連である三浦友和の主演と言う点で、尾道三部作から臼杵三部作かと期待が高まる作品ではあった。

だが、率直に言って、私にはその二点以外に気に入った点がみつからない映画だった。大林監督らしい作品ではあると思うので、これを傑作と評価するひとも当然いるのだろうが、ここでは私が相容れなかった点を挙げさせていただく。

まずは冒頭。いきなり伊勢正三ギター弾き語りフルコーラス熱唱である。これは贅沢なのか無謀なのか。

セオリーでいけば、ドラマで酔わせてエンディングにこの弾き語りだろう。まだ心身が臼杵に馴染んでいない冒頭にこの歌は時期尚早で勿体ないし、早く本編を観たい人にはじれったくもある。

次に役者の演技、或いは演出についてのひっかかり。映画は、わざわざ上京と同様に列車で臼杵に帰る祐作と水田が、とりあえず旧交を温め、高校・大学時代の思い出を振り返る。

この回想部分が映画のメインで、たまに現代のシーンが差し込まれるような構成だ。回想時代には祐作細山田隆人水田反田孝幸、そしてヒロインである雪子須藤温子が演じている。

(C)PSC・TOS.E.P・大映

本作は現代と過去の融合のさせかたから、『時をかける少女』に似た世界観を感じるが、同作で素人同然のメイン俳優二人を尾美としのりが牽引していたように、本作では子役出身の反田孝幸のおかげで、どうにかドラマとして成立していたように思える。

本作以降、大林作品に重用される細山田隆人の演技もまだ青いし、ヒロイン須藤温子も、古風な顔立ちは雪子向きだが、台詞回しや芝居は大袈裟すぎて、まるで演劇だ。これを映画でやられると、観ている方が照れくさい。

大学生になった祐作が故郷に連れてくる都会の女子大生・菅井とし子を演じた宝生舞は、『あした』同様に溌剌とした演技は好感で、空気を読めずに雪子を傷つけるところも自然でよい。

ただ、海の家でわざわざ彼女を大胆に脱がす必要はまったくなく『彼のオートバイ、彼女の島』原田貴和子同様、スタッフ全員の衆人環視で撮影したのかと思うと、ぞっとした。

大林監督のねらいでもあるのだろうが、本作は臼杵駅での再会と別れのシーンが何度も何度も出てくる。時系列で混乱もしないし、絵としても美しいのだが、さすがに飽きる。

しかも、悲しい思いでその都度祐作を見送る雪子の心情が、本作では「なごり雪」の有名な歌詞をそのまま使い、台詞として語られる。

(C)PSC・TOS.E.P・大映

実験的な試みなのは分かる。だが、このアイデアは正直微妙。というのも、これだけの名曲の歌詞は、すでに誰もが自分なりに咀嚼して胸の中でドラマ化しているからだ。

たとえば、彼女連れで帰京する祐作に雪子が、「今度戻ってきたら、去年よりずっときれいになったって、言わせて見せる!」というシーンは、私のイメージする「なごり雪」とは違っていた。

さて、雪子の好意を知っていながら、あてつけのようにとし子を連れて帰省し、彼女を傷つける祐作。ろくなもんじゃないが、その分、とし子を不憫に思い、優しくする水田がいいヤツに見える。そこまではよい。

過去から現在に繋がる事件が起きる。

(左時枝)が亡くなりあわてて帰省した祐作。そして彼を追って、はるばる東京から葬儀に訪れたとし子を見て雪子はショックを受けたのか、自室でリストカットしようとし、水田がそれを阻止する。そこにかけつけた祐作に「違うの!違うの!」と雪子は叫ぶ。

ここからはネタバレになる。現代に戻って、古いアルバムを見ながら、祐作と水田は、あのとき、雪子は何を言いたかったのか考える。

結論は、彼女はただ、ナイフで枕を割いて、中の粒々を窓からばらまいて臼杵の夜に雪を降らせようとしたのだろうということだった。

割とすぐにそうと気づく演出なのは、ミステリーではないのでよいと思うが、気になったのは、雪子と結婚した水田が、そのことを彼女に尋ねようともしなかった点だ。

危篤状態になって初めて真相に気づくのは間抜けだし、そもそも自殺騒動も水田の早合点から始まったのだ。

間抜けといえば、この水田は祐作を臼杵に呼んでおきながら、入院中の雪子の看病は娘の夏帆(長澤まさみ)に任せっぱなしで、自宅で男二人で昔話に花を咲かせ、雪子の死に目に会えないのだ。

これは、夏帆でなくても、ダメオヤジ二人に文句を言いたくなる(ちなみに、この時代の長澤まさみはまだ映画に興味がないためか、芝居ものびしろ豊富)。

さらに謎なのは、この現代で病室に寝たままの雪子が、事故のためミイラのように包帯グルグル巻きで顔がまるで見えないこと。これではコントだ。

瀕死の妻のために、かつて彼女が愛していた男を夫が無理に連れてくる。やや設定は異なるが、連城三紀彦「恋文」を思わせる、泣かせる場面にもなりえるはずなのに、相手がミイラではなあ。

スポンサーリンク

ラストシーン、雪子が亡くなって、臼杵駅で名残惜しそうに別れる祐作と水田。

「今度会うのはまた何十年ぶりかもな」
「一所懸命生きるしかないな」

50歳男の哀愁に、三浦友和がここでも「なごり雪」の歌詞をからめた台詞をいう。

極めつけはこの後だ。歌詞のように「君が去ったホームに残り」水田が突然、突っ伏して号泣するのである。

ここは35ミリカメラを三台も奮発して揃えたと大林監督も語っている名シーンのはずなのだが、芝居がダメだ。懸命に泣こうと顔をくしゃくしゃにして大声で嗚咽するが、一粒の落涙もみえなかった

一気にしらけてしまうなあ。明治の男は簡単には泣かないと、小津安二郎監督に食って掛かった名優・笠智衆を思い出す。そもそも、50歳の九州男児が、ここで号泣するかな