『サウスバウンド』
Southbound
奥田英朗の原作を森田芳光が映画化した異色家族ドラマ。かって学生運動の闘士であった両親は東京から西表島の移住を決意。
公開:2007 年 時間:114分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 森田芳光 原作: 奥田英朗 『サウスバウンド』 キャスト 上原一郎: 豊川悦司 上原さくら: 天海祐希 上原洋子: 北川景子 上原二郎: 田辺修斗 上原桃子: 松本梨菜 <東京編> 南先生: 村井美樹 校長先生: 平田満 堀内たえ: 加藤治子 さっさ: 久保結季 <沖縄編> 新垣巡査: 松山ケンイチ ペニー: ショーン・ペロン ヨダ: ベンビー 校長先生: 与世山澄子 サンラー: 上間宗男
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
浅草に住む小学6年生の上原二郎(田辺修斗)は、疑問に感じたことには猛然と盾つく、仕事もせずに騒動ばかり起こしている元過激派の父・一郎(豊川悦司)を恥ずかしく思っていた。
ある日、母親さくら(天海祐希)の発案で、一家は父の故郷である沖縄の西表島に引っ越すことになる。島民に温かく迎えられる上原家だが、そこでもまた一郎は観光開発業者を相手に闘うはめになる。
今更レビュー(ネタバレあり)
トヨエツが活動家の父
奥田英朗の同名原作に森田芳光がメガホンを取る。奥田作品の映画化は三木聡監督の『イン・ザ・プール』に続く二本目だが、2005年出版と考えると随分早い企画だ。
国家権力が大嫌いで、その筋では有名な元過激派らしい父と、同じく学生運動家の中ではジャンヌ・ダルクと呼ばれた母のいる家族のドラマ。
「年金など払わん。日本国民はやめる。学校なんて行かなくていい」などとのたまわる、破天荒な父・上原一郎役に、長身で無愛想な豊川悦司が似合いすぎる。
この手の父親キャラには、その過激な行動をたしなめて家庭を円満に切り盛りする良妻賢母が出てきそうなものだが、天海祐希演じる妻のさくらが、夫に負けない女闘士というのがユニークな配置だ。
上原家には三人の子ども、主人公である小6の長男・二郎(田辺修斗)、小4の妹・桃子(松本梨菜)、そして二郎とは10歳以上違う社会人の長女・洋子(北川景子)がいる。
森田芳光監督作の公開順では前作になる『間宮兄弟』ではまだティーンのチャラい女の子だった北川景子、本作ではすっかりOLのお姉さんに早変わりしている。
また公開順では本作の次になる『椿三十郎』では、トヨエツが主人公と対決する最強の剣客に様変わりする。ちなみに本作の後半で登場する松山ケンイチも『椿三十郎』に連続出演し、両作品でお人好しの役を好演。
浅草から西表島へ
物語は大きく前半の東京編と、後半の沖縄編に分かれる。
浅草の小学校に通う二郎は、学校では中学生の不良の陰湿ないじめに巻き込まれて大変な中、父が家庭訪問の担任教師(村井美樹)にからんだり、「修学旅行の積立金が不当に高い!」と学校に乗り込んできたり。
かと思えば、母がかつて人を刺して刑務所に入っていたという怪情報を耳にしたり、その母が実は由緒ある呉服屋の娘だったことが判明したりと、忙しい日々。
そのうち、父の起こした騒動で東京にも居づらくなり、母の鶴の一声で、父の故郷、西表島に家族で移住することになる。
そして沖縄編。島民に歓待される上原一家だが、ド田舎にある廃屋を無料で借り受け、そこをどうにか修理して暮らし始める。
兄妹は全校生徒5名の島で唯一の小学校に通い始めるが、彼らの新しい家に、観光開発のために立ち退きを求める地権者が現れる。
豊川悦司演じる父・一郎は、国家権力の手先である市役所員や学校教師には敢然と立ち向かう。「日本に徴兵制度があったらどう思う?」と担任に問いかけ、ブルジョアとプロレタリアについて息子に語る。
指をさして決め台詞「ナンセンス!」と吠えるのは映画オリジナルだが、この男の性格を端的に示していて、実に効果的。
『いとみち』や『あちらにいる鬼』といった近作でも、トヨエツはこの手の無茶な理屈を通す父の役がハマる。
一方の天海祐希も、肩幅がありかつての女闘士の片鱗も窺える妻・さくら役は、大柄の夫と合わせて頼もしい存在に見える。子供たちに有無を言わせず西表島移住を決める強引さにも説得力がある。
東京編はもっと辛辣でいいのに
奥田英朗の原作は長編であるため、映画化にあたり削られる部分があるのは仕方ない。本作は森田芳光が自ら脚本も手掛けているが、内容的には破綻なく纏まっているし、ドラマを迷走させるような映像遊びもなく、無難な出来ではある。
だが、どこか物足りない。何だろう。
原作で印象的だったのは、前半<東京編>で二郎が学校のイジメや父親の言動などで鬱積したフラストや閉塞感が、後半<沖縄編>で島に降り立った途端に一気に解放される心地よさ。
まるで違う小説に切り替わったようで、前半の曇天続きから、照りつける陽射しのピーカンに変わった気分になる。
映画でも、前半の密集した浅草の住宅から、抜けるような青空とコバルトの海の開放的な家屋に切り替える等、工夫はあった。だが、東京編に重苦しさが足らず、原作ほど沖縄編への突き抜ける高揚感がないように感じた。
長男の二郎は、前半はもう少しヘタレでみじめに描いてよかった。彼らをいじめる中学生、その手先となる級友の黒木は、もっとしぶとく憎たらしくていい。
◇
原作では、父のかつての後輩が現れ、二郎に過激派活動を手伝わせるかわりに、いじめ中学生を懲らしめてくれる。映画ではこの後輩は存在自体を抹消(はじめ、小木茂光が演じているのだと誤解した)。
その結果、二郎は黒木と共に中学生を喧嘩で倒してしまい、いじめの件は自分で解決してしまう。これでは悲壮感がない(二郎や黒木君が、イケメン小学生すぎるせいでもある)。
また、映画ではだいぶ割愛されたが、原作では、母が長年隠してきた実家の存在や母の前科の話も真相を知るまでには丁寧な描写があった。
初めて会った祖父が「うちの孫たちと同じ学習院初等科に編入するといい。理事長に頼めば二人くらい…」と言われ、二郎はいじめのない私立小学校に心が揺れるのだ。
祖母役の加藤治子は良かったが、天海祐希との複雑な母子関係の距離感は、あまり伝わってこず。
東京編をここまで淡泊にしなければ、悩みを抱える二郎がトラブルメーカーの父を嫌悪し、反発することにもっと実感がわき、沖縄編でのモードチェンジも一層効果的だったのではないか。
西表島の解放感
さて後半の沖縄編は、出演者に結構な人数のリアルな島民を入れているとみえて、それらしい雰囲気は良く出ている。
原作の南風小学校という校名があまり出てこなかったのは残念だが、全校生徒5名の学校のこどもたちが『天然コケッコー』を思わせて、いい感じ。妹・桃子役の松本梨菜の子供らしい自然な演技がかわいい。
学校不要論の父・一郎を熱心に説得する校長先生(与世山澄子)から善人さが滲み出ていて、これなら一郎でなくても、子供を通わせたくなる。
一方で、上原家の立ち退き側に加担する市会議員も地元のひと(俳優ではない?)だと思うが、あまりに台詞棒読みで、まるで悪役になっていない。これはねらっているのか。
クライマックスは、立ち退きを強制執行する連中に敢然と立ち向かう一郎とさくらの活動家夫婦。
東京時代に父が不当に高いと騒いだ修学旅行積立金も、校長の業者癒着があったためと判明。父は正しかった!
そして今、二郎の目の前でブルドーザーを相手に一歩も引かない父。たとえ理屈は無茶とはいえ、息子にはその瞬間だけは輝いて見える。ここはじわっとくる。
父のかつての得意技である落とし穴戦法、そして家の中では大勢を相手に母が大暴れで抗戦したりと、『椿三十郎』ばりの本格的なチャンバラ活劇になっているのはさすが森田芳光。
◇
長女・洋子(北川景子)に惚れる善人巡査(松山ケンイチ)の組み合わせは、その後『大河への道』の共演に繋がるのだと思うと感慨深い。
いや、それをいうなら、一郎(豊川悦司)と二郎(田辺修斗)は本作の翌年公開の『20世紀少年』のオッチョとケンヂの最強タッグではないか。
そして戦いは終わり、警察に追われる一郎は、子供たちと訣別する。
「みんな、お父さんを見習うな。極端だからな。でも汚い大人になるのだけはやめてくれよ。違うと思ったら戦え。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる」
一郎がその理解者である妻とともに子供たちを置いて、理想郷・パイパティローマに舟で逃亡するシーン。この台詞は泣ける。父の背中は大きい。
◇
パイパティローマとは何かもさることながら、両親は結局その後、波照間に潜伏しているらしいことや、二郎が学校で夕読みする、島の勇者アカハチの伝説など、ラストにはもう少し補足情報があるともっと余韻に浸れたのに。
一方で、中島美嘉の歌う主題歌は映画とイメージこそ合っているが、さすがに別れのシーンとエンドロールで立て続けに二回流すのはしつこく、興ざめだ。
角川春樹から角川歴彦に替わっても、歌も原作も売りたい角川映画の風習は根強く残っているのかな。ナンセンス!