『夢の涯てまでも』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『夢の涯てまでも』今更レビュー|ロードムービーは長いからこそ楽しい

スポンサーリンク

『夢の涯てまでも』
Until the End of the World
Bis ans Ende der Welt

ヴィム・ヴェンダース監督渾身のディレクターズカット288分。ロードムービー、ここにあり。

公開:1991 年
時間:288分(ディレクターズカット)
製作国:ドイツ

スタッフ 
監督・脚本:    ヴィム・ヴェンダース

キャスト
トレヴァー/サム:  ウィリアム・ハート
クレア:    ソルヴェーグ・ドマルタン
ユージーン:        サム・ニール
ウィンター: リュディガー・フォーグラー
エディス:       ジャンヌ・モロー
ヘンリー:   マックス・フォン・シドー
バート:       アーニー・ディンゴ
エルザ:       ロイス・チャイルズ
チコ:         チック・オルテガ
レイモンド:     エディ・ミッチェル
森:               笠智衆
森夫人:            三宅邦子

勝手に評点:3.5
(一見の価値はあり)

あらすじ

1999年、制御不能となった核衛星の墜落が予測され、世界は滅亡の危機に瀕していた。

そんな中、ベネチアから車であてのない旅に出たクレア(ソルヴェーグ・ドマルタン)は、お尋ね者のトレヴァー(ウィリアム・ハート)と運命的な出会いを果たす。

トレヴァーに心ひかれたクレアは、旅を続ける彼の後を追う。トレヴァーは世界中を巡って映像を集め、父親が発明した装置を使ってその映像を盲目の母親の脳に送り込もうとしていた。

今更レビュー(ネタバレあり)

長くたっていいじゃない

ヴィム・ヴェンダース監督による近未来のロードムービー。

公開当時は米国版で158分、欧州版で179分に編集されていたが、削られた部分をナレーションで補った作品はまるでダイジェスト版だと不満を募らせた監督が長時間バージョンの編集に着手。

紆余曲折を経て、288分のディレクターズカットが誕生し、2019年にDVD化、日本では2021年に「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ」の中で劇場公開された。

エドワード・ヤン監督の代表作『牯嶺街少年殺人事件』の236分を50分も上回る長さに覚悟もしたが、始まってみると退屈はしない。

いやむしろ、世界各地を回るロードムービーの魅力を余すことなく伝え、さらには前半後半で大きく異なる内容をきちんと堪能してもらうために、ヴェンダース監督がこの長さを必要と考えたのは自然なことだ。

単調な場所の移動やアクションを繰り返すこともなければ、歌や踊りをフルコーラス見せて時間を稼ぐこともなく、スペクタクルなロードムービーが続いていく。密度の濃い贅沢な時間だ。

© Wim Wenders Stiftung 2015

まずは序盤の展開

時代設定は1999年、今となれば四半世紀も前の懐古になるが、公開当時はミレニアムを目前とした、何かが起こりそうな世紀末の頃。

そこで制御不能になったインドの核衛星の墜落が予測され、世界滅亡の危機が騒がれていた。米国政府は空中で撃墜する計画を進めるが、連鎖反応を招きかねないと他国がそれを危険視していた。

そんなSFめいた背景は、だが本作の登場人物の行動にはあまり影響を与えない。

主人公の女性クレア(ソルヴェーグ・ドマルタン)は、世紀末の退廃的なパーティ生活にも疲れ、浮気していた恋人ジーン(サム・ニール)のクルマを拝借してヴェニスから飛び出す。

折りしも世界滅亡のパニックで世間は大渋滞。あてもなく空いている道路を快走していたクレアは、衝突事故をおこし銀行強盗のレイモンド(エディ・ミッチェル)チコ(チック・オルテガ)と親しくなる。

二人から、奪った金をパリまで無事に送り届けたら三割くれるという気前のよい条件に乗り、クレアは単身壊れたクルマでパリへ。そこで偶然、駅の公衆電話で隣にいたお尋ね者のトレヴァー(ウィリアム・ハート)と知り合いになる。

スポンサーリンク

クレアは運命的な出会いのトレヴァーに惹かれていくが、相手は彼女の運ぶ大金に気づきちゃっかり少し盗み出し、消えてしまう。

クレアは金を盗んだトレヴァーを捕まえようと、探偵のウィンター(リュディガー・フォーグラー)に調査を依頼する。

駆け足で説明したが、長尺の映画ゆえ、この序盤の展開もきちんと時間をとって進められ、混乱はない。

【ザ・シネマメンバーズ】ヴィム・ヴェンダース作品を配信

脱力系な近未来の感じがいい

ざっくり言えば、トレヴァーを追いかけるクレアと探偵ウィンター、それに彼女が心配で駆けつけてきたジーン。この辺が主要メンバーとなって、追跡の旅は続いていく。ここまでの道程はヴェニスからパリ、そしてベルリン。

クレアの乗る修理中のクルマの泡だらけのウィンドウ、トレヴァーが借金のかたに置いていったピグミーの音楽テープなど、ちょっと笑えるアイテムや小粋な男女の会話は、ハリウッドのロマコメ風

特にセンスを感じるのは、登場するハイテクなガジェットがしっかりエイジングされていること。

クレアのクルマのカーナビも探偵の使うPCソフトもわざと古めかしくしているし、駅の公衆テレビ電話も落書きだらけでボロボロなのがいい。

さて、トレヴァーには最新のカメラ技術を盗んだ産業スパイの容疑もあり、高額な懸賞金のかかったお尋ね者だが、はたして真相はいかに。

彼の本名はサムといい、盗んだ技術は彼の父ヘンリー(マックス・フォン・シドー)が開発した盲人に映像を見せられる装置のためのもの。

目の見えない母エディス(ジャンヌ・モロー)のために、彼はその装置で画像を収集しているのだった。クレアはそれを知り、ますます彼に惹かれていく。

© Wim Wenders Stiftung 2015

クレア、サム、探偵そしてジーンはリスボンモスクワ、そして北京と各地を転々としていく。「北京、ベルリン、リスボン、モスクワ、束になって 輪になって」パフィーのように歌いたくなる旅路である。

途中、クレアが自白剤を飲まされて、これまでの銀行強盗の一件からペラペラとエレベータの中でロシア人たちに話し出すのだが、誰も言葉が分からないシーンが笑。

それにしても、都市ごとに異なる空気をきっちりと映像にとらえ、移動中にみえる雄大な景色や見上げる角度で撮る重厚な建造物、そして町を縫うように走る路面電車などを美しく取り込む手法は、いかにもヴィム・ヴェンダースだなあと思う。

© Wim Wenders Stiftung 2015

これぞ東京画

さて、ここでついに舞台は東京へ。歌舞伎町やカプセルホテルなどの材料選びにも彼のセンスを感じる。青山のこどもの城や新宿の原ヘルス工業バブルスターの広告など、レアものも散見。

ロマンスカーで向かった箱根の宿でサムとクレアが訪ねるのは森夫妻(笠智衆、三宅邦子)。いやはや、何とも分かり易いヴェンダース小津安二郎への敬愛。『東京画』も撮ってるしね。

ここで、サムは森から装置で酷使し失明しかけた目の薬草治療を受ける。

© Wim Wenders Stiftung 2015

東京を離れ、サンフランシスコで銀行強盗のチコと再会。本筋と関係ないけど、中古車ディーラーが現金支払いは物騒だから嫌だとごねながら、銃を向けて金を奪うシーンがバカバカしくて好き。

そしてサムの妹の画像を撮り、シドニーへ向かう。妹の画像はなぜか、まるでフェルメールの絵のような構図と色合い。

ついにカメラはダウンアンダーにまで来たか。だがここまできて、核衛星の爆発の影響なのか、全ての電子機器が使用不能になる。冒頭の設定をここで久しぶりに思い出した感じだ。

長い道のりだが、ここまでで約半分。既に多くの都市を飛び回ったが、後半はある場所に腰を落ち着ける。

それは、サムの両親が避難して研究している先住民の洞窟の中の研究施設。ここでサムの父ヘンリーは、盲人の妻のための視覚再生装置の研究を続けているのだ。

Until The End Of The World Trailer (1991) - William Hurt Movie HD

キャスティングについて

クレア役のソルヴェーグ・ドマルタンは、ヴェンダース『ベルリン 天使の詩』の空中ブランコ乗りの娘でデビュー。同じ役で『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』にも出演。

もともと彼女は『東京画』の編集担当だったのを、ヴェンダースに見出されて女優となった。だから彼女も小津安二郎とは因縁があるといえる。45歳の若さで他界。

© Wim Wenders Stiftung 2015

トレヴァー/サム役のウィリアム・ハート『蜘蛛女のキス』『ブロードキャスト・ニュース』ほか出演作多数。最近では『ブラックウィドウ』ほかMCUでサンダーボルト・ロス将軍で活躍。昨年逝去。

探偵ウィンター役のリュディガー・フォーグラーは、『都会のアリス』に主演したほか、初期のヴェンダース作品の常連。

ジーン役のサム・ニールは古くは『オーメン 最後の闘争』ダミアン役、近年では『ジュラシックワールド』シリーズなど多数。

ヘンリー役のマックス・フォン・シドー『エクソシスト』の神父役だから、悪魔の子とは折り合いが悪いのも肯ける。母エディス役にはフランスを代表する映画女優のジャンヌ・モローとはまた豪華な布陣。

© Wim Wenders Stiftung 2015

後半戦は腰を据えて

後半も二時間以上あるわけだが、殆どがこのヘンリーの施設での研究に費やされる。

サムが撮った画像の転送は結局うまくいかず、皮肉なことにクレアが撮った妹の画像はうまく転送できる。シンクロ率が高くないと転送できない構造は、エヴァ的といえるか。

娘の顔を見られてエディスは喜ぶ。やがて核衛星は宇宙で爆発し、時代は2000年を迎えるが、エディスは息絶える。探偵たちはみな帰国していくが、物語はまだ終わらない。

ヘンリーたちは、夢を映像化してこの装置で観られるように、研究を進めていく。まさに夢の涯てまでも。クレアの夢の中にはエディスが写っており、ヘンリーはそれを何とかして、自分の手元に残したかったのだ。

© Wim Wenders Stiftung 2015

長い長い物語の最後に、クレアは宇宙飛行士になってしまう。ディレクターズカットでさえ、広げまくった風呂敷を後半で回収しきれた気はしない。

特にテンポの良かった前半に比べると、後半はややもたついた展開だ。NHKのハイビジョンによるものか、装置を使った夢の映像などは、なかなか見応えがあるけれど。

ヴェンダースは本作を前半後半で二つの作品にして公開したいと考えたそうだが、それでは後半の分が悪い。これはやはり、ぶっ通しで観ればこそ、全体で満足感の得られる作品ではないかと思った。