『お引越し』
相米慎二監督がひこ・田中の児童文学を映画化。家族離散の危機に一人頑張る少女レンコを、本作デビューの田畑智子が熱演。
公開:1993 年 時間:124分
製作国:日本
スタッフ 監督: 相米慎二 脚本: 奥寺佐渡子 小此木聡 原作: ひこ・田中 『お引越し』 キャスト 漆場レンコ: 田畑智子 漆場ナズナ: 桜田淳子 漆場ケンイチ: 中井貴一 高野和歌子: 須藤真里子 布引ユキオ: 田中太郎 大木ミノル: 茂山逸平 橘理佐: 遠野なぎこ 木目米先生: 笑福亭鶴瓶
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
ポイント
- 相米慎二監督、本作デビューとなる田畑智子を探し当て、起用したことでもはや勝ったも同然。
- ひこ・田中の原作とは、特に後半まったく似て非なるものとなるが、原作者と勝負するとはこういうことかと感服。少女から大人にかわる瞬間を見事に切り取った秀作。
あらすじ
レンコ(田畑智子)は気の強い11歳の少女。彼女の両親(桜田淳子、中井貴一)はお互いの生活が噛み合わずに、離婚を前提とした別居を始める。
はじめのうちは家が二つ出来たと喜んでいたレンコだが、自分勝手なことばかり言って、いがみ合う両親の姿を見ているうちに納得できないものを感じるようになる。
家族の絆を取り戻そうと、以前行ったことのある琵琶湖畔への旅行に両親を無理矢理連れ出したレンコは、父母の間の溝の深さを思い知る。
今更レビュー(ネタバレあり)
タイトルに騙されてはいけない
相米慎二監督が初めて京都を舞台に撮った作品。原作はひこ・田中による同名の児童文学。湊かなえのテレビドラマシリーズや細田守の劇場版アニメ作品などの秀作を手掛ける脚本家・奥寺佐渡子のデビュー作でもある。
◇
主人公は11歳の少女レンコ(田畑智子)。父・漆場ケンイチ(中井貴一)と母・ナズナ(桜田淳子)の一人娘だ。
『お引越し』というほのぼのとしたタイトルに騙されてはいけない。冒頭には確かに引越しシーンは登場するが、これは家族の移動ではなく、父親が家を離れるのだ。
それも単身赴任などではなく(原作ではそう読めるような導入部分だが)、離婚を前提にした別居生活の始まりなのである。
レンコは母・ナズナと二人で暮らし始める。ようやく胸のつかえがとれて、自分の人生を取り戻そうとはしゃぐナズナとは対照的に、レンコは釈然としない。
そもそも、別居に先立ち自分には何の相談もないし、母の苗字が変わる(というか旧姓に戻る)話を聞き、つまりそれって離婚じゃないかと後から知らされるような雑な扱い。
レンコには、離婚に至るほどの原因が父・ケンイチにあるようにも見えないし、突如、母娘の新生活のための契約書(家事の分担などのルール)を書いては壁に貼る母・ナズナの態度にも腹が立った。
映画は、そんな少女の傷つきやすく多感な心の動きを、丁寧に汲み取っていく。
冒頭に出てくる三角形のダイニングテーブル。三人家族だから使い勝手がいいのかもしれないが、鋭角の家具が家庭不和の印象を強める。
森田芳光監督に対抗するような食卓で奇をてらい始めたかと不安に思ったが、そこからは相米慎二監督のカット割りと撮影の栗田豊通の合わせ技が奏功し、引き込まれるような映像で魅せる。
『翔んだカップル』のボクシングやロングで撮る坂道、『セーラー服と機関銃』の焚き火の前の会話、或いは『台風クラブ』のスコールのようなゲリラ豪雨。随所に過去作の集大成のようなショットがみられるのは楽しい。
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京都を舞台にしながらも、観光地的なカットは抑え目にする一方、花火や大文字焼き、祭りの神輿といった季節の風物詩は効果的かつ存分に採り入れる。
インバウンドの外国人観光客が多数押し寄せる令和の時代には、もう容易にあの絵は撮れないだろう(国際的な観光地だから、日本人ばかりの方が不自然だが)。
レンコとその家族の配役
しっかり者で気が強く、京都弁でズケズケと物申す少女レンコのキャラクターがいい。ここは気丈な主人公でないと、もの悲しい話になってしまう。
大人に成長する直前の11歳のレンコが、実に子供らしいし、元気もよく、また可愛らしい。田畑智子は本作でデビュー。
オーディションを勝ち残ったわけだが、元は相米監督が祇園で飲んでいる時に、主人公に条件が合いそうな少女が老舗料亭にいると聞きつけて会いに行ったのがきっかけという。それまでは、芸能界入りなど、考えてもいなかったそうだ。
田畑智子といえば朝ドラ『私の青空』(2000)の主演が印象深いが、あの主人公は確かナズナという役名だった。本作との因縁を感じてしまう。
一方、本作でそのナズナを演じているのが桜田淳子。『私の青空』の田畑智子と『わたしの青い鳥』の桜田淳子か。芸能活動を休止してから久しく見ていないと思ったが、本作は彼女の最後の出演映画なのだ。
30年前の作品だから、桜田淳子も30代半ば。服装も結構イケイケ系だったり、感情剥き出しキャラだったりと、新鮮味がある。昭和世代には、やはり彼女は京都ではなく秋田のイメージ。
◇
意外だったのは、父・ケンイチ役の中井貴一。髭面で一見チンピラ風で怖そうだが、中身はいつもの善人で、このギャップが面白い。
父親のキャラひとつで、離婚の判断に共感できるかどうかが変わりそうだが、中井貴一はいい線をついている。『東京上空いらっしゃいませ』(1990)に続いての、相米作品出演。
もう、あかんの?
さて、最近の事情は知らないが、当時レンコの小学校では、両親が離婚となるとなぜかイジメや嘲笑の憂き目にあう。
転校生の理佐(遠野なぎこ)も、両親が離婚していることや東京から来たというだけで、クラスの女子から鼻つまみ。離婚繋がりで理佐と親しくなったレンコも級友たちと大喧嘩を引き起こす。
一方、レンコのよき理解者である男子・ミノル(茂山逸平)から入れ知恵されて、自分の存在を両親に考えさせるための篭城作戦を実行に移す。
だが、どうあがいても現状を打破できないレンコは、昨年も行った琵琶湖畔への家族旅行を極秘裏に復活させ、平和な日々を取り戻そうとする。
家族を再びくっつけようとするレンコの努力が泣かせる。離婚で一番傷つくのは、考える時間も与えられずに、黙って従うしかない子どもなのだ。
「もう、あかんの?」
レンコの問いかけに、ケンイチの返事は頼りない。
◇
「頑張れ、みんな頑張れ、月は流れて 東へ西へ」
井上陽水を歌いながら、レンコが文字通り家族再生のために頑張っている。
何をしてくれる訳でもない担任教師(笑福亭鶴瓶)が、説教臭くないのもよいが、本作がいかにも相米慎二監督らしくて素敵なのは、泣かせのヒューマンドラマにしていないところだ。
「父はな、もう家族三人で短いロープの縄跳び続けるの、疲れたんや」
「そんなの、つないで長くしたらいいやん」
川岸で、ケンイチと口喧嘩するレンコが、自分のことを好きか尋ねる。その答えを聞き、走って胸に飛び込むのだと思っていると、そのまま父を通り過ぎて川岸を遥か彼方まで走り去っていくレンコ。ここは笑えて、泣ける。
まじめにふまじめ
本作はひこ・田中の原作をかなり大胆に改変している。
大筋は一緒だが、原作はナズナとの生活の中で、二人の契約書の条項をあれこれレンコがいじくってみたり、文通のようなやりとりがあったりと、文字によって物語を描写している(当たり前か)。
映画では、それを単純に台詞化したり小道具にしたりするのではなく、まったく違う手法で、同じことを語ろうとする。それは陽水の歌であり、レンコの表情や所作であり、籠城計画失敗であり。
その最たるものは、終盤、ひとりで夜の祭に出向いたレンコが、そのまま祭りのあとの山の中をひとりで彷徨い、琵琶湖畔で自分たち家族のかつての幸福だった家族旅行の姿を幻視する場面だろう。
真夜中の湖畔に小学生の少女がひとりでいるのは非現実的だが、このシーンの幻想的な美しさはそんなツッコミを寄せ付けない。
「おめでとうございます! おめでとうございます!」
そう唱えながら、琵琶湖に入水し、一年前の自分を抱き締めるレンコ。その顔は、もう大人に成長している。イニシエーション。気が付けば、夜明けの琵琶湖畔でレンコは立ち尽くしている。
岸に戻ったレンコの背後に小さく母と思しき人影。ナズナの顔は大きくぼやけて、声でしか判別できないという思い切った演出。もはや主役は完全にレンコなのだ。この場面は相米監督の得意とする長回しが活きる。
一晩探し回った娘をようやく夜明けの湖畔でみつけた母の台詞が奮ってる。
「染之助・染太郎かっ」
かいけつゾロリじゃないけど本作は相米慎二の「まじめにふまじめ」な演出が素晴らしい。この不思議なシーンと台詞は、原作とはかけ離れているけど、きちんと同じところに着地する。原作ものの映画を撮る面白さとは、こういうものなのだろう。
エンドロール、学校に戻ったレンコは野外活動で仲間と離れ、一人並木道を歩く。途中、往来にはナズナがいて、ケンイチがいて。
一度バラバラになった家族は戻らないのかもしれないが、それぞれ前向きに人生をリセットした。レンコもまた、中学の制服を着て、自分の人生を歩みだそうとしている。
本作は、少女から女性に成長する貴重なひとときの田畑智子を見事にとらえた作品だと思う。ただ、ほっぺたを両方から引っ張り、カエルみたいになった顔のポスタービジュアルは、もっと可愛い写真を選んであげればいいのにと思うけど。