『セーラー服と機関銃』今更レビュー|「オジンのくせに」が懐かしい

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『セーラー服と機関銃』 

相米慎二監督が薬師丸ひろ子と再タッグ。赤川次郎原作の映画化で記録的な大ヒットとなった記念碑的作品。

公開:1981 年  時間:131分(完璧版)  
製作国:日本
  

スタッフ 
監督:     相米慎二
脚本:    田中陽造
原作:    赤川次郎
          『セーラー服と機関銃』
撮影:   仙元誠三
キャスト
星泉:     薬師丸ひろ子
佐久間真:   渡瀬恒彦
三大寺マユミ: 風祭ゆき
目高組・政:  大門正明
目高組・ヒコ: 林家しん平
目高組・メイ: 酒井敏也
高校生・智生: 柳沢慎吾
高校生・哲夫: 岡竜也
高校生・周平: 光石研
黒木刑事:   柄本明
松の木組組長: 佐藤允
浜口物産社長: 北村和夫
萩原:     寺田農
太っちょ:   三國連太郎

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

あらすじ

女子高生の星泉は父の死をきっかけに、組員わずか四人の弱小ヤクザ・目高組の組長を襲名することになってしまう。

その直後から、泉のマンションが荒らされたり、殺人事件が起こったり。どうやら、行方不明の大量のヘロインを巡って、大がかりな抗争が起きつつあるらしい。

泉は組長として、セーラー服姿で敢然と悪に立ち向かう。

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レビュー(ネタバレあり)

相米×ひろ子の再タッグ

赤川次郎の出世作といえる原作は、近年では橋本環奈による再映画化、ドラマでは原田知世から長澤まさみまで数多く映像化しているが、その原点といえるのが本作である。

『翔んだカップル』で初めてメガホンを取った相米慎二監督と、同作が実質女優デビューのような薬師丸ひろ子の再タッグ。

彼女は1980年公開の同作がじわじわと予想外の評価で注目を集め、翌1981年夏には大林宣彦監督の『ねらわれた学園』を大ヒットさせ、そして同年末に正月映画となる本作が、更にひろ子人気を加熱させる。

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組員四人で風前の灯火の弱小暴力団・目高組の親分が、死に際に跡目を甥っ子にと言い遺して亡くなる。ところが、その人物は交通事故死。高校生の一人娘が、成り行きで組長を襲名する。

設定の斬新さだけで勝負の原作は、映画としてはリアリティを出すのが難しそうだが、東映配給とはいえ実録ヤクザ映画を撮る訳ではないし、渡瀬恒彦佐藤允らの共演陣のおかげで、一応それらしさは出せている。

その後、角川書店の稼ぎ頭となる赤川次郎だが、この原作は当初、主婦と生活社に版権があり、これを機に角川文庫となったようだ。

キティ・フィルムの名物プロデューサー伊地智啓が娘さんにこの本が面白いと言われて、当時無名の赤川次郎に映画化交渉に行ったという。なんと住所が同じ団地だったとか(ホントか?)。

もしそうであれば、本作最大の功労者は、伊地智プロデューサーの娘さんかもしれない。(若い世代は驚かれるだろうが、昔は書籍の巻末に作家の自宅住所が書かれていたのだ)

リアクション芸人のような体当たり

さて、一連の大ヒットで社会現象を生み出すほどの人気の薬師丸ひろ子だが、相米慎二監督の演出は相変わらず容赦なく、まったく彼女を特別扱いしていない

「いわゆる<アイドル映画>など撮影しない」というスタンスは、相米監督も大林監督も同じなのだが、それでも主演女優を家族同様に扱う大林組と違い、相米組は荒っぽい

だって、そうだろう。今回、久方ぶりに完璧版を再観賞して改めて驚いた。

はじめの薬師丸ひろ子登場のカットは、夏服のセーラー服でお腹チラ見せのブリッジから入るのだ。しかもリボンでろくに見えないご尊顔は上下逆さまで、主演女優のファーストショットとしては前代未聞だ。

その後に目高組の組長になってからも、やれクレーンに吊るされて生コンのプールに漬けられたり、磔にされたり地雷の上に立たされたり、暴走族とともに単車をころがしたり(二人乗りだが)。

リアクション芸人も真っ青の体の張り方ではないか。

『セーラー服と機関銃』劇場予告編

あくまで寛大な角川事務所

更には、親しみを覚え始めた佐久間(渡瀬恒彦)が背中の入れ墨みせながら謎の女マユミ(風祭ゆき)と裸でお楽しみの場面を目撃させたり、自らも浜口物産社長(北村和夫)に飲まされて襲われそうになったりと、清純派女優・薬師丸ひろ子にしては、キワドイ場面も多い(原作はもっと過激だった)。

事務所の看板女優をここまで雑に扱われて、角川春樹は怒らないのかと思ったが、社長も目高組に弾き飛ばされる風鈴屋台の通行人でカメオ出演している位なので、恐るるに足らずか。

当の本人の薬師丸ひろ子も、『翔んだカップル』の自転車激突シーン以来、演技のイロハを学んだ相米監督とは信頼関係ができているし、根性のすわった女優だから、気遣い無用なのかもしれない。

とはいえ、相米監督は、朝の9時からリハーサルが始まっても、本番がスタートするのは夜中の12時からという完璧主義者。彼女も、しごき棒で、つつかれたり叩かれたりしたと言うから、本作で三國連太郎が演じた<太っちょ>が杖を振り回して暴れるのは、監督自身の姿を投影していたのか。

センセーショナル・HIROKO

組長襲名にと星泉を訪ねて学校の校門に整列するヤクザ者は大勢いて壮観だが、四人以外はみんな借り物というのは、忘れていたので笑えた。

その後すぐ泉は退学処分になってしまい、本来はセーラー服で組長を続ける必要はないのだが、まあ絵的に映えるので。このセーラー服が、本当に彼女の高校の制服だったというのは驚き。そう思うと、着慣れた感じがある気がする。

かろうじて高校生設定を思い出させてくれるのは、彼女を取り巻く高校の親衛隊トリオ(柳沢慎吾・岡竜也・光石研)。今とは大分違い幼くみえる光石研に比べ、柳沢慎吾はあまり変わっていない。

この三人は、<ひょうたん三銃士>というユニットで応援歌『センセーショナル・ヒロコ』を発売し、学業に忙しい薬師丸に代わって、映画の宣伝に一役買っていたのを思い出す(効果のほどは知らないが)。

目高組は若頭佐久間の渡瀬恒彦がいい。ヤクザにも見えるが、ソフトな雰囲気もあり、泉と並んでいても違和感がない。

「わたしゃ、代わりじゃないですかい、(まゆみの)愛した男の」なんて台詞を、兄・渡哲也と比較され続ける宿命の渡瀬恒彦に言わせるなんて、深読みしすぎ?

目高組も佐久間を除けば、組員は(大門正明)ヒコ (林家しん平)メイ(酒井敏也)のトリオ編成。どれも組長のために体を張って護ろうとする、ちょっと頼りないが憎めないメンバー。

この連中が、一人ずつ敵の組織に消されていく。あとは御多聞に漏れず、ヘロインを巡ってのヤクザ組織の抗争劇となっていく。

はじめは真っ当な人物と思わせる黒木刑事(柄本明)や、どこぞの国の諜報部員かと思わせる萩原(寺田農)の身のこなしなど、面白いキャラも出てくる。

だが、<太っちょ>三國連太郎と、浜口物産社長北村和夫はどちらも007シリーズに出てきそうな金満体質のラスボスであり、キャラが被ったのは残念。

<太っちょ>は娘のまゆみに呆気なく射殺されるよりは、クライマックスの機関銃シーンに居合わせた方がシンプルに分かりやすかった気がする。

遠景撮影は新宿東映カ・イ・カ・ン

泉が機関銃をぶっ放し、「カ・イ・カ・ン」と恍惚とする名物カット。顔にガラスの破片が飛んで本当に出血してしまったというこのシーンは、当時助監督だった黒沢清が、「あれは防げたし、そうするべきだったが、OKテイクになると確信し、止められなかった」と後に述懐している。

すっかり忘れていたが、この機関銃掃射は、相手を仇討ちで皆殺しにしたのではなく、不幸を招いた根源である大量のヘロインを粉々(もともと粉末だが)にするための行動なのだ。

「カ・イ・カ・ン」は当時流行ったけど、ここのスローモーションだとか、中盤に登場する魚眼レンズを使ったような室内シーンやズームなど、あまり相米慎二らしくない演出も多かった。その意味では、前作よりも好き勝手にやっていた気がする。

長回しには安定感があり、本作でもいい感じに使われていたと思う。地蔵菩薩坐像の上に座っている泉が、そのあと暴走族と合流して新宿通りに出るワンシーン・ワンカットは奇跡のようだ。

ただ、長回しはよいが、遠景ショットはさすがに厳しい。台詞は別録りだから聞こえるが、役者の顔がまるで見えない。ラスト近く、組員が皆死んでしまって看板燃やして廃業するところも良い場面のはずなのに、これでは勿体ない。

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エンディングに違和感あり

組は解散して、カタギになると約束した佐久間が、数か月後に遺体となって泉と再会することになる。

ヤクザの喧嘩を仲裁に入った結果、刺されたらしい。彼は泉との約束を果たしていたのだ。佐久間の遺体にファーストキスする泉。

ここは美しいシーンだ。ここで、歌わないアイドルと言われた薬師丸ひろ子が初めて出した、来生たかおによる主題歌が流れても何ら違和感のない、いいエンディングになったと思う。

だが、なぜか相米監督は彼女にセーラー服姿で赤いハイヒールを履かせ、タバコをすう仕草をさせる。それも歩行者天国の新宿伊勢丹前だ。この人数と場所なら、エキストラでなくゲリラ撮影? ホントかよ

最後は居合わせた子供と一緒に(これはさすがに仕込みだろうが)、機関銃を撃つ真似で地下鉄のダクトからモンローのスカートふわりショット

「初めての口づけを中年のオジンにあげてしまいました。私、愚かな女になりそうです、マル」

このラストシーン、撮影の苦労は買うが、なぜ挿入したのだろう。全体の流れからは明らかに浮いている。キスシーンで終わったら、正月映画にしては湿っぽすぎるからか? ちょっと不可解。そういえば、オジンって、もう死語だなあ。