『死の棘』今更レビュー|一見ホラーだが、じわりと感じる夫婦愛

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『死の棘』

島尾敏雄の私小説を小栗康平監督が映画化。松坂慶子演じる妻が、夫の不倫で心の病に。

公開:1990 年  時間:115分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:  小栗康平
原作:      島尾敏雄 
         『死の棘』

キャスト
ミホ:     松坂慶子
トシオ:    岸部一徳
邦子:     木内みどり
伸一:     松村武典(子役)
マヤ:     近森有莉(子役)
おじ:     山内明
おば:     中村美代子

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

あらすじ

結婚10年目の夫婦ミホ(松坂慶子)とトシオ(岸部一徳)。1944年、トシオが特攻隊として島に駐屯したときに、島の娘ミホと出会い、二人は恋に落ちた。

二人は死を覚悟するがそのまま敗戦を迎え、そして現在、二人の子どもの両親となっていた。が、ある日、トシオの浮気が発覚。それをきっかけにミホは精神の激しい発作に見舞われる……。

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今更レビュー(ネタバレあり)

恐るべき質問攻め

純文学の極北と称された島尾敏雄の私小説的な原作を小栗康平監督が映画化。

夫の情事のために神経に異常を来たし、狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻ミホ松坂慶子が熱演。そして妻に責められ続け安らぎのない夫トシオ岸部一徳が演じる。

表面的には、夫の浮気を題材にしたホラー映画のようである。清楚な妻が夫の情事をきっかけに、けして取り乱すことなく、静かに、だが逃げ道を与えず、夫をひたすら質問攻めにする。

「気安く名前で呼ばないで。あなたはどれだけ恥知らずなの。私のことは貴女様と呼びなさい」

夫は何年も妻を欺いてきた。その記録を夫の日記を隅々まで熟読し、捨て去った後も記憶している妻。それをもとに、ネチネチと夫を責め続ける。

「あの女をどうして好きになったんですか」
「これまでに何をプレゼントしたんですか」
「どうして嘘をつくんですか

冒頭から質問責めだが、よく考えたら二時間の映画を通じて、ずっとこの調子は変わっていない。そして、妻は次第に神経を病んでいるような様子を見せる。

松坂慶子の新境地

普段は物静かな彼女が、突如大声をあげて暴れ出す姿は恐ろしい。

ホラー映画というほど、流血沙汰があるわけではないし、幽霊も殺人も出てこないが、終始逃げ場なしに追い込まれていく様子は、夫の岸部一徳同様に、観ている方も心が疲弊していく。

すっぴんに見える松坂慶子は美しいが、ちゃぶ台をはさんで夫と正座して向き合い、静かに執拗に責める妻は陰湿な女教師のようで怖い。

彼女が無名時代に『ウルトラセブン』の一話にゲスト出演していたことは有名だが、このちゃぶ台シーンは別エピソード(メトロン星人の回ですな)を思い出させる。

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健康美と華やかさが魅力の松坂慶子が、こういう役を演じているのは珍しいように思うが、そのギャップがかえって非日常的な効果を生み出している。

今ではすっかり悪役が似合う岸部一徳も、30年近く前とあって、まだ若々しい。彼は翌年の『ふたり』(1991、大林宣彦監督)でも確か、家庭を捨てて情事に走る夫を演じていた。その時のふてぶてしさに比べると、本作はやり込められる一方で、少し気の毒になる。

ところで、本作はホラーのようにみえると冒頭に書いたが、実際はそうではない狂わんばかりに夫を愛している妻と、自分の行いを反省し夫婦や家族の再生に努力する夫の物語なのだ。

夫の浮気を知り、困らせてやろう、関係を破綻させてやろう、或いは自分も浮気してやろうという不倫の愛憎の物語は無数にあるが、彼女にはそんな打算はなく、愛するがゆえに、嫉妬や本心からくる質問をぶつけているだけなのだ。

夫が勤める学校の門の前で待ち伏せし、帰る時間も早いし、帰る方向も違うと疑いを向けるミホは鬼の形相だが、丁寧に説明するトシオが誤解を解き優しい言葉をかけると、本当に嬉しそうな笑顔をみせる。この表情がまぶしい。

小栗康平らしさが随所に

夫トシオの情事の相手は邦子(木内みどり)。ただ、作品の登場シーンは多くない。

トシオが突如彼女の自宅に別れを告げに行く場面と、後日、夫婦の家に届け物があり邦子が訪ねていく場面。後者はミホに襲われて格闘に発展するので、やや派手ではあるが、男を取り合うキャットファイトという感じではない。

この数少ない邦子の登場シーンを除けば、基本的にはミホとトシオ、そして二人の幼い子供たちしか出てこないような映画だ。

夫婦喧嘩(ワンサイドゲームだが)が延々と続くような物語は映画化には不向きにも思えるが、それを小栗康平が手掛けるというのは面白い。

けして潤沢な製作費をかけている訳ではないのだろうが、小岩を舞台にした戦後の街の雰囲気はうまく出せているし、後の『埋もれ木』(2005)などでも見られるような、幻想的な演出も垣間見られる。

名作『泥の河』(1981)のような子供をメインにした撮り方はしていないが、幼い伸一(松村武典)マヤ(近森有莉)の使い方はさすがにツボを心得ている。

家の中があそこまで殺伐とし毎晩のように言い争いをしている両親では、この兄妹が不憫に思えてならない。

あの女がいた!

「もう子供たちには会いませんから、あなたが育ててください」
と家出しようとし、
「あの女に買ってやった下履きの色を全部言いなさい」

と凄み、
「バカヤロー!」

とビンタで夫に根性を注入し、
「あなた、あいつを喜ばせていた?」

と性生活を問い詰める。

平常に戻った時のミホは笑顔で明るい良妻賢母だ。だが、突然何者かが憑りついたかのように豹変する。

「あの女がいた!」
正月で賑わう品川駅のプラットフォームで、ミホが急に叫び暴れ出したのは怖かった。

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松坂慶子がこういう言動をみせるだけでも異色だが、夫婦が先を争って肺炎で死のうと裸になって眠ろうとする場面では、惜しみなく裸身をさらす。

これには驚いた。濡れ場でもないのに、彼女が脱ぐとは思っていなかったので。だが、それゆえにミホの精神状態も、通常ではないことが伝わってくる。

まだ嘘をついてるでしょ

島尾敏雄特攻隊隊長として奄美群島加計呂麻島に赴任し、そこで知り合ったミホと結婚する。

彼は人柄と豪傑さで島民の尊敬を集め、ミホもそんな彼に惹かれたが、出撃の直前に戦争は終わり、結婚後には情事に走る。尊敬の念を抱いていた夫の裏切りに傷ついたミホは心の病に襲われる。

二人の馴初めや情事の発覚などは原作にも映画にも詳細は語られず、予備知識なしでは不明な点もあった。

だが、本作が夫婦愛の物語であることは十分につかみ取れるし、それをあからさまに説明していないところは好感がもて、本作の芸術性にもつながっている。

はたして、原作や映画で描かれた内容は事実に則しているのか、島尾ミホの実像に迫った梯久美子による『狂うひと』というノンフィクションもあり、何を信じていいのかは、難しいところだ。

だが、島尾敏雄の原作のどこかに、これは事実に基づく物語だと書いているわけでもない。「まだ嘘をついているでしょう」とミホに責められるものでもないのだし。

『蒲田行進曲』(1982、深作欣二監督)で松坂慶子と共演した平田満が、トシオの帰省先の旧友役でちょっと顔を出す。同作で大輪のひまわりのようだった松坂慶子は、本作ではまったく違う役を演じるが、演技としてはこちらのミホ役に魅了された。

派手さはないが、目が離せない二時間。小栗康平監督らしい逸品だった。