『あ、春』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『あ、春』今更レビュー|相米慎二監督が贈る最後から二番目の円熟

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『あ、春』

晩年、円熟期に入った相米慎二監督の家族ドラマは、山崎努の怪演で先の読めない展開に。

公開:1998 年  時間:100分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:     相米慎二
原作:     村上政彦 
                「ナイスボール」

キャスト
韮崎紘:    佐藤浩市
韮崎瑞穂:   斉藤由貴
韮崎充:    岡田慶太(子役)
浜口笹一:   山﨑努
水原郁子:   藤村志保
韮崎公代:   富司純子
韮崎義明:   三浦友和
韮崎千鶴子:  余貴美子
富樫八重子:  三林京子
沢近:     村田雄浩

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

あらすじ

良家の娘・瑞穂(斉藤由貴)と結婚して一児をもうけ、妻の実家で義母(藤村志保)とも同居しながら、それなりに幸せな生活を送る証券マンの紘(佐藤浩市)

ところがある晩、彼はホームレス風の男に路上で呼び止められて、俺はお前の父親の笹一だと名乗られ、すっかり仰天するはめに。

子どもの頃、父親とは死別したと母親の公代(富司純子)に言い聞かされてその後ずっと育ってきたものの、今になって初めてそれが嘘だったことを知った紘は、笹一(山崎努)を家に迎え入れることにするが…。

今更レビュー(ネタバレあり)

日本が安らぎを求めた時代に

相米慎二監督の晩年の代表作とされる本作。円熟とはこういうものかと思わせる出来栄えだ。

『ションベン・ライダー』『台風クラブ』など初期の作品に顕著にみられた、どうなってしまうのか分からない過激さや、役者が文字通り命がけで撮っている緊迫感はすっかり消え失せた。

だが、けして退屈ということではない。これと言った派手さのないホームドラマだが、1999年のキネマ旬報のベスト・テンで堂々の1位に選ばれている。

折りしも、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻など、日本経済がバブル期の後処理に翻弄され、先行きの見通せない時代。人々は映画に過激や刺激よりも、安らぎを求めていたのかもしれない。

とはいえ、本作もタイトルや舞台設定にはのどかさを感じるものの、けして心穏やかなストーリーではない。

杉並に屋敷を構える良家の娘と結婚した証券マンの主人公が、突然目の前に現れた、遠い昔に死んだはずの父親に日常生活をかき乱されていく家族ドラマ。原作は村上政彦『ナイスボール』、脚本は大ベテランの中島丈博

一見平和な日常に現れた闖入者

大手証券会社のエリート社員・韮崎紘(佐藤浩市)は、お嬢様育ちの妻・瑞穂(斉藤由貴)と幼い息子の(岡田慶太)とともに、妻の実家で義母の郁子(藤村志保)と同居している。

高級住宅街の広い庭でニワトリを飼う紘に田舎育ちと義母たちは陰口を叩くが、瑞穂は意に介さない。

表向きは、平和そうな三世代家族であるが、そこに突如、とうに死んだはずの紘の父親浜口笹一(山崎努)が闖入者として家族の前に現れ、破天荒な振る舞いを見せる。

©1998 トラム/松竹/衛星劇場

紘には、丹沢で兄夫婦とともにドライブインを切り盛りする母・公代(富司純子)がいる。父親が死んだと聞かされていたのは、職を転々とし、借金を膨らませた挙句に離婚したこの笹一のことを、公代が息子に説明するための方便だった。

そんな男は会わずに放り出せという公代だったが、一晩家に泊めたところから、笹一はすっかり居着いてしまう。孫に博打を教え込んだり、可愛がっていたニワトリを締めてしまったり、義母の風呂を覗いてみたり。

およそ良家の暮らしとは肌が合わない笹一の勝手気ままな行動に、一家はかき回されていく。更に、バブル期以降の不況のあおりで、紘の勤める大手証券は会社更生法を申請し、紘は公私ともども災難に見舞われる。

キャスティングについて

本作で圧倒的な存在感をみせるのは、笹一を演じた山崎努であろう。下品でがさつでいい加減な男だが、どこか憎めない点のある老人であり、本作でも熟女たちに嫌われているようにみえて、実はみんなにモテている様子が窺える。

前作『静かな生活』(1995、伊丹十三監督)で演じた作家・大江健三郎の役の神経質さとはまるで真逆のキャラだが、次にどんな言動がとびだすか分からない険しい表情の老人は、まさに山崎努のハマリ役だ。

©1998 トラム/松竹/衛星劇場

そしてメインの夫婦役は、いずれも相米作品の卒業生だ。韮崎紘役の佐藤浩市は、『魚影の群れ』(1983)から『ラブホテル』での端役をはさみ、久しぶりの相米作品のメイン出場。

まだ年齢的に今のような重厚な役をこなしてはおらず、口をとがらせて文句をいう青年の印象が残る。当初憎んでいたはずの父親に、次第に心を開いていく様が何とも味わい深い。

妻・瑞穂役の斉藤由貴は、デビュー作『雪の断章-情熱-』(1985)から実に13年ぶりの相米作品。前作の厳しい監督指導がトラウマとなり、遠ざかっていたようだが、円熟期なら付き合う気になったということか。

本作では独特なヘアスタイルと衣装も相まって、いわゆる良家の子女とは違うキャラ。なるほど、相米慎二はアイドル映画を撮らない監督だと再認識。

©1998 トラム/松竹/衛星劇場

瑞穂の母に大映の看板女優藤村志保、一方の紘の母には東映の看板女優<緋牡丹のお竜>富司純子という豪華な取り合わせも生きている。若い斉藤由貴よりも、むしろこの往年の看板女優の落ち着いた妖艶さを前面に出してきているように思えたのは気のせいか。

相米ファミリーの集結

息子には父親は死んだのだと嘘をつき、別れた夫といざ再会すると「あんたは紘の父親ではないのよ」と衝撃的なことを笹一に言い出す公代(富司純子)

それが原因ではないだろうが、その直後に笹一は肝硬変で倒れてしまう。でも、我が物顔で長い間、息子の家に居座っていた笹一が、実の父親ではないと知らされた途端に、荷物をまとめて出ていこうとする姿は、意外と好人物にみえた。

©1998 トラム/松竹/衛星劇場

本作には、相米作品に縁のある俳優陣が多くチョイ役で顔をだす。

丹沢で母・公代とドライブインを経営している紘の兄役の三浦友和『台風クラブ』)。冒頭で経を読む住職の笑福亭鶴瓶『東京上空いらっしゃいませ』ほか)。

ドライブインの常連客のトラック野郎に、ほぼ相米作品皆勤賞の寺田農。なかなか気づきにくいが、終盤に病室のシーンで登場する看護婦役の河合美智子『ションベン・ライダ―』)。

普段、あまり常連俳優で固めない印象の相米慎二監督にしては、本作は集大成的なキャスティングであり、今になってみれば、遺作の空気が漂っている。

だが、本作は晩年の作だが遺作は次の『風花』(2001)だ。個人的には、出来はよいがこぢんまりとまとまってしまった本作よりは、おもちゃ箱をひっくり返したような意外性と遊び心のある『風花』の方が、相米監督のフィルモグラフィ―の締めには相応しいように思う。

予定調和で終わらせるはずがない

本作は、出来の悪い、周囲に迷惑をかけてばかりの男が突如現れて、身内を困らせる話だ。父親ではないが、本作にも出演している鶴瓶『おとうと』(山田洋次監督)と似た話。思えば『男はつらいよ』だって同系か。

はじめは反発していた紘が、笹一が実は父ではないという話がでてくると、今度は逆に血のつながりを随所に感じ始め、父子の距離を縮めていく。面白い変化だが、この手の人情噺は、最後には予定調和で落ち着くところが見えてしまいがちだ。

©1998 トラム/松竹/衛星劇場

だが本作はそうではなかった。ネタバレになるが、山崎努演じる笹一は、入院先で、孫から預かったニワトリの卵をお腹の熱で孵化させようと抱えながら、臨終を迎える。

この突然死は予想できなかった。たとえ死んでしまうにしても、何か紘と言葉を交わすような泣かせの場面があるものだと思った。

ヒヨコをみつけて興奮して喜ぶ看護婦(河合美智子)この笑いは不謹慎ではなく、むしろ映画に元気を与える。『浜の朝日の嘘つきどもと』(タナダユキ監督)の臨終シーンで高畑充希がガサツに馬鹿笑いするのとは違うのだ。

本作はしんみりした場面の代わりに、川の上で笹一を散骨するシーンを登場させる。

舟の上には、紘たち三人家族と元妻の公代(富司純子)に加え、紘の義母の郁子(藤村志保)や、永年関西で笹一と暮らしていた女性・富樫八重子(三林京子)までいる。

この熟女たちは、笹一を煙たがっていたはずなのに、それぞれがすっかり恋人気分で散骨しているように見える。何とも味わい深い。

節分から始まり、ひな祭りや鯉のぼりと暦を追いかけ、のどかな春の庭を写していきながらも、予定調和に持っていかないエンディング。

山崎努が病室で息を引き取る作品は、『麒麟の翼』(2012)、『長いお別れ』(2019)、そして本作と、どれも秀作揃いなのだ。